ポール・セローはケープタウンへ 『ダーク・スター・サファリ』後編


ポール・セロー『ダーク・スター・サファリ』の書評後編。
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ダルエスサラーム
ヴィクトリア湖を船で渡り、セローはタンザニアの首都ダルエスサラームへ到着する。
セローのダルエスサラームの描写はそれほど詳細ではない。タンザニアについて詳しくその社会をしりたいのなら、リヒャルト・カプシチンスキ『黒檀』をオススメする。


カプシチンスキ『黒檀』
カプシチンスキがタンガニイカ(現タンザニア)に到着したのは1962年であった。独立の2年前である。カプシチンスキは本国に引き揚げるイギリス人から中古のランドローバーを買う。その四駆は非常に安かった。なぜなら独立を目前にして、イギリス人は逃げるようにこの国を去っていったからである。朝、いつもとかわりなく植民地行政の役所に登庁すると、自分の席にタンガニイカ人が笑顔で座っている。「今日からこの仕事はオレのもんだ。いままでごくろうさま」といわれてイギリス人職員は失業する。そのような「交替」が国中でおこったのだ。カプシチンスキはこの交替劇にタンザニアの問題を早くも予見している。
タンザニアの植民地行政で働くイギリス人は、本国にいるときはみなごく普通の中産階級の人間だった。だが植民地行政府職員のなり手はおおくなかったから、国はかなりの手当をつけた。本国では「目立たぬ郵便局員」だった男が、タンザニアに転勤になったとたん、庭とプール付きの豪邸、何人もの執事とメイド、乗用車での送り迎え、おまけにロンドンとの航空券つき休暇までもらえて、地元の黒人たちからは神様あつかいである。しかも、たいしてやることもなくふんぞり返って命令するだけの仕事である。
それが、一夜にして交替である。ユルユルのぬくぬくの完成されたポストに、突如として地元のアフリカ人が就く。つい最近まで奴隷として仕えていた立場に、自分が就いているのである。傲慢不遜にならないほうがおかしいだろう。宝くじにあたって頭がおかしくなる人と一緒である。それが全国規模で、さらに悪いことには国政の中心部までがそのような激烈な交替を体験したのである。
カプシチンスキは安くでランドローバーを買えたからよかったが、タンザニアといわずアフリカの急激な独立をはたした国の政治と役所がとことん腐敗しているのは、このような理由もあるだろうと思える。

マラウイ
ダルエスサラームからキリマンジャロ急行でムベヤに行き、死のドライブをまたしても経験したあと、セローは歩いてマラウイの国境を越える。
マラウイのくだりは他の国と少々ちがう。記述が生々しく、読んでいるとアフリカの本当の問題がここにはあるという気になる。
それはセローが35年前この国で教師をしていたからだ。あのときから、マラウイはなにも変わっていない。変わっていないどころかこの国はもっと悪くなっている。学校のガラスは割れ、図書館の本はほとんどすべて盗まれている。なによりセローが気になったのは、床にゴミが散乱してだれも片付けないことだ。ドイツに赴任したこともあるという外務省の官僚との夕食でセローはこういう。「金がないのはよくわかる。でもなぜだれもゴミだらけの床を掃除しないのです?」
「定期的に視察団が見回っているのですが」と答える同席した官僚は、一方でインド人の商売を笑う。彼らがいなくなってよかった、インド人はアフリカ人を貧しくする、と。
セローはウガンダの首都カンパラのマケレレ大学で、ノーベル文学賞作家のV・S・ナイポールと同僚だった。ナイポールのアフリカ観は悲観的であった。それは彼がインド人だったからだ。
ウガンダのクーデターで大統領になったアミンは、まずはじめにインド人排斥をおこなう。インド人がもうけることによって、アフリカ人は貧困をおこしているという理論である。その幼児的短絡思考による迫害は、アミンがはじめたわけではなかった。もともとアフリカ人には簿記、帳簿、棚卸し、そして商売と私生活をわけるという発想が不得意であった。だからインド人は普通に商売をしてもうけることができた。それがアフリカ人には不満であったのだ。
ところがインド人を排斥して35年たったリロングウェ(マラウイの首都)の街並みをみてみると、すべての商店が閉鎖されていた。官僚は言うのだ。「アフリカ人にあんなちまちました仕事なんてできません。いち、にい、さんって。インド人の仕事はいつでもこうです。いち、にい、さん」。「それが商売というものだろうが」という怒りをセローは飲み込む。そのかわりに、「ご子息もどうかこの国で教師をしていただきたい、この国にはあなたの息子たちが必要なのだ」というアフリカ人の元同僚に、こう言うのだ。「うちの息子たちはインドや南米で教師をしている。必要なのはあなたの息子たちだ。アフリカ人にしかこの国に変化をもたらすことはできない」


ナイポールのアフリカ観
ナイポールの『暗い河』は、このアフリカ人の未来を暗く予言した小説である。アフリカならではの深刻に考えない楽天的な未来は、ここには一切ない。セローはナイポールのこの悲観を、インド人のアフリカ人に対する強迫観念によるのだと分析する。ナイポールが幼少をすごしたインド領トリニダードも彼の恐怖と怒りの形成に重要な役割をしているという。たしかに、弁護士であった若きガンディーが、人間の作りだした醜い掟、差別という人間の邪悪を証明する掟をはじめて目の当たりにし体験したのはインドではなかった。アパルトヘイト下のアフリカにおいてであったのだ。
『暗い河』を読むと、アフリカに明るい未来など永遠にこないと思える。しかしセローのナイポール批判を読むと、ナイポールはどこかでこの国々を読み間違えたのかもしれないとも思える。むしろそう思いたい。だがしかし、セローのみたマラウイを見ると、2度目においてなおアフリカの未来は暗いという意見に翻るしかないのである。賄賂ばかり要求する役人、だれも掃除せず放置された学校、図書を盗む生徒、圧倒的に不足する教師、送られてきた援助物資や資金をすべて懐におさめる政治家、それらの援助物資を売るだけの市場、インド人排斥後につぎつぎと失敗したアフリカ人経営の閉鎖された商店、それをまったく反省せずいまだにインド人を笑いものにする官僚、だれも仕事せず、モラルも民度も低下していくことも嘆かず、国全体が物乞い者と化した世界でもっとも貧しい大陸・・・。
アフリカはむしろ悪化しているという失望と強度の腹痛による気分の落ち込みにより、セローは物乞いの男に「旦那、腹が減ってるんです」と乞われ、ついこう叫んでしまう。「食い物がないならなぜ仕事をくれといわないのだ。仕事をすれば毎週金がもらえるぞ。男だろう。立ちあがれ。男らしく立って、仕事をくれと言えよ」
そしてマラウイを立ち去るのである。

ジンバブエ
マラウイからジンバブエまでは木彫りのカヌーで下る。テリトリー意識の強いカバを横目に見ながら、夜は白人などほとんど見たことのない村人に一晩中見つめられながら吸血蠅をおそれつつ川岸で眠る。
首都ハラレでは農場占拠の現場にいく。ジンバブエでは、白人やアフリカーナの農場を、黒人たちが不法に占拠して元の持ち主を追い出してしまう事件があとをたたない。独裁者ムガベの政権はむしろそれを推奨しているようにさえ見えるである。ムガベは正真正銘の発狂した独裁者ではあるが、彼が白人政府とその警察から長年にわたってうけた身の毛もよだつような拷問と投獄の日々を知れば、アフリカの問題に端的な「悪」という概念は存在しないと、あらためて思えるのである。
だが、セローが会った農場占拠の黒人が言う理論はあきらかに破綻している。そして理論とおなじく、彼が不法占拠した農地はもっと激しく破綻しているのである。インド人を排斥したあとすべて閉鎖してしまったマラウイの商店のように。50年も前にカプシチンスキの指摘した問題がここでも顕在化している。なんの引き継ぎもなく突如、投げ捨てるように明け渡された国を、いったい誰がどうして運営していくのか。農業の破綻は国の破綻である。モザンビークには豊かな自然があるかもしれないが、豊かな農場を経営しているのはすべて白人なのである。

セローの視線
この問題にみなが納得できる解決策などあるとは思えない。白人だからといってアフリカに住むすべての農場経営者が土地を黒人に明け渡す必要があるとするなら、それに先んじて本国の白人は国の資本をアフリカに明け渡すべきだろう。だがそのような慈善がアフリカをダメにしているとセローはなんども指摘する。
セローの見方はアフリカを知り尽くした理性的で良心的なものではあるが、徹頭徹尾白人の見方でもある。とうぜんではあるが、黒人の視線ではないし、ましてわれわれのようなアジア人の見方でもない。白人的なアフリカ観から超越しているわけではないのだ。そもそも、過去の植民地主義という人類の大罪を、断罪したり反省したりするためにセローは旅をしているわけではないのだ。セローとあったある男がこう言う。
「何十年ものあいだ白人政府がアフリカ人の教育をないがしろにしてきたその結果に愕然としているのだ」
そういった反省の上でセローはウガンダとマラウイで教師をしたのだろう。しかしそれがことごとく失敗に終わっていたからこそ、欧米による慈善活動や宣教師や観光客にたいして痛烈な批判をするのである。
「アフリカ人の不幸はじゅうぶんでない。もっと罪深い思いをして、原罪から逃れえないことを不当にかんじるべきだ。そしてアフリカ人を脅し、ブッシュの動物と花、季節、土地に根付く希望とおそれに触発された、昔ながらの自然崇拝を捨てさせようと意気込んでいる」といって批判するのである。


ジンバブエのドリス・レッシング
ノーベル文学賞作家のドリス・レッシングの父は、イギリスから職を求めてペルシャに移住する。その後、農業を志望しローデシア(現ジンバブエ)に移民し、トウモロコシ畑を営むが上手くいかず破綻してしまう。
レッシング家の例だけでなく、白人入植者がすべてうまくいったかというとそうでもない。とくにわれわれ日本人には理解されていない部分に、白人のなかにも複数の民族と敵対する勢力があったということがある。レッシングの父はイギリス人であったが、ローデシア建国以前のこの土地にはボーア人が住んでいたのである。イギリス人は黒人のみならず、そのボーア人らを「プア・ホワイト」と呼んで自分たちと区別した。事業に失敗し破産したレッシングの父であったが、イギリス人はそれでも彼をプア・ホワイトとはけっして呼ばなかった。どんなに貧乏でも、イギリス人だからである。レッシングの自伝的小説『草は歌っている』には、白人同士でさえ差別するイギリス人のこの人種的選民WASP思想について書かれている。イギリス人のもっともダメな部分である。

ローデシアとセシル・ローズ
ボーア人、またの名をアフリカーナは、オランダ系移民、フランスのユグノー、そしてドイツ系プロテスタントなどの複数の民族が合流して生まれた移民集団である。かの悪名高きアパルトヘイトはこのボーア人の発明である。
もともと現在の南アフリカに居住していたボーア人は、イギリス入植に圧されてトランスヴァール共和国まで後退させられる。さらに領土拡大を狙うイギリスはトランスヴァール共和国をも併合しようとする。それに対しておこったのがボーア戦争である。
その、アフリカ南部植民地ケープの首相がセシル・ローズである。セシル・ローズについて言いたいことはゴマンとあるが、ローデシアという国名が「ローズの家」という意味であることを伝えればおおよそわかってもらえるではないかと思う。植民地ケープの首相のみならず、イギリス南アフリカ会社の社長であり、一時は全世界に流通するダイヤモンドの90%を彼が産出し、ケープからカイロまでのアフリカ縦断鉄道を画策し、アメリカという国そのものをイギリスの植民地として取り戻そうという野望を持ち続け、「神は世界地図がイギリスの色で塗られることを望んでおられる」とまでのたまう完全無欠の帝国主義レイシストである。コンゴというアフリカ一大きな国が、ベルギー王レオポルド2世の個人的な「領地」であったということにも驚愕するが、国に自分の名前をつけたその本人が、国王でも貴族でもない一介の役人であり経済人であったということにさらなる驚異をおぼえるのである。
異論はあろうが、セシル・ローズはポルポトや毛沢東やスターリンとならぶ悪党と呼んでかまわないはずなのだが、急激な失脚もありその歴史的評価は曖昧なまま現在まで続いている。ちなみにオックスフォードの「ローズ奨学金」の「ローズ」とはこのセシル・ローズのことである。「いいこともしてるじゃん」と思ってしまいそうだが、ローズ奨学金にはセシル・ローズの遺言による条件があり、実質その第一条は「奨学生は白人であること」なのである。自分の金をどう使おうと勝手ではあるが、他人の土地を奪い、戦争で殺戮し、ネイティブを奴隷として強制労働させて得た金が「自分の金」といえるかどうかは別問題であるのだが。


南アフリカ
ヨハネスブルグにバスで到着したポール・セローは、ナディン・ゴーディマに会いに行く。彼女との私的な会話は、ゴーディマファンにはたまらないだろう。とくにボクが興味をおぼえたのは、ゴーディマが、セローの書いたV・S・ナイポール論について彼を諫める場面である。
「あなたがナイポールについて書いた本を読めてよかったわ。書評にはがっかりしたけれど。あれはナイポールの話ではなくて、あなたの話よーーなにもかもさらけ出したあなたの話」
その後ケープタウンに移動したセローは、駅で向かいの男が広げる新聞に「世界を旅するペシミストの作家にノーベル賞」という見出しを発見して、ほんの一瞬ある種の希望が脳裏に浮かぶ。「すごい賞をもらってしまったかも」と。しかし、奇しくもそれはV・S・ナイポールの受賞を報じる記事であった。仲違いした彼らのうちどちらがノーベル賞を取るかといったゴシップには興味はないのだが、しかしセローが書くナイポール論の硬質な論理の奥に潜む感情的で個人的なやわらかい中心部分を見てしまったようで、得をしたような気になったのも事実である。ゴーディマはそれを「あれはあなたの話よ」と表現したのだ。
その後、ポール・セローはケープ半島の先端、アフリカ大陸の最果て、この長い旅(訳者あとがきによると5ヶ月だそうだ)の最終目標地点に到達する。そこには看板にこう書かれていた。「終点」

まるでセローに付き従ってボク自身もアフリカを縦断したような充足感と疲労の、700ページと20日間であった。しかしもうこれであの重い本を持ち歩かなくてもよいのだと思うと、文字通り肩の荷が下りた気もするのである。この本は、電車で読むには重すぎる。だが、上下巻2冊になっていたらきっと買わなかった。
縦断のはずが、旅で見聞きした興味が横にひろがっていく。こういう気持ちになる本は、いい本である。



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