フィクションとノンフィクションの境界 『水俣』ユージン・スミス 『苦海浄土』石牟礼道子

「フィクションとノンフィクションの境界」のつづき


「水俣」ユージン・スミス
「苦海浄土」石牟礼道子

ユージン・スミスは1918年にカンザス州でうまれたマグナムフォトの写真家である。ユージンが学生のときに、世界大恐慌で破綻した小麦商の父は散弾銃で自殺をする。自殺を報じた新聞記事をみたユージンは、その冷酷な記述内容にはげしいショックをうけたという。第二次世界大戦では従軍カメラマンとしてアメリカ軍に同行し、沖縄で日本軍の爆撃をうけて一生その後遺症になやまされることになる負傷を負う。
ユージン・スミスが水俣を撮りだしたのは1961年に日立のコマーシャルスチールの撮影に来日してからのことだ。1972年にはもっとも著名な作品のひとつ「Tomoko Uemura in Her Bath」を含む水俣シリーズを「Life」誌に「配水管からたれながされる死」というタイトルで発表して未知の公害病「水俣病」とともに世界中から注目されるようになる。
1972年には、水俣の患者たちとともに千葉県にあるチッソ五井工場に交渉にいく。ところがチッソ側が雇った200人の暴力団に、患者とその取材のジャーナリストともども暴行を受けユージンは脊椎を損傷し片目を失明してしまう。
「Tomoko Uemura in Her Bath」は、母親の妊娠中に胎児性有機水銀中毒になった15才のトモコを、右後方からさすやわらかい光の中で入浴させる母と子をえがいた作品である。はっきりとした黒と白の色だけで、水俣病のすべてと、母と子のすべてを表現している。ボクは「母」というものを観念的に考えるとき、いつもこの写真が脳裏に浮かぶ。母という観念と、ユージン・スミスのこの作品はボクにとって同義だ。
この作品を撮影するにあたってユージン・スミスがどのような手法をとったのか、またもしかするとどのような要求を被写体に伝えたのか、ボクはしらないし、わかりようもない。ただ、もし仮に先述したドアノーのような調整や予定があったとしても、このウエムラ母子の悲惨な境遇のなかでの穏やかな一瞬は永遠につづき、ボクのなかにある母のイメージがべつのなにかにとってかわることがおこるとは思えない。
彼は「水俣」英語版の序文でこう言っている。
「ジャーナリズムのしきたりからまず取りのぞくべきなのは『客観的』という言葉だ。そうすれば、出版の『自由』は真実に大きく近づくことになるだろう。そしてたぶん『自由』は取りのぞくべき二番目の言葉だ。この二つの歪曲から解放されたジャーナリスト写真家が、そのほんものの責任に取りかかることができる」

「苦海浄土」の著者、石牟礼道子は、あなたの取材には嘘がありますよね、といういじわるなインタビューにこたえて「だって(水俣の)患者さんの心の声が聞こえるんですもの」というようなことを答えている。
いまではこの「苦海浄土」をノンフィクションに分類する人はいない。これはれっきとしたフィクションであり、「小説」である。患者へのインタビューも実際には半数ほどしかおこなっていないのではないかという批評もあるし、彼女の書く水俣弁に過剰な演出があると指摘する人もいる。
しかし、ユージン・スミスの言葉を借りれば「ほんものの責任」が「苦海浄土」にはかんじられる。実際におこったことだからノンフィクションであらねばならぬといった偏狭な価値観から脱却するには、「客観性」や「ノンフィクション」としての拘束を脱ぎ捨てたあとにくる、責任の所在をひきうける覚悟が必要になるのだ。
ユージン・スミスはこうも言っている。「ジャーナリストにはふたつの責任がある。ひとつは被写体への責任、ふたつ目は読者への責任。そのふたつの責任をはたせば、おのずと雑誌への責任ははたされる」

「Tomoko Uemura in Her Bath」の被写体であるウエムラトモコは、この撮影の6年後に21才で死亡している。ユージン・スミスの死後、遺族からの申し出でこの写真の使用権は遺族にもどされ、再使用はできなくなったそうだ。インターネットにはコピーが無限に出回っているが、ここでは遺族の決定を尊重して写真は掲載しないことにした。いちおう、おことわり。
またかねてより噂のあった、池澤夏樹個人編集・河出世界文学全集の第3集に石牟礼道子著「苦海浄土」が刊行されるようだ。再読後、この本についてはあらためて書いてみたいと思う。

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