歴史書のコンテクスト 『千夜一夜物語』『イスラームから見た世界史』タミム・アンサーリー


『千夜一夜物語』の語り手であるシェヘラザードは真剣だった。なんせ夜とぎの物語がおもしろくなかったり話が途絶えてしまったりすると、翌朝に自分は殺されてしまうのだから。王は女性への猜疑心から初夜の翌朝に妻を殺すのを慣わしにて、もはや3000の処女を処刑してきたのだ。次は王の新妻であるシェヘラザードの番だった。興味深い物語を話すことで彼女は延命を図ったのだ。だから物語がおもしろいというのは当然として、シェヘラザードのつむぎだす物語にはさまざまな技巧がこらせてあった。
そのもっとも重要なものが、物語の複雑な入れ子構造(ネスト)である。ある商人がジン(精霊)にであった物語の話中に、ジンが語るべつの貴族の物語がはじまる。さらにその貴族の話のなかで、貴婦人が語る乞食の話が挿入され、さらに乞食がまたべつの話をする、といった具合である。これが複数個併置され、さらには複数回のネストをしており、それらのネストした大量の物語すべてが、それらを夜とぎとして語るシェヘラザードの物語という大構造のなかに納まっているのである。
命がけの物語であることを考えると、この複雑なネストの意味も理解しやすい。入れ子構造であれば、物語全体を終了することなく永遠に続けることができる。王の興味をひかなかった話がひとつあったとしても、その物語を内包する「親ストーリー」が彼女の翌日への命を担保するのだ。シェヘラザードにしてみれば、ネストの数は命をかけた保険の数に等しいのである。
事実、シェヘラザードはこうして1000日におよぶ命がけの夜とぎをやり終え、王は彼女を王妃として迎え入れ深く改心したという。めでたしめでたし。

ところがこのネスト、アラビア語のレトリックではめずらしいことではないらしい。
もっとも古い文献では、アッバース朝時代の歴史学者イブン・ジャリール・アル・タバリー(839923)の『諸預言者と諸王の歴史』にその独特のパラフレーズをみることができる。
39巻からなる『諸預言者と諸王の歴史』は、アダム誕生からヒジュラ歴303年(西暦915年)までのできごとを記録した歴史書である。9世紀の歴史学者イブン・イスハークの『預言者伝』を参考にして書き上げたというこの書物、後のイスラーム法学者や歴史学者必読の非常に重要な書物なのだが、われわれの考える歴史書とはあきらかにその体裁がちがっている。
なにが違うかと言えば、先述したネストである。タバリーの書く歴史そのものが、出典と文献と証言者の特定であり、一見するとそれらが雑多によせ集まっているように見えるのである。起こった出来事や逸話を語るのに、それは誰がそう言ったのか、それは誰から聞いたのか、さらにその話はどこから仕入れたのか、といった歴史そのものをさかのぼって正確を期そうとするのである。いきおい非常によみにくい。それはまるで『千夜一夜物語』のネストのようである。
Aさんは×××と言った、とBさんが話したのを、Cさんが聞いたと、Dさんが言っていたのを、EさんがFさんに話したのを、Gさんが記録している」といった調子で歴史がつづられる。膨大なパラフレーズのなかに、ほんの少しの史実がひそんでいるのだ。しかもアラビア語では、伝承者の名前(AさんBさんCさん)が出来事や逸話の前の部分に連なるような文法であるらしい。アラビア語はとんとわからないのでそれがどのような修辞になるのかは不明だが、その伝承者の連なりの部分をアラビア語で「イスナード」と呼ぶらしい。膨大なパラフレーズの「話者」が連綿とつながっている様子から、別名「伝承者の鎖」とも言うそうだ。(タミム・アンサーリー『イスラームから見た「世界史」』)
タバリーは歴史学者として、それらの膨大な発言のどれが真実で、どれが虚偽の可能性があるかといった判断は下していない。おなじように、さまざまなヴァリエーションのすべてを、なんの編集もせずにそのまま記載しているのである。『諸預言者と諸王』を読んだものはそのネストした伝承者の鎖に眩暈をおこし、いつもの歴史書になれたものはこの奇妙な修辞に面食らうだろう。出来事とその信用できる出典だけを用意し、タバリーはあきらかにそれをどうとらえるかは読者の判断としたのだ。
タバリーの歴史書と『千夜一夜物語』が似ているのはネストだけではない。この「無編集」と「伝承」といった部分でも似ているのである。『千夜一夜物語』に、作者といった「全知の神」が介在している雰囲気は一切ない。膨大な時間をかけて、微細な物語が自然と寄り集まったようにしか見えないのであるし、それが『千夜一夜物語』のもっとも魅力的なところでもあるのだ。そう考えると、歴史書としてタバリーの著作の本当の魅力も見えてくるような気がする。

タミム・アンサーリー著『イスラームから見た「世界史」』を読んでいる(まだ途中)。日本人が学校教育で習得する世界史は、ヨーロッパで作られた世界史である。それに申し訳程度の東アジアの歴史を添付し差し入れただけのものである。それがながらく不満だったし不思議だった。日本史と世界史が交差するのは幕末から、という意見もわからないでもない。世界が一点にむかって「先進」しているのだとするなら、われわれはその「途上」であり、途上である以上、より先進しているヨーロッパの歴史に従うしかないだろう。だがそれは、日本史の外側には「あの世界史」しかないと考えているからだ。
アンサーリーのこの本は、中東圏(著者の言い方では「ミドルワールド」)の人々がごく普通に習得する「世界史」を紹介しているものだ。しかし一読してその視座のちがいに大いに驚く。文明の源流のほぼすべてがメソポタミアから発生しているということさえ、われわれは忘れており、忘れる程度にしか教えられていないことに気づくのである。
この本を読んだからといって今後、歴史の見方が絶対的に変わるわけではないだろう。しかし、正面からみて正方形だと思っていたものが斜め横から見て立方体であることに気づく程度には、読者の歴史観は更新されるだろう。また正面にもどってもその正方形に見えないはずの奥行きを感じるのとおなじで、複数の視座を手に入れたものは、いつしか自国中心の歴史書の虚偽と欺瞞に気がつくようになるだろう。
アンサーリーは書いている。「歴史とは常に、いかにして「私たち」が「現在の状況」に到達したかを物語るものであるがゆえに、そのストーリーは必然的に「私たち」とは誰か、「現在の状況」とは何を意味するのか、によって変わってくる」
歴史も、話者とシチュエーションという巨大なコンテクストに左右される相対的なものなのである。

歴史書が相対的なものであるなら読み手も相対的な読み方をすべきだと考え、西洋世界でもっとも著名な歴史書のひとつ、ウィリアム・H・マクニールの『世界史』をあわせて同時に読んでみることにした。販促企画があたって最近書店でよく見る文庫である。
中世以降をあつかったマクニールの『世界史 下巻』の全13章のうち、イスラームに割いているのはたったの1章である。アメリカの教科書編集者であったタミム・アンサーリーがまえがきで述べていることも同じ内容である。どう考えてもイスラーム世界の割合が少なすぎる。
読みながら考える。しかし、もしこの歴史書に異をとなえるなら、われわれはそうとうな覚悟がいるだろう。なぜならここに書かれているものは、現代の知の集積であるからだ。無数にある史実の可能性のなかから、マクニールという絶対的な知の巨人が選択し、整理し、編集して仕上げた、それはまるで極上の工芸品のような歴史だからである。それに反論するには、反論するものも自分の論拠を極上に磨き上げなければならないのだ。
しかも反証したとしても、世界の歴史書がそれを採用するかどうかは別問題である。なぜなら、歴史書とはそれを読む人々のコンセンサスをあらわす書物だからである。歴史とはわれわれが知っている過去の総体である。事実の集合であるように見えて、実はそうではない。歴史書に書かれているのは、史実である論拠が濃厚なものから順に記載してるのではない。それを読む人々のコンセンサスの高いものから記載しているのだ。

しかし、歴史書とはそのような閉塞した一方的な方法論でしか成立しないのではないということを、ボクはタバリーの歴史書を知って気がついた。
編集という行為には、イデオロギーや国家といった価値観による作為が介入しやすいのである。ならばわれわれは無編集という西洋世界の考える歴史書ではありえなかった書物作りをしてみる勇気を持ってもよいのかもしれない。『千夜一夜物語』がとてつもなくおもしろいように、そんな新しい歴史書も案外魅力的なものになるかもしれないではないか。『イスラームから見た「世界史」』は、そう思えるよいきっかけであった。

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