インフレする暴力映画 『ファニーゲーム』

父と母と息子ひとりのごく平凡な家族が避暑のため湖畔の別荘にいく。母が夕食の用意をしているとき、白い服に白いズボン、白い手袋をしたふたり組の男が「たまごを貸してくれ」といって突如やってくる。白手袋の男たちはそのままその別荘に居座りつづけ、家族を縛りあげたうえでこう宣言する。「おもしろいゲームをしよう。明日の朝までにきみたちが生き残れるか、それとも全員惨殺されるか、どちらかに賭けるのだ」。それから、白手袋たちによる罪のない平凡な家族の惨殺物語がはじまるのである。
ミヒャエル・ハネケ監督『ファニーゲーム』はほんとうに観客をいやーな気分にさせる最低のゴミクズ映画である。ここでは映画が潜在的に持っているすべてのセオリーと調和が、一切の容赦なく反故にされている。だからゴミクズ映画なのだが、しかし最強なのである。
まずもってこの映画はアンチスリラー映画である。正義がかならず勝つ、という映画制作者と観客の暗黙の了解が無視されている。いったんそのセオリーを解除してしまうと、観客は感情移入に混乱をきたす。感情的にぺったりと張り付く人物を見失って、映画鑑賞の指針を見失ってしまうのである。だから白手袋に憎悪をかんじながらも、なぶり殺しにされる惨めな家族によりそうこともできない。あくまでも被害者家族は第三者であって、鑑賞者である自分と主人公がぴったりと重なることはないのである。だから劇中、白手袋の男は突然スクリーンにむかって話しかけたりする。観客はあくまでも観客なのである。
次に、これだけ凄惨で救いようのない暴力を描きながら、ハネケはただの一度も暴力そのものを描写していないことがあげられる。この映画では、暴力はかならずスクリーンの外側で発生しており、われわれ観客はその事後によって不運な家族のひとりが殺されたことを知るのみである。
コワイ映画、凄惨な映画、グロテスクな映画であれば、この『ファニーゲーム』以上のものが山のようにあるだろうし、レンタルビデオショップにいけば専門のコーナーさえ用意されている。だがそんな映画をみても満足することはまれである。なぜなら観客はもう暴力のあらゆる描写になれてしまい、よほどの技術的新奇さがないかぎり満足できない体質になってしまっているからだ。当時は失神者が続出したというR・ブニュエルの『アンダルシアの犬』であるが、今では目玉をカミソリで切り裂くかの有名なシーンも別段おどろくほどの描写ではなくなってしまっている。つまり、暴力の描写そのものが極度のインフレーションをおこしているのだ。
だからハネケは「暴力の描写に慣れきった観客に暴力そのものをみせてもしかたがない」というのだ。「映画のなかの暴力と観客との関係性をみせる」ことで、観客を観客という立場のまま暴力の渦中に引き込むのである。

暴力を描写せずに暴力そのものを描く、という命題は、古くはデビッド・リンチの『ローラ・パーマ最後の七日間』にみることができる。この映画が人気テレビシリーズ「ツインピークス」の解決篇であると知っているほとんどの観客には、この映画の主人公が最終的には惨殺され、ビニール袋につめられて湖にすてられる女であることが了解済みである。
だから彼女の破りとられた日記、ヘロイン、みだらな性生活、家族との関係、恋人、友人、そのどれもが最終的にローラ・パーマを殺す暴力へとつながっていることを知っている。
ツインピークス村という閉鎖社会さえも、その裏ではどす黒い欲望と悪意にみちていることも知っている。ローラ・パーマをふくむすべての環境が、暴力という解決方法しかもたないという、絶望的な状況から物語が出発しているからである。
この状況を作り上げることができたのであれば、暴力そのものを描かなくてもローラがヘロインを吸うたびに、あるいは男たちとSMプレイをするたびに、観客はそこに暴力の兆しを読み取るようになる。

インフレする暴力映画は、つまるところエロビデオのようなものである。もっと過激に、もっと自分の趣向と合致するようにと、観客が欲望を発散させている。その発散に付き合ってしまうと、供給と需要の数出し合戦になってしまう。欲望を対象とする以上エロビデオが根本的解決をうまないように、それ以上に過激な暴力描写がうまれると以前の作品は無意味となるのだ。それなりのマーケットが見込めるからそれでも供給者は映画を制作するのであるが、反対に鑑賞者の立場を考えると、その数出し合戦に巻き込まれないほうがいいはずである。
エロビデオにだってハネケのような作品があるのかもしれないが。


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