ディアスポラと放射線 『津波の後の第一講』『ディアスポラ紀行』
ファラオの王に奴隷状態で強制移住させられていたユダヤの民を率いて、モーセはエジプトを脱出する。エジプトからシナイ山にむかう途中に紅海が大きく割れて、神がモーセ一行をエジプトの追っ手から逃がす件は有名である。いわゆる「出エジプト記」である。
キリスト誕生以前のこの世界的に有名な歴史的事件以降、ユダヤの民は「祖国」というものをもたなかった。もちたくてももてない、そもそももう帰るところがない。そのような暴力を介して故郷を追われる離散状態を、古いギリシャ語からとって「ディアスポラ」という。
ディアスポラ文学というと、一般的にはユダヤ文化の離散をテーマとした文学を指すことが多い。
しかしいまやユダヤの民はイスラエルというれっきとした国家をもっている。アウシュビッツを生き延びたユダヤ人作家プリーモ・レーヴィは、ナチス支配下の中欧・東欧ではシナゴーグをふくめたユダヤ共同体が消滅したため、その受け皿としてのイスラエル建国は必要であると説いた。しかし1982年にイスラエル軍がPLOの拠点を壊滅させると称してレバノンに侵攻したことを受けて、レーヴィは「攻撃的なナショナリズムが強まっている」として反対の声明を出す。(徐京植『ディアスポラ紀行』)
ディアスポラの民であったユダヤ人が、3000年後のいまやパレスチナを徹底的にディアスポラとして殲滅しようとしているのは、レーヴィの「ディアスポラ文化は寛容思想であり、攻撃的ナショナリズムへ抵抗する責任でもある」という言葉をひくまでもなく悲劇的であり、とうてい許されることでもない。
そもそも国家をもたないユダヤの民が、ナチスによってさらに離散を強いられる二重のディアスポラはレーヴィだけの問題ではない。
現代思想に多大な影響をあたえたフランクフルト学派のベンヤミンは、『パサージュ論』の原稿を亡命先のパリ国立図書館に隠した。ナチスによるパリ陥落を目前に、散逸をおそれて当時の図書館長のジョルジュ・バタイユに託したと言われている。その後アメリカ渡航のビザがおりず、ベンヤミンは徒歩でスペイン国境を越え、当地の警察に拘束されポルボウで自殺している。
ナチスから逃れてディアスポラとなったユダヤ人作家なんて、言い方はよくないが山ほどいる。ベンヤミンは自死してしまったけれど、アーレントにせよアドルノにせよ、ナチスを逃れてアメリカやイギリスに亡命しているのだ。
ベンヤミンもアーレントもアドルノも、非常に裕福なユダヤ人家庭の出だった。だからこそ彼らは国外移住が可能であった。逆を言うと、国外に逃亡する資金も外国語を話す能力も、ましてナチス支配の情勢を俯瞰する能力もなかった一般のユダヤ人は、みすみす強制収容所に送られるのを待つしかなかったのである。ディアスポラとは「生きているだけマシ」という状況においてディアスポラとなる。故郷にとどまるとは、徐々に死んでいくことになるのである。
ナチスによるユダヤ迫害や、シオニズムによるパレスチナ殲滅、あるいはルワンダのジェノサイドからの離散、スターリニズムからの亡命、近年では天安門事件によって国外逃亡を余儀なくされた中国知識人・作家(中国人初のノーベル文学賞受賞者の高行健など)など、国外にはいまなお無数のディアスポラの悲劇がくり返されている。だから逆にわれわれ日本人には、ディアスポラということの意味やその悲劇性があまり理解できていないようなところもあったかもしれない。そのように、日本人自身が考えてもいた。
ほぼ1年前の津波の翌日、福島第一原発が爆発した。原発が爆発するという非常事態の意味をすぐに理解して行動した人はけっして多くはなかったのではないだろうか。しかし原子力に詳しい者、原発問題を知っていた者、あの状況下で情報を収集できかつ整理し理解できた者から順に人は福島を脱出したのである。その人たちは、国の判断や避難勧告を待っていたら死んでしまう、と考えた者である。このとき、ほとんどディアスポラの経験のなかった日本人が、突如として正真正銘のディアスポラとなってしまったのである。
その直後、日本国政府はそれまで年間1ミリシーベルトだった安全基準値を、突如20ミリシーベルトまで引き上げた。そうしないと、福島県の浜通と中通り全域、それに栃木県北部と宮城県南部までが人の住めない巨大な空白地帯となってしまうからである。端的に言うと、国民の健康被害やもしかすると生命を危険にさらすかもしれないという可能性よりも、国は国民を土地に縛りつけておくことを優先したのである。
年間20ミリシーベルトがほんとうに危険なのかどうかは、ボクは科学者ではないのでわからないし、それについて特別に意見を言いたいわけでもない。
ただ、国家というものは常にしてそういうことをするのである、ということを言いたいのだ。国民とは労働力である。産業が、資本と労働力と土地を絶対的に必要とするなら、労働力である国民は土地とセットでなければならない。国家の命によるなら、放射線のリスクについての専門知識があり、毎日被曝量を記録管理し、専門的な防御を施した原発作業員とおなじ基準の「年間20ミリシーベルト」の被爆地域だろうと、われわれ国民はそこにいなければならない。それが嫌だとか危険だとか自分自身で判断するのなら、その先にまつべきは日本型の特異なディアスポラしかないのである。
程度と意味はおおきくちがえど、生命の危険を国が与え、それを拒否する者がディアスポラとなる。その構造は過去の悲惨なディアスポラの歴史と、大枠で共通しているようにボクには見える。
岩波書店から、今福龍太と鵜飼哲の編で『津波の後の第一講』という本が出た。津波の後、大学ではどのような講義をはじめたのだろうか。それぞれの専門家はどのような言葉を学生たちに伝えたのだろうか。社会学、映像学、環境学、哲学と、各界の貴重な生の声がここには詰まっている。とくに興味深かったのは、世界政治論を教える早尾貴紀の『ディアスポラを生きる』であった。この教授はもともとユダヤ文化のディアスポラ研究者であったのだが、福島の原発事故によって彼自身がディアスポラとなった。非常に希有な講義である。上記の意見もこの講義に負った。
キリスト誕生以前のこの世界的に有名な歴史的事件以降、ユダヤの民は「祖国」というものをもたなかった。もちたくてももてない、そもそももう帰るところがない。そのような暴力を介して故郷を追われる離散状態を、古いギリシャ語からとって「ディアスポラ」という。
ディアスポラ文学というと、一般的にはユダヤ文化の離散をテーマとした文学を指すことが多い。
しかしいまやユダヤの民はイスラエルというれっきとした国家をもっている。アウシュビッツを生き延びたユダヤ人作家プリーモ・レーヴィは、ナチス支配下の中欧・東欧ではシナゴーグをふくめたユダヤ共同体が消滅したため、その受け皿としてのイスラエル建国は必要であると説いた。しかし1982年にイスラエル軍がPLOの拠点を壊滅させると称してレバノンに侵攻したことを受けて、レーヴィは「攻撃的なナショナリズムが強まっている」として反対の声明を出す。(徐京植『ディアスポラ紀行』)
ディアスポラの民であったユダヤ人が、3000年後のいまやパレスチナを徹底的にディアスポラとして殲滅しようとしているのは、レーヴィの「ディアスポラ文化は寛容思想であり、攻撃的ナショナリズムへ抵抗する責任でもある」という言葉をひくまでもなく悲劇的であり、とうてい許されることでもない。
そもそも国家をもたないユダヤの民が、ナチスによってさらに離散を強いられる二重のディアスポラはレーヴィだけの問題ではない。
現代思想に多大な影響をあたえたフランクフルト学派のベンヤミンは、『パサージュ論』の原稿を亡命先のパリ国立図書館に隠した。ナチスによるパリ陥落を目前に、散逸をおそれて当時の図書館長のジョルジュ・バタイユに託したと言われている。その後アメリカ渡航のビザがおりず、ベンヤミンは徒歩でスペイン国境を越え、当地の警察に拘束されポルボウで自殺している。
ナチスから逃れてディアスポラとなったユダヤ人作家なんて、言い方はよくないが山ほどいる。ベンヤミンは自死してしまったけれど、アーレントにせよアドルノにせよ、ナチスを逃れてアメリカやイギリスに亡命しているのだ。
ベンヤミンもアーレントもアドルノも、非常に裕福なユダヤ人家庭の出だった。だからこそ彼らは国外移住が可能であった。逆を言うと、国外に逃亡する資金も外国語を話す能力も、ましてナチス支配の情勢を俯瞰する能力もなかった一般のユダヤ人は、みすみす強制収容所に送られるのを待つしかなかったのである。ディアスポラとは「生きているだけマシ」という状況においてディアスポラとなる。故郷にとどまるとは、徐々に死んでいくことになるのである。
ナチスによるユダヤ迫害や、シオニズムによるパレスチナ殲滅、あるいはルワンダのジェノサイドからの離散、スターリニズムからの亡命、近年では天安門事件によって国外逃亡を余儀なくされた中国知識人・作家(中国人初のノーベル文学賞受賞者の高行健など)など、国外にはいまなお無数のディアスポラの悲劇がくり返されている。だから逆にわれわれ日本人には、ディアスポラということの意味やその悲劇性があまり理解できていないようなところもあったかもしれない。そのように、日本人自身が考えてもいた。
ほぼ1年前の津波の翌日、福島第一原発が爆発した。原発が爆発するという非常事態の意味をすぐに理解して行動した人はけっして多くはなかったのではないだろうか。しかし原子力に詳しい者、原発問題を知っていた者、あの状況下で情報を収集できかつ整理し理解できた者から順に人は福島を脱出したのである。その人たちは、国の判断や避難勧告を待っていたら死んでしまう、と考えた者である。このとき、ほとんどディアスポラの経験のなかった日本人が、突如として正真正銘のディアスポラとなってしまったのである。
その直後、日本国政府はそれまで年間1ミリシーベルトだった安全基準値を、突如20ミリシーベルトまで引き上げた。そうしないと、福島県の浜通と中通り全域、それに栃木県北部と宮城県南部までが人の住めない巨大な空白地帯となってしまうからである。端的に言うと、国民の健康被害やもしかすると生命を危険にさらすかもしれないという可能性よりも、国は国民を土地に縛りつけておくことを優先したのである。
年間20ミリシーベルトがほんとうに危険なのかどうかは、ボクは科学者ではないのでわからないし、それについて特別に意見を言いたいわけでもない。
ただ、国家というものは常にしてそういうことをするのである、ということを言いたいのだ。国民とは労働力である。産業が、資本と労働力と土地を絶対的に必要とするなら、労働力である国民は土地とセットでなければならない。国家の命によるなら、放射線のリスクについての専門知識があり、毎日被曝量を記録管理し、専門的な防御を施した原発作業員とおなじ基準の「年間20ミリシーベルト」の被爆地域だろうと、われわれ国民はそこにいなければならない。それが嫌だとか危険だとか自分自身で判断するのなら、その先にまつべきは日本型の特異なディアスポラしかないのである。
程度と意味はおおきくちがえど、生命の危険を国が与え、それを拒否する者がディアスポラとなる。その構造は過去の悲惨なディアスポラの歴史と、大枠で共通しているようにボクには見える。
岩波書店から、今福龍太と鵜飼哲の編で『津波の後の第一講』という本が出た。津波の後、大学ではどのような講義をはじめたのだろうか。それぞれの専門家はどのような言葉を学生たちに伝えたのだろうか。社会学、映像学、環境学、哲学と、各界の貴重な生の声がここには詰まっている。とくに興味深かったのは、世界政治論を教える早尾貴紀の『ディアスポラを生きる』であった。この教授はもともとユダヤ文化のディアスポラ研究者であったのだが、福島の原発事故によって彼自身がディアスポラとなった。非常に希有な講義である。上記の意見もこの講義に負った。