図書の悲劇 -2 『薔薇の名前』つづき
前回は「薔薇の名前」の記号論的な側面を書いたが、この作品の白眉は「バウドリーノ」と同じく中世への興味の相当量を満足させてくれることだ。いや、エーコは中世を小説の舞台にして成功できる最大の作家だろう。
物語は、アヴィニヨン教皇庁とフランチェスコ修道会との清貧論争(イエス・キリストは清貧を求めていたか否か)調停のためにバスカヴィルのウィリアムとその弟子メルクのアソドが北イタリアの切り立った崖の上に建つ修道院を訪れるところからはじまる。その修道院は八角形をした要塞のような建物を持ち、その最上階には「バグダッドの三十六の文書館やワジール・イブン・アル・アルカミの一万巻の写本にも拮抗するキリスト教世界の唯一の光」といわれる文書庫がある。
到着早々、ウィリアムは院長から細密画家のアデルモ・ダ・オートラントという若い僧がとげた不審な死の原因を究明するように頼まれる。しかし、例の文書庫にだけは立ち入ってはいけない、あの迷宮のような文書庫に入れるのは歴代の図書館長だけである、と伝えられる。数日後に控えた教皇庁とフランチェスコ修道会との会議の開催への影響を心配したウィリアムはさっそく調査を開始するが、翌日にはギリシャ哲学を学ぶヴェナンツィオ・ダ・サルヴェメックの死体が発見される・・・。
全編中世の暗く寂寞とした世界をえがきながらも、この小説にはメタフィクションの要素を組み入れることで、ボルヘス的な碩学の知の遊戯を読者に与えることに成功している。そのメタフィクショナルな部分が小説という技巧上あまりにも成功しているので、かえってそこが気に入らないという読者もいるようだが。
まずもって盲目の図書館長ホルヘ・ダ・ブルゴスはホルへ・ルイス・ボルヘスのことである。名前までそっくりなのは後述する文書庫のイメージがボルヘスの「バベルの図書館」から借用あるいはオマージュとして利用したことを読者にたいして明確にしておきたかったからだろう。
「薔薇の名前」の文書館見取図 |
ボルヘスも晩年、アルゼンチンの軍事的独裁者フアン・ペロンが下野したあと、閑職からアルゼンチン国会国立図書館長に就任する。しかしそのころにはボルヘスの視力はおびただしく低下しており、ほとんど盲目の状態だったという。このことをボルヘス自身が「80万冊の書物と暗闇を同時に与えたもうた神の絶妙な皮肉」と表現している。ボルヘスはアリストテレスの失われた詩編に関しての記述もあり、またユーモアに対して「バーナード・ショーに関する覚え書き」のなかでこう表現している。「思うに、ユーモアとは対話における突発的な賜物、つまり口承のジャンルに属するものであって、書かれるべきものではない」
つぎに主人公ウィリアムとその弟子メルクのアソドとの関係がシャーロックホームズとワトソン医師との関係とそっくりである。「薔薇の名前」自体がアソドの手記の体裁をとっているので、小説の表現手法的に推理小説のジレンマを回避するためにコナン・ドイルが考え出した方法論とおなじ効果を上げている。作者は実存した中世の唯名論者オッカムのウィリアムをモデルとしてバスカヴィルのウィリアムを作り上げたが、このバスカヴィルはシャーロックホームズシリーズのひとつ「バスカヴィルの犬」からとられている。
この小説はアソドの手記の体裁をとっていると書いたが、作品の冒頭では偶然このアソドの手記を発見した1960年代に生きる「わたし」がイタリア語訳をした経緯が書かれている。つまり事実を書き残したものを6世紀後にさらに発見し翻訳したという、まるでドン・キホーテの有名なメタフィクションの部分ーー作者のセルバンテスはバザーでアラビア語の原稿を買い取り、それを翻訳させたものが「ドン・キホーテ」なのだと作中で語るーーのようなポストモダン的な仕掛けまである。そして発見者の「わたし」はこう締めくくる。
「アラユルモノノウチニ安ラギヲ求メタガ、ドコニモ見出セナカッタ。タダ片隅デ書物ト共ニイルトキヲ除イテハ」
このように、「薔薇の名前」にはメタフィクションの部分だけでも読書家をうならすしかけが山盛りであり、その背後に解決しようのない隠喩と遊びが隠されている。
まして主要なプロットは書籍が引き起こす悲劇的な殺人事件である。殺されたものも殺したものも、みな一冊の書物が引き起こした結果であり、膨大な書物がその殺人をささえている。二重、三重の意味で「本好き」がはまり込む罠が多数仕掛けられた恐るべき書籍である。
(また)つづく・・・
図書の悲劇 -1 『薔薇の名前』
図書の悲劇 -2 『薔薇の名前』つづき
図書の悲劇 -3 『眩暈』
図書の悲劇 -4 『バベルの図書館』