投稿

2012の投稿を表示しています

テロリズムとデモンストレーション 『風流夢譚』『天皇の逝く国で』『ショックドクトリン』

イメージ
木下恵助と今村昌平によって2度映画化された『楢山節考』の原作者、深沢七郎はある日、夢を見た。 夢では、東京で大規模な民衆蜂起がおこっている。一部クーデターの気配もあるという。警察と自衛隊が内部分裂し、武力衝突が起こっているそうだ。 街中が騒然とするなか、深沢は民衆の流れにのって皇居へ行く。皇居では革命軍が皇后陛下を取り囲んでいる。夢のなかの深沢はなぜか「このクソババア」などといいながら皇后陛下と取っ組み合いのケンカをする。そして正直者の深沢七郎は、そのあと夢の中でおこる恐るべき出来事を彼のエッセー『風流夢譚』に記載する。深沢とのケンカのあと、斬首された皇后陛下の頭部がぽろりと地面に落下したというのである。 これが雑誌「中央公論」に掲載された直後から、激怒した右翼が深沢七郎宅や中央公論社に街宣車でおしかけるようになる。深沢は警察に保護されて住居を転々とし、長らく放浪生活をおくったといわれている。 翌1961年2月、大日本愛国党の17才の党員が中央公論社社長の嶋中氏の自宅に押しかけて、不在であった嶋中の代わりに妻を刺し、さらにそのとき家にいた家政婦の女性を刺し殺すという事件が起こった。 しかし、問題にしたいのはこの後である。右翼によるテロリズムの被害者であるはずの中央公論と嶋中社長が、中央公論の名によって全国の新聞に「謝罪広告」を掲載したのである。無関係な人間が殺され社長夫人が重傷を負わされた側が、国民に対して謝罪をするというのである。さらに、それが日本の言論出版を担うかの「中央公論」という知の巨人であったことに、当時の知識人らはおおいに驚き、絶望したのである。『風流夢譚』はたしかに軽率で不敬なのかもしれなかった。しかし最後まで戦うと思われていた出版人が、威嚇行為とテロリズムにたいして憲法で保障された権利をあっさりと投げ捨て、謝罪までしてしまうのであれば、いったい誰が言論を守るというのか、と。 1988年12月7日、長崎市定例市議会で、共産党議員が市長に質問をした。「天皇陛下に戦争責任はあるとお考えですか?」。それにたいして市長3期目をつとめる本島等市長(当時)は、一部条件をつけながらも「天皇陛下に戦争責任はある」と回答した。 折りしも昭和天皇が病院で吐血と下血をくりかえし、日本各地に「す

ファウスト博士の原発開発 『ファウスト』『スピヴァク、日本で語る』

イメージ
『ファウスト』戯曲第一部において、愛する女グレートヒェンを救えなかった痛手から、かの有名なファウスト博士は残りの人生で国家的大事業をなすことを心に誓う。 まずは財政破綻を目前にひかえた神聖ローマ帝国へと赴いたファウスト博士と悪魔メフィストフェレスは、ありもしない地下の財宝を担保にした兌換紙幣を大量に発行させ一時的に財政危機をしのぐ。 そしてメフィストフェレスの3人の部下の力によって戦争を勝利に導き、皇帝から海沿いの湿地帯の土地を与えられる。 この土地を干拓し自分の王国を築き、さらには海そのものを埋め立てるという自分の計画に心酔したファウストは、菩提樹の丘からの立ち退きを拒む老夫婦を、メフィストフェレスによって強引に新開地に移動させようとする。しかしメフィストフェレスと3人の部下は、老夫婦とそこに居合わせた旅人もろとも殺害し小屋に火を放ってしまう。それを聞いたファウストは、メフィストフェレスを罵りながらこう言う。 私は交換を望んだので、掠奪する気はなかった。 浅はかな乱暴な仕打を、私は呪う。 それを聞いた悪魔の3人はこう歌う。 言い古された文句が、聞こえるようですね、 権力にはおとなしく従え。 もしお前が大胆で、張り合うなら、 家も屋敷もーーわが身をも賭けるんだ。 その後ファウストのもとに4人の「灰色の女」がやってきて彼の視力を奪う。 盲目になったファウストは、メフィストフェレスらがファウストの墓穴を掘っている音を、干拓のつちおとと思い込み、感動のあまり賭にした台詞を言ってしまう。 「瞬間よ止まれ、お前はいかにも美しい」 そしてファウストは悪魔との契約通り息絶える。 以上がゲーテの『ファウスト』第二部のあらすじである。 個人の欲望を叶えることに失敗(第一部)したファウストは、次に「海を埋め立てる」という壮大な計画にのりだす。だがその大計画も、足もとのほんの小さな抵抗によって失敗してしまうのである。 だが悪魔であるメフィストフェレスらは、老夫婦の殺害によって計画がむしろ進行していると思っている。悪魔の理論では、権力にさからうなら「わが身をも賭け」なければならないからである。ファウスト博士が嘆いた「掠奪ではなく交換を望んだ」という言葉も、メフィストフェレスには「抵抗」と「命」の交換と

ヒューマニズムにがまんできない 『人間の条件』

イメージ
人間であるためには条件があるという。 古代ギリシャ文明においては、その条件はびっくりするぐらい明瞭に設定されている。それは、文法、論理学、修辞学、算術、幾何学、天文学、音楽の「自由7科」とよばれるこれらの基礎知識を得たものだけが「人間」の称号をあたえられ、そうでないものは人間以下の生き物だとされた。 キリスト教がうまれ、中世になるとこの考えは否定される。人間は原罪を背負った生き物であるのだから、そのまま肯定できるものではない。そのためには、古代ギリシャのように学問だけをがんばったらすむわけではない。人間の本質・条件は原罪を克服しようとする神への忠誠と愛をつづける過程において実現されるものだというのだ。 この暗い時代の幕開けを告げ、一挙に人間そのものに光をあてたのが、ルネサンスである。ルネサンスでは中世によって否定された、古代ギリシャの知を再度学ぶことで古代ギリシャ人のいう「人間らしさ」を身につけ、人格を磨くという目標をもった。そしてイタリアに端を発したルネサンスの代表的な思想家のペトラルカやマキャヴェッリの人文主義が、ラテン語の「フマニスタ」とむすびついてヒューマニズムという語となった。 だがルネサンス期のヒューマニズムは、現在のような定義ではなかった。あくまでも古代ギリシャ文明やラテン語の文献から「人間らしさ」というものを再発見するその学問的行為を「ヒューマニズム」とよんだのである。 それが現在のような意味の「ヒューマニズム」となったのは18世紀以降である。そこでは問われている「人間の質」が学問だけではなくもっと広い定義となった。 その定義が、古代ギリシャ文明よりも広く寛容になった大きな理由のひとつとして「都市化」があげられる。 慢性的な貧困状態の農村から、人々は都市部へ仕事をもとめて流入してきた。都市部は人口過多となり、人類史上ありえなかった密度で人間が共同生活をしなければならない状態になった。そのなかで、ごく一部の人間が社会の利潤を享受し、その他の大多数のものがさらなる貧困にあえぐ状態となる。この都市部集約社会の典型が18世紀後半のパリであった。この状態に不満を募らせた民衆がバスティーユ襲撃事件をおこし、ついでフランス革命がおこる。 フランス革命期の革命指導者ロベスピエールたちは、この貧困にあえぐ「不幸な人たち」にたいする

均質の共同体は生け贄をうむ 『排除の現象学』

イメージ
1980年代初頭、埼玉県比企郡鳩山村(現鳩山町)にある鳩山ニュータウンの自治会会報「コスモス鳩山」に、次のような匿名の一文が掲載された。 飼い犬に手を咬まれる、という諺がある。信頼しきっていた者に裏切られることの意味で使われる。腹を立てるのも判るが、別の見方をすると、飼い主は犬を盲愛するあまり、犬は咬みつくものだという動物の本性を忘れてしまい、自分と対等の精神の持ち主と錯覚して扱っていたことに問題がある。犬は所詮、犬でしかないことを知らねばならない。 また犬ぎらいといわれる人たちがいる、こうした人達は犬に咬まれた経験を持たなくても、犬が、どうしても嫌いなのだ。犬と聞いただけで、恐怖感や嫌悪感が先に立ってしまう。梅干しと聞いただけで唾液が出るのに似ている。生物学的に犬の理解はできても、またその存在は否定しないが、絶対に好きになれない。たしかにそういう人がいる。しかし、その人達が異常だとは思わない。会社では部下思いであり、家庭では愛妻家であり、子煩悩でもありうる。犬ぎらいな人達をして、犬好きの人が、犬好きに変革させようとしても、徒労に終わるだけ。むしろ、たとえ愛犬であっても近づけないのが思いやりである。 実はこれ、犬の話をしているのではない。その前年に、この鳩山ニュータウン近隣に建設されることになった自閉症者施設「けやきの郷」に反対する住民が、その建設の是非を問う住民投票直前に自閉症者を念頭に書いた反対表明の一文である。 自閉症者施設の建設を住民投票で決定するという異例の事態になるまでに、反対する一部地域住民のために何度か説明会が開催されている。自閉症は精神病ではないこと、自閉症者と犯罪に明確な関係はないこと、この施設がなければ自閉症者は精神病院にしか受け入れ先がないということなど。 話し合いは決裂し、あわや住民投票という事態にまで発展してしまう。だが県知事の介入により投票は直前になって回避される。 上記の文章はその直前に、鳩山ニュータウン住民にむけて書かれたものである。(赤坂憲雄『排除の現象学』) この不気味なメタファーを含むレトリックの矛盾が表しているのは、当時の新聞が書いたような「地域エゴ」の問題だけでも、また赤坂憲雄が何度も言うように、「自閉症に対する社会的偏見」という位相だけで了解しうるものではない。 そこには、均質という中心の

150年前のメディアリテラシー 『火星からの侵入 パニックの社会心理学』『百代の過客 続』

イメージ
1938年10月30日、アメリカのラジオ局マーキュリーシアターでH・G・ウェルズ原作オーソン・ウェルズ演出のラジオドラマ『宇宙戦争』が生放送された。 番組開始前にこのプログラムがフィクションである旨が告げられており、新聞のラジオ番組紹介欄にも「宇宙戦争」と明記してあったにもかかわらず、「ニュージャージーに火星人が飛来し住民を次々に焼き殺している」という音楽を中断した緊急放送のアナウンスに、リスナーは驚き恐怖しパニックをおこしたという。 それほどにオーソン・ウェルズの演出はみごとだった。事実、彼はこの「事件」によって一躍有名になる。 しかしおもしろいのはそこだけではない。パニックになったといってもリスナー全員が慌てふためいたわけではないのである。あくまでも「リスナーの一部」がパニックをおこしたのである。 プリンストン大学の心理学教授であったハードレイ・キャントリルは、さっそくこの事件を、ドラマの舞台となったニュージャージー住民へのインタビューによって調査する。(『火星からの侵入 パニックの社会心理学』) それによるとリスナーのうち27%の人々が、これはドラマではなく「ニュースだと信じた」と回答し、「そのうちの70%が驚いたか不安に感じた」という。 オーソン・ウェルズという名前とほとんどセットで語られる有名なこの事件も、実は73%の人間がその演出にだまされずに最後までドラマとして「楽しんだ」のである。 おもしろいのは、この2タイプがなぜわかれたのだろうか、ということである。 デモグラフィック的な理由として、まずこのラジオドラマをどの時点で聞き出したかということがあげられる。番組冒頭のフィクション宣言を聞き逃したものがパニックに陥る確率はとうぜん高くなる。なんという番組だったのかは知らないが、裏では人気のラジオ番組が放送されていたそうである。その番組終了後にウェルズの『宇宙戦争』へダイアルをあわせた人々が多くいたそうで、その人たちはとうぜんニュース的な演出をいきなり聞かされることになる。 しかしそういったデモグラフィックパターンとはべつの系統として、番組はじめから聞いていようと途中から聞いていようと、あっさりだまされてしまった人々のサイコグラフィックパターンが存在する。手元のラジオ欄を確認することもせず、べつの局の情報で確かめる

従順さは良心的判断の放棄でもある 『人生と運命』『暴力について』

イメージ
取引先の担当者が出てくるまで、打ち合わせルームの片隅で待っていた。隣のブースで社員同士が会話しているのが聞こえる。時間はもう夜の7時すぎである。 年長者が言う。「義理を通すためにも、おまえ会社のために死んでくれるか」 驚いたことに若い社員は「はい。がんばります」と答える。 なんの話なのかはわからないが、まがりなりにもこの会社、上場企業である。「死ね」にたいして「がんばります」という驚くべき会話が、日本の中枢部で平然と話されていることに、おどろいた。 スターリン体制下のユダヤ人迫害と強制収容所の実態を書き、エマニュエル・レヴィナスにして「もっとも影響を受けた20世紀の小説」と言わしめたワシーリー・グロスマン著『人生と運命』の、第50章はおそるべき章である。そこでは、いかにしてごく普通の一般大衆がユダヤ人殲滅に協力することなるかが、明晰に記述されている。 大量殺戮を心の中では恐ろしく思ってはいても、自分の身内のみならず自分自身に対しても秘密にしている。そうした人たちが絶滅キャンペーンの集会が行われる会場を満員にする。そして、そうした集会がどんなに頻繁に行われようと、どんなに会場が広かろうと、何らの発言のないままに満場一致の採決が行われるのを誰かが阻止しようとするケースは、ほとんどあったためしがなかった。 意見というものは黙っていても自ずと口から飛び出してくるものではない。黙っていれば満場一致の賛成票を投じるのとおなじことになってしまう。 そして、これはもう数万ではなく、数千万でさえもない膨大な数の人々が、罪なき人々の殲滅の従順な目撃者となった。しかし、従順な目撃者であるだけではなかった。命令されたときには殲滅に賛成し、どよめきの声を上げて大量殺戮への賛意を表明したのである。 今世紀前半のロシアでおこったことはこの国でもおこりえることだし、従順さにおいてはロシアを上まわるこの国では、スターリンもヒットラーもいないのに、平和なはずのサラリーマンが「会社組織の成長と維持」という名目でたがいに縛りあい監視しあい、従順と忠誠という価値観で競い合っているのである。 『ウォールデン』で有名な19世紀のアメリカの詩人・思想家のヘンリー・デイビッド・ソローは、奴隷制を黙認する政府が課す人頭税の支払いを良心的理由で拒否したために逮捕され

作家をボイコットするものは、最後には焚書をするだろう。 ギュンター・グラス『玉ねぎの皮をむきながら』

イメージ
『ブリキの太鼓』などでノーベル文学賞を受賞したギュンター・グラスが、ドイツの「南ドイツ新聞」において『言うべき事』という散文詩を発表した。そのなかでグラスは、多くの核ミサイルを保有し(全米科学者連盟のハンス・クリステンセンによれば80機だと推定される)、NPT核不拡散条約加盟に拒否しているイスラエルが、世界平和において脅威であると語っている。 イスラエルはこの詩への対抗として、ギュンター・グラスを「ペルソナノングラータ(好ましからぬ人物)」として入国禁止処置にしたそうである。(ロイター 4/9) その国家にとって「好ましからぬ」人物であれば入国をボイコットできるという法の行使を、ひとつの国家にとっての「権利」と呼んでいいのだろうか。グラスはイスラエル人の生命や財産を脅かす犯罪者ではないし、ホロコーストを肯定しているわけでも、イランのスパイというわけでもないだろう。世界平和にとってイスラエルの核が問題なっている、と発言しただけである。れっきとした国家が、たったひとつの「詩」への対抗として入国禁止処置をとるというのは、国家主義、ひいては全体主義なのではないか。それならば、自国民がグラスとおなじ発言をすれば、イスラエルはその人物を国外追放しなければならないのではないか。そうであるなら、イスラエルに言論の自由は存在しないことになるのではないか。 イスラエルの作家ヨラム・カニュクはこのことを、 作家をボイコットするものは、最後には焚書をするだろう と表現している。(独ZEIT ONLINE) ナチスによる焚書の目的は「非ドイツ的な文学を消滅させ、ドイツ文学を純化させること」であった。おなじ思想のものだけを保護し、異分子を排除するというのである。 イスラエルはナチスによって燃やされたシオニズムの書物の復讐を、60年前にナチス親衛隊であった過去をもつこの84才の作家に対して行おうとしているのだろうか。 ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネは19世紀においてすでにこう予言している。 本を焼くものは、いずれ人間をも焼くだろう イスラエルが核をもつことは非常に危険である。それはNPT不参加という事実よりも、イスラエルには「人間を焼く」道に行きかねない危うさがあるからである。

スターリニズムを生き延びた作家たち 『尋問』『アルバート街の子供たち』『収容所群島』『人生と運命』

イメージ
たぶん1940年代後半のポーランド。場末のキャバレーで歌う歌手のアントニーナは、夫とのささいなケンカがもとで夜半外出し、見知らぬ2人組の男たちに誘われるままバーに行き泥酔してしまう。 翌朝、目が覚めると留置所のようなところである。昨夜の2人組は秘密警察の男で、アントニーナは身に覚えのない尋問を受けることになる。なんの罪名によって、どのような自白を強要しているかもわからぬまま、執拗な尋問は何日にも及ぶ。 そのうち、アントニーナにも彼らがなにを欲しがっているのかがおぼろげに見えてくる。彼女がかつて一度だけ寝たことのあるゆきずりの男オルツカが、国家反逆罪に値するという供述がほしいのである。嘘の供述を拒否するアントニーナは、秘密警察によって執拗な尋問や拷問、精神を痛めつける死の恐怖を味わわされることになる。 その後、秘密警察の少佐タデウスの子を身ごもったアントニーナは、彼からオルツカがすでに銃殺されていること、夫の離婚申請が受理されたことを聞く。それでも、彼女への尋問は終わらないのである。 はじまりと同じような唐突さで、5年目にしてようやく彼女は自由の身となる。彼女が釈放される直前、収容所の刑務官や兵士があわてている様子が描写される。この無意味な尋問と5年もの長きにわたる監禁状態を終わらせたのは、ソヴィエト・東欧にとっての歴史的大事件であった。劇中、ひとりの男がさけぶ。 「スターリンが死んだ!」 リシャルト・ブガイスキ監督、エクゼクティブプロデューサーにアンジェイ・ワイダを迎えたこの『尋問』という映画をみたとき、アントニーナのあまりにも不条理な運命に「もしかして原作はカフカ?」とさえ思ったものであった。それほどアントニーナのおかれた状況は「カフカ的」であり、スターリン体制下の閉塞状況は想像を絶するものであったのだとわかるのである。 レーニンの死後、彼の遺言を力ずくで反故にしたスターリンはみずから党代表となり、じっさいの後継者と目されていたトロツキーを国外追放(のちに暗殺)し、反対勢力のキリーロフを殺害したころから一挙に独裁恐怖政治を布くようになった。それは彼の死の1953年までつづくのである。 スターリンが死去することで開放されたのは『尋問』のアントニーナだけではない。もしスターリンがもう少し長生きしていたら、かの悪名高い「医師団事件」によりロシ

インドの畸形たち タブッキ『インド夜想曲』

イメージ
はじめてインドに行ったとき、ご多分にもれず「インドショック」のようなものを感じた。残飯をあさる野良犬ならぬ野良牛、しつこい物乞いや物売り、たぶん12、3才ぐらいの力車ひき、子供の乞食、不衛生な食堂、好奇心をまったく抑えない男たち、ウソばかりつくタクシー運転手、賄賂をねだる公務員、平気で5時間遅刻する電車、ガンジスをながれる死体・・・どれもこれも日本の標準的な価値観や常識では対処できないことばかりであった。 しかしインドも2度目以降ともなると、それらの「インド常識」も予測範囲内となり、旅行者もその対処方法が見えてくる。つまりは慣れるのだ。 しかしどうしても慣れないものもある。なんどインドに旅行しても慣れなかったのは、腕が3本あったり、口の横まで裂けた眼窩をもっていたり、象のような足をした、いわゆる奇形の人間たちである。それが白昼堂々と人通りの多い街角で物乞いをしている。物乞いをしているからには、自分の奇形の身体を商売道具としているわけだ。それがわかっていても、つい目を背けてみなかったことにしてしまおうと、無意識に反応してしまう。直視する勇気がどうしても出ないのである。直視することもできないものにたいして、だから感想や意見が出せるわけがない。「ヤバかった」とか「気の毒に・・・」とかさえ出てこない。ひたすらチラ見した記憶を封印しようとする心理が、なぜか働いてしまう。 人間は極度のショックを受けるとその記憶を消そうという無意識が働く、という話を聞いたことがある。それでいうなら、あの奇形の物乞いたちにたいする封印の努力は、ショックによる心の乱れを食い止める作用であるとも言える。つまりは、それぐらい彼らを見るのは辛いのである。 アントニオ・タブッキの中編『インド夜想曲』の主人公は、失踪した友人を捜すためにインドにやってきた。しかしこのミステリー調のプロットが描きだすのは、そもそも主人公は誰を捜しているのか、その友人とは実在した人物なのか、彼はほんとうに人捜しをしているのか、という逆説的な疑問である。読みすすむうちに、この不眠症的な旅行自体が存在しなかったのではないか、すべては主人公の夢想なのではないかという気になってくる。 探しているのは自分自身であった、という凡百のオチをさけるため、タブッキは後半に奇形の人間をもってくる。その額に触れるだけでその人間

ディアスポラと放射線 『津波の後の第一講』『ディアスポラ紀行』

イメージ
ファラオの王に奴隷状態で強制移住させられていたユダヤの民を率いて、モーセはエジプトを脱出する。エジプトからシナイ山にむかう途中に紅海が大きく割れて、神がモーセ一行をエジプトの追っ手から逃がす件は有名である。いわゆる「出エジプト記」である。 キリスト誕生以前のこの世界的に有名な歴史的事件以降、ユダヤの民は「祖国」というものをもたなかった。もちたくてももてない、そもそももう帰るところがない。そのような暴力を介して故郷を追われる離散状態を、古いギリシャ語からとって「ディアスポラ」という。 ディアスポラ文学というと、一般的にはユダヤ文化の離散をテーマとした文学を指すことが多い。 しかしいまやユダヤの民はイスラエルというれっきとした国家をもっている。アウシュビッツを生き延びたユダヤ人作家プリーモ・レーヴィは、ナチス支配下の中欧・東欧ではシナゴーグをふくめたユダヤ共同体が消滅したため、その受け皿としてのイスラエル建国は必要であると説いた。しかし1982年にイスラエル軍がPLOの拠点を壊滅させると称してレバノンに侵攻したことを受けて、レーヴィは「攻撃的なナショナリズムが強まっている」として反対の声明を出す。(徐京植『ディアスポラ紀行』) ディアスポラの民であったユダヤ人が、3000年後のいまやパレスチナを徹底的にディアスポラとして殲滅しようとしているのは、レーヴィの「ディアスポラ文化は寛容思想であり、攻撃的ナショナリズムへ抵抗する責任でもある」という言葉をひくまでもなく悲劇的であり、とうてい許されることでもない。 そもそも国家をもたないユダヤの民が、ナチスによってさらに離散を強いられる二重のディアスポラはレーヴィだけの問題ではない。 現代思想に多大な影響をあたえたフランクフルト学派のベンヤミンは、『パサージュ論』の原稿を亡命先のパリ国立図書館に隠した。ナチスによるパリ陥落を目前に、散逸をおそれて当時の図書館長のジョルジュ・バタイユに託したと言われている。その後アメリカ渡航のビザがおりず、ベンヤミンは徒歩でスペイン国境を越え、当地の警察に拘束されポルボウで自殺している。 ナチスから逃れてディアスポラとなったユダヤ人作家なんて、言い方はよくないが山ほどいる。ベンヤミンは自死してしまったけれど、アーレントにせよアドルノにせよ、ナチスを逃れてアメリカやイギリスに亡命し

歴史書のコンテクスト 『千夜一夜物語』『イスラームから見た世界史』タミム・アンサーリー

イメージ
『千夜一夜物語』の語り手であるシェヘラザードは真剣だった。なんせ夜とぎの物語がおもしろくなかったり話が途絶えてしまったりすると、翌朝に自分は殺されてしまうのだから。王は女性への猜疑心から初夜の翌朝に妻を殺すのを慣わしにて、もはや 3000 の処女を処刑してきたのだ。次は王の新妻であるシェヘラザードの番だった。興味深い物語を話すことで彼女は延命を図ったのだ。だから物語がおもしろいというのは当然として、シェヘラザードのつむぎだす物語にはさまざまな技巧がこらせてあった。 そのもっとも重要なものが、物語の複雑な入れ子構造(ネスト)である。ある商人がジン(精霊)にであった物語の話中に、ジンが語るべつの貴族の物語がはじまる。さらにその貴族の話のなかで、貴婦人が語る乞食の話が挿入され、さらに乞食がまたべつの話をする、といった具合である。これが複数個併置され、さらには複数回のネストをしており、それらのネストした大量の物語すべてが、それらを夜とぎとして語るシェヘラザードの物語という大構造のなかに納まっているのである。 命がけの物語であることを考えると、この複雑なネストの意味も理解しやすい。入れ子構造であれば、物語全体を終了することなく永遠に続けることができる。王の興味をひかなかった話がひとつあったとしても、その物語を内包する「親ストーリー」が彼女の翌日への命を担保するのだ。シェヘラザードにしてみれば、ネストの数は命をかけた保険の数に等しいのである。 事実、シェヘラザードはこうして 1000 日におよぶ命がけの夜とぎをやり終え、王は彼女を王妃として迎え入れ深く改心したという。めでたしめでたし。 ところがこのネスト、アラビア語のレトリックではめずらしいことではないらしい。 もっとも古い文献では、アッバース朝時代の歴史学者イブン・ジャリール・アル・タバリー( 839 ~ 923 )の『諸預言者と諸王の歴史』にその独特のパラフレーズをみることができる。 39 巻からなる『諸預言者と諸王の歴史』は、アダム誕生からヒジュラ歴 303 年(西暦 915 年)までのできごとを記録した歴史書である。 9 世紀の歴史学者イブン・イスハークの『預言者伝』を参考にして書き上げたというこの書物、後のイスラーム法学者や歴史学者必読の非常に重要な書物なのだが、われわれの考える

ポール・セローはケープタウンへ 『ダーク・スター・サファリ』後編

イメージ
ポール・セロー『ダーク・スター・サファリ』の書評後編。 前編は こちら 。 ダルエスサラーム ヴィクトリア湖を船で渡り、セローはタンザニアの首都ダルエスサラームへ到着する。 セローのダルエスサラームの描写はそれほど詳細ではない。タンザニアについて詳しくその社会をしりたいのなら、リヒャルト・カプシチンスキ『黒檀』をオススメする。 カプシチンスキ『黒檀』 カプシチンスキがタンガニイカ(現タンザニア)に到着したのは1962年であった。独立の2年前である。カプシチンスキは本国に引き揚げるイギリス人から中古のランドローバーを買う。その四駆は非常に安かった。なぜなら独立を目前にして、イギリス人は逃げるようにこの国を去っていったからである。朝、いつもとかわりなく植民地行政の役所に登庁すると、自分の席にタンガニイカ人が笑顔で座っている。「今日からこの仕事はオレのもんだ。いままでごくろうさま」といわれてイギリス人職員は失業する。そのような「交替」が国中でおこったのだ。カプシチンスキはこの交替劇にタンザニアの問題を早くも予見している。 タンザニアの植民地行政で働くイギリス人は、本国にいるときはみなごく普通の中産階級の人間だった。だが植民地行政府職員のなり手はおおくなかったから、国はかなりの手当をつけた。本国では「目立たぬ郵便局員」だった男が、タンザニアに転勤になったとたん、庭とプール付きの豪邸、何人もの執事とメイド、乗用車での送り迎え、おまけにロンドンとの航空券つき休暇までもらえて、地元の黒人たちからは神様あつかいである。しかも、たいしてやることもなくふんぞり返って命令するだけの仕事である。 それが、一夜にして交替である。ユルユルのぬくぬくの完成されたポストに、突如として地元のアフリカ人が就く。つい最近まで奴隷として仕えていた立場に、自分が就いているのである。傲慢不遜にならないほうがおかしいだろう。宝くじにあたって頭がおかしくなる人と一緒である。それが全国規模で、さらに悪いことには国政の中心部までがそのような激烈な交替を体験したのである。 カプシチンスキは安くでランドローバーを買えたからよかったが、タンザニアといわずアフリカの急激な独立をはたした国の政治と役所がとことん腐敗しているのは、このような理由もあるだろうと思える。

うつ病とメランコリア 『メランコリア』ラース・フォン・トリアー

イメージ
うつ病の人がおおい。厚生労働省の調査結果では日本人のおよそ15人に1人はうつ病だという。うつ病を発症させる因子が社会性ストレスといわれているところから、現代病の一種と考えている人もおおいようだが、そうでもない。増えたのは、この病気が社会的に認知されたからである。 うつ病という名前がなかった昔は、それを「メランコリア」と言っていた。紀元前400年頃すでに、「医学の父」とよばれるヒポクラテスがこの悩ましい病気について言及している。 ヒポクラテスによると、人間には4つの体液があるという。血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つの体液が正しい状態にないと、人は病気になるという。これを「四体液説」という。 四体液説を信じている医者はもういないが、それでも体内のバランスが崩れて病気になるという考え方はいまでも通用している。なんのバランスなのか指摘できないのに、やたらとバランスが大事だという人がいるのは、2400年前に流布した四体液説のなごりかもしれない。 その四体液説のうちの黒胆汁が過多になると患うのが、メランコリアである。メランコリアになると悲しみや不安や憂鬱をかんじ、病気が進行すると無気力になり、妄想や幻覚をみることもあるという。つまりいまでいううつ病である。 16世紀初頭の版画家アルブレヒト・デューラーの傑作『メランコリアⅠ』は、まさにこの鬱気質を描いている。 版画の中で、小屋の前に腰かけた翼のある人物が右手にコンパスと本を抱えている。しかし彼女が見ているのは手元の本ではなく、版画の枠外のどこか遠くのようである。足もとには大工道具が転がっており、痩せた犬が寝そべり、不思議な多面体が置かれている。はしごが立てかけられた背後の小屋の壁には、魔方陣が描かれ、鐘、大きな砂時計、はかりがつるされている。背景は波のない海のようであり、上空に虹が架かり、その向こうを巨大な彗星が飛んでいる。 「うつ病」というアカデミックで散文的な用語にはなく、「メランコリア」という言葉には存在する意味に、憂鬱、憂い、思索、悲哀といったものがある。デューラーの『メランコリア』には、そのどれもが含まれているように思える。暗い顔の天使は、うつ病というよりもなにかを憂いているようにも見えるのである。 ヒポクラテスの四体液説は、物質の四大元素(空気・火・水・土)につながっ

ポール・セローと旅するアフリカ縦断 『ダーク・スター・サファリ』他

イメージ
『ダーク・スター・サファリ』ポール・セロー ポール・セローのひさびさの日本語訳。それもアフリカ縦断の旅。しかも691ページ。英治出版社の「オン・ザ・ムーブ」シリーズの3冊目。先にブルース・チャトウィン『ソングライン』、ニコラ・ブーヴィエ『世界の使い方』が出ている。シリーズなのにそれぞれ判型が違うというちょっとイキな装幀。 書店に平積みされているのを見て、この分厚さは自分への挑戦に違いないと思い込んで購入。さっそく読み始める。 セローはかつて『中国鉄道大旅行』を読んだ。あの知的な痛快さはまだのこっているだろうか。セローの足跡をたどりながら、日本ではなじみの薄いアフリカとそこで生まれた文学の旅をボクもしてみようと思った。 カイロ セローの旅はエジプトはカイロからはじまる。スーダンのビザがおりないためカイロに足止めをくらって、セローはナイルを行ったり来たりする。 ある夜、カイロのホテルで作家のナギーブ・マフフーズと出会う。マフフーズは06年に死んでいるから、セローのこの旅はその直前だろう。耳の遠いマフフーズをかこんでカイロの知識人たちが政治談義をしている場面が興味深い。 マフフーズは88年にアラブ世界ではじめてノーベル賞を受賞した。代表作『バイナル・カスライン』はエジプト独立戦争を背景にバイナルカスライン通りに住むアフマド一家の3代にわたる物語。ハサン・イマームによって映画化もされている。 マフフーズと「 アフリカ文学」 先日、ジュンク堂の外国文学の棚を見ていると、マフフーズの新刊『張り出し窓の街』が「アジア文学」コーナーに配架されているのを発見した。「マフフーズはアラブ文学だから、アラブ=中東だろう。中東はアジアだからマフフーズはアジア文学になる」そういう発想なのだろうが、マフフーズはエジプト人である。厳密に地域でわけるならマフフーズはアフリカ文学に入れられるべきである。だが、「アフリカ文学」と言ったときのニュアンスと、「アラブ文学」とのニュアンスは違いすぎる。アフリカにも文学にもほとんど興味のない人間が思い浮かべる「アフリカ文学」といえば、アイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』(映画『愛と哀しみの果て』の原作)やポール・ボウルズの『シェルタリング・スカイ』などのアフリカを舞台にしただ

イスラームへの旅 サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』

イメージ
1991年7月11日、筑波大学助教授の五十嵐一が研究室のあるビルのエレベーターホールで何者かに殺害される事件がおきた。前年の1990年に五十嵐教授はサルマン・ラシュディによる長編小説『悪魔の詩』の日本語訳を上梓しており、そもそも『悪魔の詩』は当時イラン最高指導者であるホメイニによって禁書とされ、著者であるラシュディは死刑宣告のファトワ(イスラムの勧告)をうけていた。同年にはイタリア語版の訳者が襲われ重傷を負い、93年にはトルコでこの本の研究者の集会会場が襲撃され37人もの死者をだしている。 この本のなにがそんなにイスラーム指導者を怒らせたのか。 理由は2つだと考えられている。ひとつは予言者ムハンマドの12人の妻とおなじ名前の娼婦がでてくることである。とくに最初の妻ハディージャは世界最初のイスラム教徒であり、ハディージャの実家であるハーシム家はメッカの迫害から最後までムハンマドを保護し続けた名家なのである。しかしこれは表面上の理由だろう。作者であるラシュディもここになにか本質的な問題を含めたわけではないだろうとおもわれる。 もうひとつはムハンマドと悪魔との取引に関してである。もともと多神教であったメッカは、メディナで勢力を拡大し続けるムハンマド率いる「イスラーム共同体」に恐れをなし、停戦協定を申し出る。その取引条件というのが、イスラームのアッラーを認めるかわりにカアバ神殿にまつられる多神教の神々を認めろ、といものである。じっさいクルアーン53章にはムハンマドが多神教を認めたともとれるような記述が存在した。のちにムハンマドはこれは悪魔が書かせたものであるとして撤回したのだが、ラシュディの小説には、そのメッカとの取引において、正しい信仰であるイスラームをひろめる合理性や共同体の仲間への身を案じ、多神教の偶像を認める決断をする場面が克明に書かれている。 しかし2段組上下巻600ページの、けっしてみじかくも読みやすくもないこの『悪魔の詩』を読み切ってみると、キリスト教でもましてムスリムでもないわれわれ一般的な日本人には、どちらかというとイスラームの擁護をしているようにかんじられるのである。 その最たる部分が、この長い物語の強力なサブプロットをとる絶世の美女アーイーシャの物語である。 天涯孤独の孤児アーイーシャは、そのこの世のものと

追悼テオ・アンゲロプロス 『旅芸人の記録』『狩人』『エレニの旅』

イメージ
鏡の前にたち、まず最初に自分の右目に注目する。つぎに左目に注目する。これをすばやく5、6回くりかえす。くりかえしどちらの目に注目してみても、自分はなにも動いていないように思えるはずである。まして眼球はうごいていないようにみえる。 ところがこの行為を横から観察している人には、鏡をのぞき込む者の眼球が激しく動いているのがみえる。 あるいは自分の手元をみているとき、声をかけられて振りむくとする。真後ろにたつ知り合いの顔まで首と眼球を移動させるのに1秒ちかくかかったとしても、その1秒間の「あいだ」の映像はほとんどまったく記憶にものこらないし映像にさえならない。手元と、知り合いの顔のふたつが隙間なくならぶ映像だけが脳にのこるのである。 つまり人間の脳は、移動の影響でぼやけてみえる視覚情報を切り落とし、意味のある映像だけをのこす、という処理を常にしているのである。このことについて映画編集者のウォルター・マーチは「脳の視覚野がコンスタントに知覚したものを編集している」と表現している。(マイケル・オンダーチェ『映画もまた編集である』) この脳の処理能力のおかげで、だからわれわれは映画をみてその筋や意味についていくことができる。爆発する車の映像のあとに、吹き飛ばされて転げ落ちる主人公をみてその両方を接続させる意味を瞬時に人間は発見する。その間の眼球の動きが知覚する映像はもともと脳がリダクションしているものだから、擬似的な知覚映像においてもその編集はすんなりと脳がうけいれるのである。 それがわかっているから、映像作家たちは脳の処理の限界まで意味をつめこむ。つまりカットをおおくすることで、おなじひとつの尺によりおおくの意味を入れようとするのである。 その最たるものが日本固有の15秒CMである。世界的に流通している30秒の半分しかないから、おのずとひとつひとつのカットがみじかくなる。なかにはストーリーのオチに0.5秒さえかけないCMもある。0.5秒以下のカットで人間が認識できるのは、映像のごく中心にあるものだけだ。カメラの中心にいる登場人物の表情が笑っているのか泣いているのか程度の認識でオチがつく(つまりストーリーが完結する)ぐらいの簡単明瞭なものしか、だから15秒では表現できない。ここまでみじかい尺によりおおくの意味をつめこみ、それを目の回るような早さでカ

ルソー、グーグル、ジェダイ 『スターウォーズ』『一般意志2.0』『社会契約論』

イメージ
ジョージ・ルーカスのSF映画『スターウォーズエピソード2』のなかで、のちの銀河帝国皇帝であるパルパティーン議長に帝国主義的思想の影響をうけつつあったアナキン・スカイウォーカーは、恋人パドメとの甘いデートの最中、権力と力による統治の夢をかたる。それを聞いたナブー星議員でもあるパドメは驚愕して叫ぶ「本気なのアナキン?」。このくだりはパドメがアナキンの発言を冗談だとかってにミスリードして決着するが、恋人の発言が多少独裁主義的だからといって、目を見開き眉間にシワをよせて恋人の失言を責めるほどのことであるのだろうか、という疑問がのこる。 ボクはなにもSF映画の娯楽ファンタジー作品に、重箱の隅をつつくようなリアリズムのツッコミいれたいのではない。スターウォーズというSF大作が根底に据えている、人々の(なかにはエイリアンの)揺るぎない大義への矛盾が、はからずもわれわれ21世紀にいきる現代人の抱える矛盾の巧妙な鏡像のようにみえるからである。いわくそれは、どちらも民主主義そのものの矛盾であり、崩壊の予兆でもあるのだ。 長い『スターウォーズ』シリーズのなかでも後半に作られた3作「エピソード1、2、3」はいわばジェダイ騎士団の大敗の物語である。と同時にジェダイが死守しようとする議会制民主主義の敗北の物語である。 そもそもその物語のはじまりから銀河連邦議会はただしく機能していないようにみえる。独立国(星)であるはずのナブーにある日とつぜん交易権拡大のために通商連合、つまり資本家による売買の利潤のみを追求する現代でいうヘッジファンドのような組織が侵略してくる。主権を侵されたナブーは代表団を銀河連邦議会に派遣しナブーの窮状を訴えるが、議長は官僚のいいなりの傀儡政権であり議員たちも自己と地元の利益を優先するばかりでことはいっこうにすすまない。後のダークシディアスであるパルパティーン議員は、議長不信任案を可決させたあとナブーへの同情票を集めてみずからが銀河連邦議長となり権力奪取をはかる。そもそもナブー問題は不信任案を可決させ議長に信任するための手立てでしかなかったのだから、事件はそれでもいっこうに解決しない。健全に機能していない議会に見切りをつけ、ナブー代表団はみずからのちからで通商連合と戦う道をえらぶ。 そこにからむのがジェダイである。ジェダイは銀河連邦議会から切り

イデオロギーによるリンチ殺人 山本直樹『レッド』・ドストエフスキー『悪霊』・山城むつみ『ドストエフスキー』

イメージ
1969 年末から 70 年 2 月にかけて、「山岳ベース」とよばれる山中の「アジト」に潜伏した連合赤軍の中核組織「革命左派」の若者ら 30 名は、「総括」とよばれる他者批判と自己批判運動による「思想点検」から発展した暴力行為によって、アジトこもる 30 名中の 12 名を集団リンチによって殺害した。その前年の東大安田講堂陥落いらい国民の支持を喪失したこれらの新左翼は、強硬姿勢を強めた警察の検挙もあってますます過激で硬直した組織へと坂道を転げ落ちるように転落し、ついには社会改革とは似ても似つかぬテロリストとなり、おたがいを殺しあうようになってしまったのだ。 その殺害方法がまたおぞましい。生きたまま縛りつけアイスピックを突き刺したうえで厳冬の屋外に放置する、食事を与えずロープでつるしたまま何日にもわたって殴打される。なかには妊婦を殺害後、腹部を開いてその胎児をとりだそうとさえしたものもあったらしい。俗に言う「山岳ベース事件」である。 そのなかのさらに先鋭化した 5 人が群馬県側に逃げ、軽井沢の浅間山荘に人質をとって立てこもった。これが「あさま山荘事件」である。 その過激すぎる思想、殺害の残忍さ、殺人の動機がイデオロギーであったこと、また彼らのほとんどが高学歴の優秀な大学生であったこと、また浅間山荘での立てこもり事件がテレビによって大々的に生中継されたはじめての報道であったことなどから、日本犯罪史上類を見ない事件といわれている。 だからこの事件をテーマにした文学作品や映画がおおくつくられている。軽い気持ちで引き受けられるようなテーマではないので、どの作品も質的に相当重いものばかりである。 もっとも有名なのは立松和平の『光の雨』だろうか。もはや老人となった、山岳ベース事件に関与したもと連合赤軍メンバーの語る記憶、というスタイルで物語がすすむ。 最近では雑誌「イブニング」に連載中(2012年1月現在)の山本直樹のマンガ『レッド』がある。物語の端々に最終的な悲劇を彷彿とさせる描写(殺される順番に登場人物に番号が振ってある、副題が 1969 ~ 1972 など)があるが、全体的に感じるのは、異常な思想の極悪犯罪者を描くのではなく、まるで学生の群像劇のように描写する山本直樹一流のその「クールさ」である。 映画で特筆すべきは熊切和嘉の『