投稿

4月, 2011の投稿を表示しています

『他者の苦しみへの責任』と『闇の奥』

イメージ
フランシス・フォード・コッポラの名作『地獄の黙示録』の撮影が災難続きであったのは有名な話だ。まず、巨大ハリケーンに一度ならず機材のほとんどを壊される。フィリピン軍に借りる約束だったヘリコプターや爆撃機が、実戦出動のため撮影直前になんどもドタキャンされる。ハーヴェイ・カイテルの代打として選ばれた主演のマーティン・シーンは心臓発作で倒れ、デニス・ホッパーはドラッグで立ち上がることさえできない。あげくのはてにカーツ大佐役のマーロン・ブランドは、痩せるという契約を反故にしただけでなく、さらにでぶでぶに太った体でやってきて、原作はおろか脚本させ読まず、あらゆる演技を拒否したという。借金はみるみる増え、当初17週の予定だった撮影期間は61週にまで延びた。(立花隆『解読「地獄の黙示録」』) そんなあってはならないはずの現場を、コッポラの妻エレノアが撮影していた。それが『ハート・オブ・ダークネス』というドキュメンタリーである。この映画をみると、エレノアが「本気でマーティン・シーンに殺されると思った」と語るほど、想像以上にすさまじい現場であったことがよくわかる。ブランドのスノッブで白々しい「黙示録」のラストや、ドキュメント後半ほとんど発狂状態のコッポラをみていると、むしろこっちの方が現実的な「地獄」なのでは、と思ってしまう。 このタイトルの『ハート・オブ・ダークネス』、日本語訳にすると「闇の奥」となる。『地獄の黙示録』の原作で、ジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』のことである。 コンラッドの小説『闇の奥』の舞台はアフリカ西岸の現コンゴ共和国である。物語の当時、コンゴ共和国はコンゴ自由国という呼び名の、ベルギー王レオポルド2世の私有植民地であった。 1889年にジョン・ダンロップというイギリス人が発明した空気入りゴムタイヤは、その4年前にダイムラーとベンツが発明したガソリン自動車の生産とあいまって爆発的な普及をみせる。とうぜん原料となるゴムが不足する。宗主国ベルギーの80倍の広さをもつコンゴの熱帯雨林には、原料となるゴムの木がほとんど無限のように自生していた。しかもそれを伐採する労働力はタダである。だからコンゴ川沿いにはいくつもの出張所がつくられ、アフリカ大陸のほぼ中央に位置するボヨマ滝あたりまで奥地出張所があったそうだ。(藤永茂著『「闇の奥」の奥』) 『闇の奥』もその

『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団』とアニミズム

イメージ
1931年にジェイムズ・ホエール監督の映画『フランケンシュタイン』 が公開されたとき、暗い劇場内は半ばパニックになり、あまりの恐怖に失神する女性が多数でたという。前年におなじユニバーサルから『魔人ドラキュラ』が上映されていたし、実験的映画とはいえ1910年には原作をおなじくするサール・ドーリー監督『フランケンシュタイン』が公開されていたのだが、それでも多くの観客にとって映画が恐怖をえがくのを見るのははじめての経験であった。映画とは、過去の歴史や遠い国の物語や普段みることのない貴族の恋愛をたのしむものであって、架空の物語、狂気の人物、未来の技術、恐怖の描写、驚愕のフィクションというものは見たことがなかった。だから人々はとまどい、おそれ、驚愕した。 これはメアリー・シェリーの原作『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』においてもおなじである。当初この小説は「ゴチック小説」とよばれ「ロマン小説」に分類された。そのとき、「SF」という概念はなかった。今では『フランケンシュタイン』こそがSFの始祖であり、その原型であるとする意見が主流である。 つまり、SFというジャンルは「恐怖」と「未来の科学技術」と「人造人体」とともに生まれたのだ。だから、今でもSFといえば未来や近未来においてロボットが反乱する物語が多く、もっともポピュラーな筋書きである。キューブリックの『2001年宇宙の旅』では、人間の言葉を理解し自律的に思考する高度人工知能の「HAL」が、モノリス調査のため月を出発した乗組員を殺害する。また、リドリー・スコット監督『ブレードランナー』は、遠い宇宙の過酷な労働から脱走し、人間社会に紛れ込んだ人造奴隷「レプリカント」を殺害する孤独な刑事の物語である。近年では、破壊的方向に誤作動してしまった人工防衛システム「スカイネット」が支配する暗黒の未来を描く『ターミネーター』や、人間から発生する微弱な電力を供給源とする機械システムが人間に夢というプログラムを与え続ける未来を描いた『マトリックス』など、例をあげればキリがない。 『フランケンシュタイン』は恐怖映画でもあるが、人々はフランケンシュタイン博士の造った怪物そのものが怖かったのではない。人間が創り出したクリーチャーが創造主に反乱をおこすこと、およびわれわれ人類が神のような創造主になるかもしれないその可能性が、観客

トマス・ピンチョン『V.』とはなにか?

イメージ
米国の推理小説作家ダン・ブラウンの大ヒットした長編『ダヴィンチ・コード』のなかで、主人公ロバート・ラングドン教授がレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」を指してこう解説する。中央に座るイエスの向かってすぐ左側に座る人物は、イエスの12使徒のなかでひときわ若くなまめかしく描かれており、その長い髪はまるで女にしか見えない。「このなかの一人が私を裏切るだろう」と言うイエスの言葉に他の使徒たちは怖れ、驚くが、左手の人物は悲しげな顔をしているだけである。しかも聖書には「イエスの愛しておられた者がみ胸近く席についていた」としか書かれておらず名前もない。そしてなによりイエスとこの人物とのあいだには不自然なほどの距離があいており、そのひらいた空間はアルファベットの「V」のかたちをしている。「V」は杯のかたちであり、それは聖杯を意味する。さらにこの左手の人物を左右裏返すと、ちょうどイエスの肩にしなだれかかるような位置に来る。つまり、イエスの傍らに座したこの髪の長い若い人物は、イエスの妻であるのだ、と。 「ダヴィンチ・コード」を楽しませてもらった恩を仇で返すわけではないが、残念ながらイエスの左手に座るのは弟子のなかでもっとも若いヨハネである。レオナルド・ダヴィンチはそもそも男か女かわからないような人物を他にも多く描いており、それはダヴィンチの絵の有名な特徴のひとつである。また、イエスの左側の大きく開いたV字型の空間は、まず弟子たちを3人一組で描写するためにまとめた結果であり、視線が中央のイエスに自然と集中するように図った技法であり、右側のトマスと大ヤコブの手が邪魔してわかりにくいが、よく見るとイエスの右手にもV字型の空間はある。それまで聖者を描く場合には当然だった後光を廃して、ダヴィンチはイエスの背後に見える窓からの外光を後光のように利用した。そのためにイエスの周囲には他の使徒よりも広いなにもない空間が必要だった。さらにボクは思うのだが、もしヨハネを左右反転してしまうと、ユダの左側、テーブルの左から2番目の小ヤコブの真下にあるナイフをつかんだ右手がだれのものか説明がつかなくなってしまうのだ。これはイエスに愛されたヨハネがいち早く裏切り者がユダであることを知り、手をのばして右手にあった果物ナイフをつかみ取った瞬間の描写なのではないか。だからヨハネは驚いておらず、悲しむというより

梅棹忠夫と南方熊楠

イメージ
フランスのエリート中のエリート高等師範学校であるエコール・ノルマルに、1920年代に様々な哲学者や作家などが誕生した。なかでもサルトルを中心とした実存主義哲学やその基礎となった現象学の権威が多くあつまった。メルロー=ポンティ、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ポール・ニザンなどである。 サルトルは、ヤスパースの翻訳やベルリン留学時に現象学者フッサールに学んだことなどで、哲学界の新思潮「実存主義」を開花させていく。その後、実存主義は大きく発展し、世界的なブームとなる。 そのサルトルと実存主義の影で才能を発揮できずにいた同時代の天才がいた。それがクロード・レヴィ=ストロースである。 1960年代に入り、アルベール・カミュやメルロー=ポンティとの思想的決別がありながらも絶頂を迎えたサルトル=実存主義に、レヴィ=ストロースは満を持して強烈な批判を浴びせる。それが著書でいう『野生の思考』であり、社会人類学の現代思想「構造主義」であった。 普段、本なんか読まない人々までが『嘔吐』を購入するほど流行ってしまったことや、サルトル晩年のソビエトへのシンパシー表明などの問題が影響しているのかもしれないが、今では実存主義は「過去にあった思潮のひとつ」程度の認識しかされていない。いまさら実存主義を学ぶ大学生は希有な存在だが、構造主義を学ぶものならゴマンといるのだ。そういう時代になってしまった。 サルトルやボーヴォワールが実存主義思潮を世界中に展開している時、たった3才年下のレヴィ=ストロースはまさか60年後にこの関係が逆転するとは思っていなかっただろう。 レヴィ=ストロースは自分の著作を使って、思想の体系を反転させたのだ。これほど大きな歴史の転換をひとりの人間が実行できることに驚きもするが、それをなしえるためには、「思想体系」という目に見えない思想の組織化、社会化が必要であったのだろうと思う。 それはレヴィ=ストロースにとっては「構造主義」とよばれる体系であったし、サルトルにとっては「実存主義」という思想体系であった。 学問・思想界では著作そのものによる対決よりも、その「著作が及ぼす社会的影響」の対決の方が歴史を変えるファクターを孕んでいるのだ。 梅棹忠夫展入り口 そんなことを考えながら先日、国立民族学博物館の「梅棹忠夫展」へ行ってきた。無責任な言い方をすれば、民俗学者の展覧会なんて