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7月, 2018の投稿を表示しています

「おにぎり一つ、うれしくてありがたい」 アーレント『全体主義の起源』

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被災すれば着の身着のまま、持ち出すものもままならず、近所の小学校などの体育館に避難し、プライバシーもない空間で予定もたたぬまま不遇を耐えるしかないという、このところ「よく見る」ようになってしまった例の被災者たちなのだが、いつのまにあれが当たり前の被災者像になったのか、2011年の春頃からずっと不思議だった。 1995年に神戸に大きな地震があったとき、東灘高校や灘中学などの学校体育館で目にした館内の風景も、たしかに今と一緒でプライバシーもなく、立つことも座り続けることもままならないため雑然と人が横たわり、狭く、窮屈で、寒く、情報もほとんど手に入らずたいそう不安だったのをよく覚えている。 だから逆をいえば23年前から、被災者の地位というか、扱われ方というか、つまりは行政側の「扱い方」はまったく一向によくなっていないということだ。 テレビがなければ被害の規模さえわからないわれわれは、被害を見ることで同時に「被災者像」というスティグマも無批判に受け入れている。 倒壊した家屋、土砂崩れの起きた道路、泥水のあふれる河川といった「絵」が映されたあとには、狭い体育館に押し込められた被災者の、多くは田舎の人間の「絵」がほしいところだろうし、テレビの前で待つ者も、それがあってはじめて災害がおきたことを実感し、同時に「これはかわいそうだ」と感情が動き出す。 仮に六本木が被災地で、周辺のホテルが避難場所に指定されたとして、リッツカールトンのクラブミレニアスイートに寝起きする被災者の「絵」なんか映すものだろうか。かりに放送したとして、そうでない場合と比較して同情心や、あるいはある程度それを数字に置き換えることが可能な義援金は、おなじだけ集めることができるだろうか。 なにもテレビだけがスティグマの発生に責任があるというわけではなくて、災害というインシデントの理解には、「物語消費」といったような、強力な、おそらくは液状の消化促進剤がなくてはならないのかもしれない。 なぜ液状かというと、与えられた災害情報にはあらかじめ消化促進剤が練り込まれた状態で、もはや咀嚼の必要さえなく、われわれののど元に放り込まれる必要があるからである。 実際にリッツカールトンのクラブミレニアスイートに避難している被災者は、自腹でそうしているまれな人以外はたぶんほとんどいないのであるから、メディ

「戦争になったら逃げる」なんて無理 『夜』エリ・ヴィーゼル

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むかし、ルーマニアのユダヤ人の村シゲトにあるシナゴーグに、ひとりの知恵遅れの堂守がいた。名をモシェと言い、いつもシナゴーグ入口の階段に座り、村のユダヤ人らに愛されていた。 ユダヤ人作家エリ・ヴィーゼルがまだ10代の少年だった70年以上前、ルーマニアにもナチスドイツは侵攻した。 しかし、ブカレストから遠く離れたシゲト村の人たちはそのことを楽観していた。ここは関係ないよ。こんな田舎まで来たりはしないよ、と。 その後のある日、ナチスの軍服を着た兵隊たちが村にやってきて、シゲトにいる浮浪者や知恵遅れの人たちをトラックに乗せて連れて行ってしまった。堂守のモシェもそのなかに含まれていた。うわさでは、彼らはナチスドイツの医療機関で治療を受けた後、特別な施設で暮らすことになるのだという。多少の不安はあったが、それでも村人はそのうわさを信じた。 堂守のモシェと仲のよかった少年は、ときおりモシェのことを考えて暮らしていたが、そのうち村中の人たちは、連れて行かれた彼らのことを忘れてしまった。 そうして何ヶ月かしたある日のこと、少年がシナゴーグに立ち寄ると、いつもの階段にあの堂守のモシェが座っているのを見た。驚いた少年が事情を聞く。 モシェは、ナチスに連れて行かれたあと、彼がその目でみた地獄の風景を語って聞かせるのであった。 「わたしゃみたんです。たまたま死んだと思われて逃げられたのです」 そうして、命の危険を顧みずにわざわざシゲトの村に戻った理由を、村の人らに語る。 「はやく逃げて下さい。おなじような目にあうまえに。私はそれだけを目的にここまで逃げてきたんです」 ところが村人らはモシェの言うことを信じない。 モシェの消沈した姿をみていた少年は、その不安から、家族みんなでイスラエルへ引越しようよと、一度は父に頼んでみる。しかし「そう簡単にはいかないのだ」といってその提案は父に拒否されてしまう。 その後、ナチスはシゲトにまで侵攻し、村のユダヤ人はひとり残らずゲットーに移されることになる。最後の晩、ユダヤ議会の役職をもっていた少年の父の元にあの堂守のモシェがやってきてこう言う。 「だから逃げろと警告したのです。どうしてあのとき私の言うことを信じてくれなかったのですか。もう遅すぎる」 そうしてシゲトの村のユダヤ人らはひとりのこらずゲットーに移され、その後、ヴィー