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従順さは良心的判断の放棄でもある 『人生と運命』『暴力について』

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取引先の担当者が出てくるまで、打ち合わせルームの片隅で待っていた。隣のブースで社員同士が会話しているのが聞こえる。時間はもう夜の7時すぎである。 年長者が言う。「義理を通すためにも、おまえ会社のために死んでくれるか」 驚いたことに若い社員は「はい。がんばります」と答える。 なんの話なのかはわからないが、まがりなりにもこの会社、上場企業である。「死ね」にたいして「がんばります」という驚くべき会話が、日本の中枢部で平然と話されていることに、おどろいた。 スターリン体制下のユダヤ人迫害と強制収容所の実態を書き、エマニュエル・レヴィナスにして「もっとも影響を受けた20世紀の小説」と言わしめたワシーリー・グロスマン著『人生と運命』の、第50章はおそるべき章である。そこでは、いかにしてごく普通の一般大衆がユダヤ人殲滅に協力することなるかが、明晰に記述されている。 大量殺戮を心の中では恐ろしく思ってはいても、自分の身内のみならず自分自身に対しても秘密にしている。そうした人たちが絶滅キャンペーンの集会が行われる会場を満員にする。そして、そうした集会がどんなに頻繁に行われようと、どんなに会場が広かろうと、何らの発言のないままに満場一致の採決が行われるのを誰かが阻止しようとするケースは、ほとんどあったためしがなかった。 意見というものは黙っていても自ずと口から飛び出してくるものではない。黙っていれば満場一致の賛成票を投じるのとおなじことになってしまう。 そして、これはもう数万ではなく、数千万でさえもない膨大な数の人々が、罪なき人々の殲滅の従順な目撃者となった。しかし、従順な目撃者であるだけではなかった。命令されたときには殲滅に賛成し、どよめきの声を上げて大量殺戮への賛意を表明したのである。 今世紀前半のロシアでおこったことはこの国でもおこりえることだし、従順さにおいてはロシアを上まわるこの国では、スターリンもヒットラーもいないのに、平和なはずのサラリーマンが「会社組織の成長と維持」という名目でたがいに縛りあい監視しあい、従順と忠誠という価値観で競い合っているのである。 『ウォールデン』で有名な19世紀のアメリカの詩人・思想家のヘンリー・デイビッド・ソローは、奴隷制を黙認する政府が課す人頭税の支払いを良心的理由で拒否したために逮捕され...

作家をボイコットするものは、最後には焚書をするだろう。 ギュンター・グラス『玉ねぎの皮をむきながら』

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『ブリキの太鼓』などでノーベル文学賞を受賞したギュンター・グラスが、ドイツの「南ドイツ新聞」において『言うべき事』という散文詩を発表した。そのなかでグラスは、多くの核ミサイルを保有し(全米科学者連盟のハンス・クリステンセンによれば80機だと推定される)、NPT核不拡散条約加盟に拒否しているイスラエルが、世界平和において脅威であると語っている。 イスラエルはこの詩への対抗として、ギュンター・グラスを「ペルソナノングラータ(好ましからぬ人物)」として入国禁止処置にしたそうである。(ロイター 4/9) その国家にとって「好ましからぬ」人物であれば入国をボイコットできるという法の行使を、ひとつの国家にとっての「権利」と呼んでいいのだろうか。グラスはイスラエル人の生命や財産を脅かす犯罪者ではないし、ホロコーストを肯定しているわけでも、イランのスパイというわけでもないだろう。世界平和にとってイスラエルの核が問題なっている、と発言しただけである。れっきとした国家が、たったひとつの「詩」への対抗として入国禁止処置をとるというのは、国家主義、ひいては全体主義なのではないか。それならば、自国民がグラスとおなじ発言をすれば、イスラエルはその人物を国外追放しなければならないのではないか。そうであるなら、イスラエルに言論の自由は存在しないことになるのではないか。 イスラエルの作家ヨラム・カニュクはこのことを、 作家をボイコットするものは、最後には焚書をするだろう と表現している。(独ZEIT ONLINE) ナチスによる焚書の目的は「非ドイツ的な文学を消滅させ、ドイツ文学を純化させること」であった。おなじ思想のものだけを保護し、異分子を排除するというのである。 イスラエルはナチスによって燃やされたシオニズムの書物の復讐を、60年前にナチス親衛隊であった過去をもつこの84才の作家に対して行おうとしているのだろうか。 ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネは19世紀においてすでにこう予言している。 本を焼くものは、いずれ人間をも焼くだろう イスラエルが核をもつことは非常に危険である。それはNPT不参加という事実よりも、イスラエルには「人間を焼く」道に行きかねない危うさがあるからである。

スターリニズムを生き延びた作家たち 『尋問』『アルバート街の子供たち』『収容所群島』『人生と運命』

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たぶん1940年代後半のポーランド。場末のキャバレーで歌う歌手のアントニーナは、夫とのささいなケンカがもとで夜半外出し、見知らぬ2人組の男たちに誘われるままバーに行き泥酔してしまう。 翌朝、目が覚めると留置所のようなところである。昨夜の2人組は秘密警察の男で、アントニーナは身に覚えのない尋問を受けることになる。なんの罪名によって、どのような自白を強要しているかもわからぬまま、執拗な尋問は何日にも及ぶ。 そのうち、アントニーナにも彼らがなにを欲しがっているのかがおぼろげに見えてくる。彼女がかつて一度だけ寝たことのあるゆきずりの男オルツカが、国家反逆罪に値するという供述がほしいのである。嘘の供述を拒否するアントニーナは、秘密警察によって執拗な尋問や拷問、精神を痛めつける死の恐怖を味わわされることになる。 その後、秘密警察の少佐タデウスの子を身ごもったアントニーナは、彼からオルツカがすでに銃殺されていること、夫の離婚申請が受理されたことを聞く。それでも、彼女への尋問は終わらないのである。 はじまりと同じような唐突さで、5年目にしてようやく彼女は自由の身となる。彼女が釈放される直前、収容所の刑務官や兵士があわてている様子が描写される。この無意味な尋問と5年もの長きにわたる監禁状態を終わらせたのは、ソヴィエト・東欧にとっての歴史的大事件であった。劇中、ひとりの男がさけぶ。 「スターリンが死んだ!」 リシャルト・ブガイスキ監督、エクゼクティブプロデューサーにアンジェイ・ワイダを迎えたこの『尋問』という映画をみたとき、アントニーナのあまりにも不条理な運命に「もしかして原作はカフカ?」とさえ思ったものであった。それほどアントニーナのおかれた状況は「カフカ的」であり、スターリン体制下の閉塞状況は想像を絶するものであったのだとわかるのである。 レーニンの死後、彼の遺言を力ずくで反故にしたスターリンはみずから党代表となり、じっさいの後継者と目されていたトロツキーを国外追放(のちに暗殺)し、反対勢力のキリーロフを殺害したころから一挙に独裁恐怖政治を布くようになった。それは彼の死の1953年までつづくのである。 スターリンが死去することで開放されたのは『尋問』のアントニーナだけではない。もしスターリンがもう少し長生きしていたら、かの悪名高い「医師団事件」によりロシ...

インドの畸形たち タブッキ『インド夜想曲』

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はじめてインドに行ったとき、ご多分にもれず「インドショック」のようなものを感じた。残飯をあさる野良犬ならぬ野良牛、しつこい物乞いや物売り、たぶん12、3才ぐらいの力車ひき、子供の乞食、不衛生な食堂、好奇心をまったく抑えない男たち、ウソばかりつくタクシー運転手、賄賂をねだる公務員、平気で5時間遅刻する電車、ガンジスをながれる死体・・・どれもこれも日本の標準的な価値観や常識では対処できないことばかりであった。 しかしインドも2度目以降ともなると、それらの「インド常識」も予測範囲内となり、旅行者もその対処方法が見えてくる。つまりは慣れるのだ。 しかしどうしても慣れないものもある。なんどインドに旅行しても慣れなかったのは、腕が3本あったり、口の横まで裂けた眼窩をもっていたり、象のような足をした、いわゆる奇形の人間たちである。それが白昼堂々と人通りの多い街角で物乞いをしている。物乞いをしているからには、自分の奇形の身体を商売道具としているわけだ。それがわかっていても、つい目を背けてみなかったことにしてしまおうと、無意識に反応してしまう。直視する勇気がどうしても出ないのである。直視することもできないものにたいして、だから感想や意見が出せるわけがない。「ヤバかった」とか「気の毒に・・・」とかさえ出てこない。ひたすらチラ見した記憶を封印しようとする心理が、なぜか働いてしまう。 人間は極度のショックを受けるとその記憶を消そうという無意識が働く、という話を聞いたことがある。それでいうなら、あの奇形の物乞いたちにたいする封印の努力は、ショックによる心の乱れを食い止める作用であるとも言える。つまりは、それぐらい彼らを見るのは辛いのである。 アントニオ・タブッキの中編『インド夜想曲』の主人公は、失踪した友人を捜すためにインドにやってきた。しかしこのミステリー調のプロットが描きだすのは、そもそも主人公は誰を捜しているのか、その友人とは実在した人物なのか、彼はほんとうに人捜しをしているのか、という逆説的な疑問である。読みすすむうちに、この不眠症的な旅行自体が存在しなかったのではないか、すべては主人公の夢想なのではないかという気になってくる。 探しているのは自分自身であった、という凡百のオチをさけるため、タブッキは後半に奇形の人間をもってくる。その額に触れるだけでその人間...

ディアスポラと放射線 『津波の後の第一講』『ディアスポラ紀行』

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ファラオの王に奴隷状態で強制移住させられていたユダヤの民を率いて、モーセはエジプトを脱出する。エジプトからシナイ山にむかう途中に紅海が大きく割れて、神がモーセ一行をエジプトの追っ手から逃がす件は有名である。いわゆる「出エジプト記」である。 キリスト誕生以前のこの世界的に有名な歴史的事件以降、ユダヤの民は「祖国」というものをもたなかった。もちたくてももてない、そもそももう帰るところがない。そのような暴力を介して故郷を追われる離散状態を、古いギリシャ語からとって「ディアスポラ」という。 ディアスポラ文学というと、一般的にはユダヤ文化の離散をテーマとした文学を指すことが多い。 しかしいまやユダヤの民はイスラエルというれっきとした国家をもっている。アウシュビッツを生き延びたユダヤ人作家プリーモ・レーヴィは、ナチス支配下の中欧・東欧ではシナゴーグをふくめたユダヤ共同体が消滅したため、その受け皿としてのイスラエル建国は必要であると説いた。しかし1982年にイスラエル軍がPLOの拠点を壊滅させると称してレバノンに侵攻したことを受けて、レーヴィは「攻撃的なナショナリズムが強まっている」として反対の声明を出す。(徐京植『ディアスポラ紀行』) ディアスポラの民であったユダヤ人が、3000年後のいまやパレスチナを徹底的にディアスポラとして殲滅しようとしているのは、レーヴィの「ディアスポラ文化は寛容思想であり、攻撃的ナショナリズムへ抵抗する責任でもある」という言葉をひくまでもなく悲劇的であり、とうてい許されることでもない。 そもそも国家をもたないユダヤの民が、ナチスによってさらに離散を強いられる二重のディアスポラはレーヴィだけの問題ではない。 現代思想に多大な影響をあたえたフランクフルト学派のベンヤミンは、『パサージュ論』の原稿を亡命先のパリ国立図書館に隠した。ナチスによるパリ陥落を目前に、散逸をおそれて当時の図書館長のジョルジュ・バタイユに託したと言われている。その後アメリカ渡航のビザがおりず、ベンヤミンは徒歩でスペイン国境を越え、当地の警察に拘束されポルボウで自殺している。 ナチスから逃れてディアスポラとなったユダヤ人作家なんて、言い方はよくないが山ほどいる。ベンヤミンは自死してしまったけれど、アーレントにせよアドルノにせよ、ナチスを逃れてアメリカやイギリスに亡命し...

歴史書のコンテクスト 『千夜一夜物語』『イスラームから見た世界史』タミム・アンサーリー

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『千夜一夜物語』の語り手であるシェヘラザードは真剣だった。なんせ夜とぎの物語がおもしろくなかったり話が途絶えてしまったりすると、翌朝に自分は殺されてしまうのだから。王は女性への猜疑心から初夜の翌朝に妻を殺すのを慣わしにて、もはや 3000 の処女を処刑してきたのだ。次は王の新妻であるシェヘラザードの番だった。興味深い物語を話すことで彼女は延命を図ったのだ。だから物語がおもしろいというのは当然として、シェヘラザードのつむぎだす物語にはさまざまな技巧がこらせてあった。 そのもっとも重要なものが、物語の複雑な入れ子構造(ネスト)である。ある商人がジン(精霊)にであった物語の話中に、ジンが語るべつの貴族の物語がはじまる。さらにその貴族の話のなかで、貴婦人が語る乞食の話が挿入され、さらに乞食がまたべつの話をする、といった具合である。これが複数個併置され、さらには複数回のネストをしており、それらのネストした大量の物語すべてが、それらを夜とぎとして語るシェヘラザードの物語という大構造のなかに納まっているのである。 命がけの物語であることを考えると、この複雑なネストの意味も理解しやすい。入れ子構造であれば、物語全体を終了することなく永遠に続けることができる。王の興味をひかなかった話がひとつあったとしても、その物語を内包する「親ストーリー」が彼女の翌日への命を担保するのだ。シェヘラザードにしてみれば、ネストの数は命をかけた保険の数に等しいのである。 事実、シェヘラザードはこうして 1000 日におよぶ命がけの夜とぎをやり終え、王は彼女を王妃として迎え入れ深く改心したという。めでたしめでたし。 ところがこのネスト、アラビア語のレトリックではめずらしいことではないらしい。 もっとも古い文献では、アッバース朝時代の歴史学者イブン・ジャリール・アル・タバリー( 839 ~ 923 )の『諸預言者と諸王の歴史』にその独特のパラフレーズをみることができる。 39 巻からなる『諸預言者と諸王の歴史』は、アダム誕生からヒジュラ歴 303 年(西暦 915 年)までのできごとを記録した歴史書である。 9 世紀の歴史学者イブン・イスハークの『預言者伝』を参考にして書き上げたというこの書物、後のイスラーム法学者や歴史学者必読の非常に重要な書物なのだが、われわれの考える...

ポール・セローはケープタウンへ 『ダーク・スター・サファリ』後編

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ポール・セロー『ダーク・スター・サファリ』の書評後編。 前編は こちら 。 ダルエスサラーム ヴィクトリア湖を船で渡り、セローはタンザニアの首都ダルエスサラームへ到着する。 セローのダルエスサラームの描写はそれほど詳細ではない。タンザニアについて詳しくその社会をしりたいのなら、リヒャルト・カプシチンスキ『黒檀』をオススメする。 カプシチンスキ『黒檀』 カプシチンスキがタンガニイカ(現タンザニア)に到着したのは1962年であった。独立の2年前である。カプシチンスキは本国に引き揚げるイギリス人から中古のランドローバーを買う。その四駆は非常に安かった。なぜなら独立を目前にして、イギリス人は逃げるようにこの国を去っていったからである。朝、いつもとかわりなく植民地行政の役所に登庁すると、自分の席にタンガニイカ人が笑顔で座っている。「今日からこの仕事はオレのもんだ。いままでごくろうさま」といわれてイギリス人職員は失業する。そのような「交替」が国中でおこったのだ。カプシチンスキはこの交替劇にタンザニアの問題を早くも予見している。 タンザニアの植民地行政で働くイギリス人は、本国にいるときはみなごく普通の中産階級の人間だった。だが植民地行政府職員のなり手はおおくなかったから、国はかなりの手当をつけた。本国では「目立たぬ郵便局員」だった男が、タンザニアに転勤になったとたん、庭とプール付きの豪邸、何人もの執事とメイド、乗用車での送り迎え、おまけにロンドンとの航空券つき休暇までもらえて、地元の黒人たちからは神様あつかいである。しかも、たいしてやることもなくふんぞり返って命令するだけの仕事である。 それが、一夜にして交替である。ユルユルのぬくぬくの完成されたポストに、突如として地元のアフリカ人が就く。つい最近まで奴隷として仕えていた立場に、自分が就いているのである。傲慢不遜にならないほうがおかしいだろう。宝くじにあたって頭がおかしくなる人と一緒である。それが全国規模で、さらに悪いことには国政の中心部までがそのような激烈な交替を体験したのである。 カプシチンスキは安くでランドローバーを買えたからよかったが、タンザニアといわずアフリカの急激な独立をはたした国の政治と役所がとことん腐敗しているのは、このような理由もあるだろうと思える。 ...

うつ病とメランコリア 『メランコリア』ラース・フォン・トリアー

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うつ病の人がおおい。厚生労働省の調査結果では日本人のおよそ15人に1人はうつ病だという。うつ病を発症させる因子が社会性ストレスといわれているところから、現代病の一種と考えている人もおおいようだが、そうでもない。増えたのは、この病気が社会的に認知されたからである。 うつ病という名前がなかった昔は、それを「メランコリア」と言っていた。紀元前400年頃すでに、「医学の父」とよばれるヒポクラテスがこの悩ましい病気について言及している。 ヒポクラテスによると、人間には4つの体液があるという。血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つの体液が正しい状態にないと、人は病気になるという。これを「四体液説」という。 四体液説を信じている医者はもういないが、それでも体内のバランスが崩れて病気になるという考え方はいまでも通用している。なんのバランスなのか指摘できないのに、やたらとバランスが大事だという人がいるのは、2400年前に流布した四体液説のなごりかもしれない。 その四体液説のうちの黒胆汁が過多になると患うのが、メランコリアである。メランコリアになると悲しみや不安や憂鬱をかんじ、病気が進行すると無気力になり、妄想や幻覚をみることもあるという。つまりいまでいううつ病である。 16世紀初頭の版画家アルブレヒト・デューラーの傑作『メランコリアⅠ』は、まさにこの鬱気質を描いている。 版画の中で、小屋の前に腰かけた翼のある人物が右手にコンパスと本を抱えている。しかし彼女が見ているのは手元の本ではなく、版画の枠外のどこか遠くのようである。足もとには大工道具が転がっており、痩せた犬が寝そべり、不思議な多面体が置かれている。はしごが立てかけられた背後の小屋の壁には、魔方陣が描かれ、鐘、大きな砂時計、はかりがつるされている。背景は波のない海のようであり、上空に虹が架かり、その向こうを巨大な彗星が飛んでいる。 「うつ病」というアカデミックで散文的な用語にはなく、「メランコリア」という言葉には存在する意味に、憂鬱、憂い、思索、悲哀といったものがある。デューラーの『メランコリア』には、そのどれもが含まれているように思える。暗い顔の天使は、うつ病というよりもなにかを憂いているようにも見えるのである。 ヒポクラテスの四体液説は、物質の四大元素(空気・火・水・土)につながっ...

ポール・セローと旅するアフリカ縦断 『ダーク・スター・サファリ』他

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『ダーク・スター・サファリ』ポール・セロー ポール・セローのひさびさの日本語訳。それもアフリカ縦断の旅。しかも691ページ。英治出版社の「オン・ザ・ムーブ」シリーズの3冊目。先にブルース・チャトウィン『ソングライン』、ニコラ・ブーヴィエ『世界の使い方』が出ている。シリーズなのにそれぞれ判型が違うというちょっとイキな装幀。 書店に平積みされているのを見て、この分厚さは自分への挑戦に違いないと思い込んで購入。さっそく読み始める。 セローはかつて『中国鉄道大旅行』を読んだ。あの知的な痛快さはまだのこっているだろうか。セローの足跡をたどりながら、日本ではなじみの薄いアフリカとそこで生まれた文学の旅をボクもしてみようと思った。 カイロ セローの旅はエジプトはカイロからはじまる。スーダンのビザがおりないためカイロに足止めをくらって、セローはナイルを行ったり来たりする。 ある夜、カイロのホテルで作家のナギーブ・マフフーズと出会う。マフフーズは06年に死んでいるから、セローのこの旅はその直前だろう。耳の遠いマフフーズをかこんでカイロの知識人たちが政治談義をしている場面が興味深い。 マフフーズは88年にアラブ世界ではじめてノーベル賞を受賞した。代表作『バイナル・カスライン』はエジプト独立戦争を背景にバイナルカスライン通りに住むアフマド一家の3代にわたる物語。ハサン・イマームによって映画化もされている。 マフフーズと「 アフリカ文学」 先日、ジュンク堂の外国文学の棚を見ていると、マフフーズの新刊『張り出し窓の街』が「アジア文学」コーナーに配架されているのを発見した。「マフフーズはアラブ文学だから、アラブ=中東だろう。中東はアジアだからマフフーズはアジア文学になる」そういう発想なのだろうが、マフフーズはエジプト人である。厳密に地域でわけるならマフフーズはアフリカ文学に入れられるべきである。だが、「アフリカ文学」と言ったときのニュアンスと、「アラブ文学」とのニュアンスは違いすぎる。アフリカにも文学にもほとんど興味のない人間が思い浮かべる「アフリカ文学」といえば、アイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』(映画『愛と哀しみの果て』の原作)やポール・ボウルズの『シェルタリング・スカイ』などのアフリカを舞台にしただ...

イスラームへの旅 サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』

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1991年7月11日、筑波大学助教授の五十嵐一が研究室のあるビルのエレベーターホールで何者かに殺害される事件がおきた。前年の1990年に五十嵐教授はサルマン・ラシュディによる長編小説『悪魔の詩』の日本語訳を上梓しており、そもそも『悪魔の詩』は当時イラン最高指導者であるホメイニによって禁書とされ、著者であるラシュディは死刑宣告のファトワ(イスラムの勧告)をうけていた。同年にはイタリア語版の訳者が襲われ重傷を負い、93年にはトルコでこの本の研究者の集会会場が襲撃され37人もの死者をだしている。 この本のなにがそんなにイスラーム指導者を怒らせたのか。 理由は2つだと考えられている。ひとつは予言者ムハンマドの12人の妻とおなじ名前の娼婦がでてくることである。とくに最初の妻ハディージャは世界最初のイスラム教徒であり、ハディージャの実家であるハーシム家はメッカの迫害から最後までムハンマドを保護し続けた名家なのである。しかしこれは表面上の理由だろう。作者であるラシュディもここになにか本質的な問題を含めたわけではないだろうとおもわれる。 もうひとつはムハンマドと悪魔との取引に関してである。もともと多神教であったメッカは、メディナで勢力を拡大し続けるムハンマド率いる「イスラーム共同体」に恐れをなし、停戦協定を申し出る。その取引条件というのが、イスラームのアッラーを認めるかわりにカアバ神殿にまつられる多神教の神々を認めろ、といものである。じっさいクルアーン53章にはムハンマドが多神教を認めたともとれるような記述が存在した。のちにムハンマドはこれは悪魔が書かせたものであるとして撤回したのだが、ラシュディの小説には、そのメッカとの取引において、正しい信仰であるイスラームをひろめる合理性や共同体の仲間への身を案じ、多神教の偶像を認める決断をする場面が克明に書かれている。 しかし2段組上下巻600ページの、けっしてみじかくも読みやすくもないこの『悪魔の詩』を読み切ってみると、キリスト教でもましてムスリムでもないわれわれ一般的な日本人には、どちらかというとイスラームの擁護をしているようにかんじられるのである。 その最たる部分が、この長い物語の強力なサブプロットをとる絶世の美女アーイーシャの物語である。 天涯孤独の孤児アーイーシャは、そのこの世のものと...

追悼テオ・アンゲロプロス 『旅芸人の記録』『狩人』『エレニの旅』

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鏡の前にたち、まず最初に自分の右目に注目する。つぎに左目に注目する。これをすばやく5、6回くりかえす。くりかえしどちらの目に注目してみても、自分はなにも動いていないように思えるはずである。まして眼球はうごいていないようにみえる。 ところがこの行為を横から観察している人には、鏡をのぞき込む者の眼球が激しく動いているのがみえる。 あるいは自分の手元をみているとき、声をかけられて振りむくとする。真後ろにたつ知り合いの顔まで首と眼球を移動させるのに1秒ちかくかかったとしても、その1秒間の「あいだ」の映像はほとんどまったく記憶にものこらないし映像にさえならない。手元と、知り合いの顔のふたつが隙間なくならぶ映像だけが脳にのこるのである。 つまり人間の脳は、移動の影響でぼやけてみえる視覚情報を切り落とし、意味のある映像だけをのこす、という処理を常にしているのである。このことについて映画編集者のウォルター・マーチは「脳の視覚野がコンスタントに知覚したものを編集している」と表現している。(マイケル・オンダーチェ『映画もまた編集である』) この脳の処理能力のおかげで、だからわれわれは映画をみてその筋や意味についていくことができる。爆発する車の映像のあとに、吹き飛ばされて転げ落ちる主人公をみてその両方を接続させる意味を瞬時に人間は発見する。その間の眼球の動きが知覚する映像はもともと脳がリダクションしているものだから、擬似的な知覚映像においてもその編集はすんなりと脳がうけいれるのである。 それがわかっているから、映像作家たちは脳の処理の限界まで意味をつめこむ。つまりカットをおおくすることで、おなじひとつの尺によりおおくの意味を入れようとするのである。 その最たるものが日本固有の15秒CMである。世界的に流通している30秒の半分しかないから、おのずとひとつひとつのカットがみじかくなる。なかにはストーリーのオチに0.5秒さえかけないCMもある。0.5秒以下のカットで人間が認識できるのは、映像のごく中心にあるものだけだ。カメラの中心にいる登場人物の表情が笑っているのか泣いているのか程度の認識でオチがつく(つまりストーリーが完結する)ぐらいの簡単明瞭なものしか、だから15秒では表現できない。ここまでみじかい尺によりおおくの意味をつめこみ、それを目の回るような早さでカ...

ルソー、グーグル、ジェダイ 『スターウォーズ』『一般意志2.0』『社会契約論』

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ジョージ・ルーカスのSF映画『スターウォーズエピソード2』のなかで、のちの銀河帝国皇帝であるパルパティーン議長に帝国主義的思想の影響をうけつつあったアナキン・スカイウォーカーは、恋人パドメとの甘いデートの最中、権力と力による統治の夢をかたる。それを聞いたナブー星議員でもあるパドメは驚愕して叫ぶ「本気なのアナキン?」。このくだりはパドメがアナキンの発言を冗談だとかってにミスリードして決着するが、恋人の発言が多少独裁主義的だからといって、目を見開き眉間にシワをよせて恋人の失言を責めるほどのことであるのだろうか、という疑問がのこる。 ボクはなにもSF映画の娯楽ファンタジー作品に、重箱の隅をつつくようなリアリズムのツッコミいれたいのではない。スターウォーズというSF大作が根底に据えている、人々の(なかにはエイリアンの)揺るぎない大義への矛盾が、はからずもわれわれ21世紀にいきる現代人の抱える矛盾の巧妙な鏡像のようにみえるからである。いわくそれは、どちらも民主主義そのものの矛盾であり、崩壊の予兆でもあるのだ。 長い『スターウォーズ』シリーズのなかでも後半に作られた3作「エピソード1、2、3」はいわばジェダイ騎士団の大敗の物語である。と同時にジェダイが死守しようとする議会制民主主義の敗北の物語である。 そもそもその物語のはじまりから銀河連邦議会はただしく機能していないようにみえる。独立国(星)であるはずのナブーにある日とつぜん交易権拡大のために通商連合、つまり資本家による売買の利潤のみを追求する現代でいうヘッジファンドのような組織が侵略してくる。主権を侵されたナブーは代表団を銀河連邦議会に派遣しナブーの窮状を訴えるが、議長は官僚のいいなりの傀儡政権であり議員たちも自己と地元の利益を優先するばかりでことはいっこうにすすまない。後のダークシディアスであるパルパティーン議員は、議長不信任案を可決させたあとナブーへの同情票を集めてみずからが銀河連邦議長となり権力奪取をはかる。そもそもナブー問題は不信任案を可決させ議長に信任するための手立てでしかなかったのだから、事件はそれでもいっこうに解決しない。健全に機能していない議会に見切りをつけ、ナブー代表団はみずからのちからで通商連合と戦う道をえらぶ。 そこにからむのがジェダイである。ジェダイは銀河連邦議会から切り...

イデオロギーによるリンチ殺人 山本直樹『レッド』・ドストエフスキー『悪霊』・山城むつみ『ドストエフスキー』

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1969 年末から 70 年 2 月にかけて、「山岳ベース」とよばれる山中の「アジト」に潜伏した連合赤軍の中核組織「革命左派」の若者ら 30 名は、「総括」とよばれる他者批判と自己批判運動による「思想点検」から発展した暴力行為によって、アジトこもる 30 名中の 12 名を集団リンチによって殺害した。その前年の東大安田講堂陥落いらい国民の支持を喪失したこれらの新左翼は、強硬姿勢を強めた警察の検挙もあってますます過激で硬直した組織へと坂道を転げ落ちるように転落し、ついには社会改革とは似ても似つかぬテロリストとなり、おたがいを殺しあうようになってしまったのだ。 その殺害方法がまたおぞましい。生きたまま縛りつけアイスピックを突き刺したうえで厳冬の屋外に放置する、食事を与えずロープでつるしたまま何日にもわたって殴打される。なかには妊婦を殺害後、腹部を開いてその胎児をとりだそうとさえしたものもあったらしい。俗に言う「山岳ベース事件」である。 そのなかのさらに先鋭化した 5 人が群馬県側に逃げ、軽井沢の浅間山荘に人質をとって立てこもった。これが「あさま山荘事件」である。 その過激すぎる思想、殺害の残忍さ、殺人の動機がイデオロギーであったこと、また彼らのほとんどが高学歴の優秀な大学生であったこと、また浅間山荘での立てこもり事件がテレビによって大々的に生中継されたはじめての報道であったことなどから、日本犯罪史上類を見ない事件といわれている。 だからこの事件をテーマにした文学作品や映画がおおくつくられている。軽い気持ちで引き受けられるようなテーマではないので、どの作品も質的に相当重いものばかりである。 もっとも有名なのは立松和平の『光の雨』だろうか。もはや老人となった、山岳ベース事件に関与したもと連合赤軍メンバーの語る記憶、というスタイルで物語がすすむ。 最近では雑誌「イブニング」に連載中(2012年1月現在)の山本直樹のマンガ『レッド』がある。物語の端々に最終的な悲劇を彷彿とさせる描写(殺される順番に登場人物に番号が振ってある、副題が 1969 ~ 1972 など)があるが、全体的に感じるのは、異常な思想の極悪犯罪者を描くのではなく、まるで学生の群像劇のように描写する山本直樹一流のその「クールさ」である。 映画で特筆すべきは熊切和嘉の『...

東北とは、東北復興とはなにか? 赤坂憲雄『東北学』柳田国男『雪国の春』

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青森県の下北半島を旅すると、夏でも寂寞としたその風景にぞっとすることがある。そこはわれわれの見なれた日本の風景ではない、どこか異界めいた違和感をあたえる「田舎」なのである。この違和感がなにかずっと気になっていたが、赤坂憲雄の『東北学』を読んで気がついた。下北にはわれわれ日本人がみなれた水田がないのである。平地や山間といったあるべき場所に水田がないだけで、風景がとつじょ異界じみて見えてくるほどにわれわれ日本人は稲作文化にどっぷりとつかっている。だからおなじ日本であるのに、水田のない下北半島は「異界」であり、「寂寞」とした親しみのないものになってしまう。 それぐらい、稲作文化は日本人の意識形成や価値観に影響をあたえ、いまや稲作のない日本や日本人は考えることさえできない状態にさえなっている。「日本人とは米である」と言ったってだれも反対する人はいないだろう。 そういう「米の国」を根柢でささえるのが、日本の穀倉とも言える東北地方である。「東北」ときいて最初に思い出すのが「米、水田、稲作」という人もおおかろう。 柳田国男が『雪国の春』で書いたのもそのような稲作文化圏の東北である。軒先まで雪に埋もれる東北だからこそ、その雪解けをよろこぶ風習のひとつひとつに稲作文化、つまり「瑞穂の国」の「常民」の姿がある、と書いたのだ。 赤坂憲雄は自著『東北学』において柳田民俗学のこの「常民思想」を批判的に展開するのである。柳田が言うように、ほんとうに日本は「瑞穂の国」という観念で統一的に論じることのできる土地だったのだろうか。 そもそも東北の別名「みちのく」は、畿内からみて海道と山道のつきる果ての「道の奥」という意味である。古代ヤマト朝廷の覇権の及ばぬところという意味である。 中央集権体制に移行しつつあった畿内ヤマト朝廷は、律令制が制定された7世紀頃からすでにこの「みちのく」へおおくの兵をおくっている。そのころの東北は「まつろわぬ民」であり、「蝦夷(えみし)」の国であり、完全に外国であった。 平安初期になると桓武天皇が3度、蝦夷征討をしており、かの坂上田村麻呂が征夷大将軍となって胆沢(現在の奥州市)のアテルイをようやく平定する。アテルイにかんする書物は『続日本紀』ぐらいしか記録がのこっていないようだが、寡兵で大伴弟麻呂を破るなどそうとうな蝦夷の武将であ...

アートと政治性 『アイ・ウェイウェイは語る』

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安土桃山時代の名連歌師でもあり政治的有力者でもあった里村紹巴は1567年、40才のころ富士山をみるために旅にでた。 歌人としても政治家としても頂点にのぼりつめていた紹巴はどの土地でも盛大な歓待をうけ、土地の歌人や貴族、武将たちと連歌を詠んだ。そのことを、彼は自身の旅日記『富士見日記』に記している。 紹巴が尾張に投宿した晩のことだった。異変に気がついて目覚めてみると、西の空がまるで昼間のように光り明るかったという。彼は書いている。 「夜半過ぎ西を見れば、長島追落され、放火の光り夥しく、白日の如くなれば、起出で」 (ドナルド・キーン『百代の過客』) 紹巴が見たのは、現代でいうところのいわゆる「長島一向一揆」の戦乱の光である。「追落され」空が昼間のように明るかったという記述を考えると、信長が長島周辺の村をことごとく焼き討ちした「尾張長島焼き討ち事件」のことだろう。 しかし驚くべきはこのあとにつづく紹巴の和歌である。 たび枕ゆめぢ頼むに秋の夜の 月にあかさん松風のさと 燃えているのが無実の村人の住む村であったという認識は紹巴にはなかったかもしれない。あるいは紹巴は内心、本願寺を嫌っていたかもしれない。しかしすぐそばでいくつもの村が燃え、おおくの村人や門徒が死んでいることぐらい紹巴でなくても想像できるだろう。そのような状況で紹巴は、一向一揆にも本願寺にも焼き討ちにも、まして人の命の問題さえ完全に無視して、月夜の美しい旅枕を和歌にするのである。 もし現代、例えば大江健三郎が講演旅行中の岩手県で東北大震災に遭遇して、帰京後に燃えさかる宮古市を完全に無視して浄土ヶ浜の美しさを褒めたたえるエッセーかなにかを発表したら、彼の作家生命はそこで終わってしまうだろう。現代では、現実を無視して美を追究することはできないのである。 最近みすず書房から刊行されたアイ・ウェイウェイのインタビュー集『アイ・ウェイウェイは語る』(ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著)を読んだ。 彼の現代アートがどれぐらいのものかは、美術オンチのボクにはわからない。しかしなぜ彼がアーティストとしても建築家としても最近ではアクティビストとしてもこれほどまでに重要視されているか、の理解の一助にはなった。 「ブログこそ21世紀の『社会彫刻』だ」という...