アートと政治性 『アイ・ウェイウェイは語る』

安土桃山時代の名連歌師でもあり政治的有力者でもあった里村紹巴は1567年、40才のころ富士山をみるために旅にでた。
歌人としても政治家としても頂点にのぼりつめていた紹巴はどの土地でも盛大な歓待をうけ、土地の歌人や貴族、武将たちと連歌を詠んだ。そのことを、彼は自身の旅日記『富士見日記』に記している。
紹巴が尾張に投宿した晩のことだった。異変に気がついて目覚めてみると、西の空がまるで昼間のように光り明るかったという。彼は書いている。

「夜半過ぎ西を見れば、長島追落され、放火の光り夥しく、白日の如くなれば、起出で」
(ドナルド・キーン『百代の過客』)

紹巴が見たのは、現代でいうところのいわゆる「長島一向一揆」の戦乱の光である。「追落され」空が昼間のように明るかったという記述を考えると、信長が長島周辺の村をことごとく焼き討ちした「尾張長島焼き討ち事件」のことだろう。
しかし驚くべきはこのあとにつづく紹巴の和歌である。

たび枕ゆめぢ頼むに秋の夜の
月にあかさん松風のさと

燃えているのが無実の村人の住む村であったという認識は紹巴にはなかったかもしれない。あるいは紹巴は内心、本願寺を嫌っていたかもしれない。しかしすぐそばでいくつもの村が燃え、おおくの村人や門徒が死んでいることぐらい紹巴でなくても想像できるだろう。そのような状況で紹巴は、一向一揆にも本願寺にも焼き討ちにも、まして人の命の問題さえ完全に無視して、月夜の美しい旅枕を和歌にするのである。

もし現代、例えば大江健三郎が講演旅行中の岩手県で東北大震災に遭遇して、帰京後に燃えさかる宮古市を完全に無視して浄土ヶ浜の美しさを褒めたたえるエッセーかなにかを発表したら、彼の作家生命はそこで終わってしまうだろう。現代では、現実を無視して美を追究することはできないのである。

最近みすず書房から刊行されたアイ・ウェイウェイのインタビュー集『アイ・ウェイウェイは語る』(ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著)を読んだ。
彼の現代アートがどれぐらいのものかは、美術オンチのボクにはわからない。しかしなぜ彼がアーティストとしても建築家としても最近ではアクティビストとしてもこれほどまでに重要視されているか、の理解の一助にはなった。
「ブログこそ21世紀の『社会彫刻』だ」という彼の、思想、生活、住居、作品、ブログ、そして中国当局に拘束されるその経歴までもふくめて、そのすべての行動がアートと直結しているからだ。彼はいう。
「中国のような社会においては、権利とか表現方法にかんする問題は、政治的になることは避けがたい。だからわたしは、やむなく政治的人物になってしまった」
現代において、とくに現代アートであればなおさらのこと、アートそのもので評価できる意味などほとんどないのである。40メートルの津波におそわれた海岸をただ「美しい」といってみたって、あるいはおおくの村人が焼き殺されている横でどんなに旅の月をキレイに詠んでみたって、そんなものは無価値である。いまは、そういう時代なのである。なぜなら、アーティストもアート自体も、悲惨であったり残虐であったりする現実の一部でしかないことは、もうだれでも知っていることだからだ。アイ・ウェイウェイは続ける。

「われわれは、じっさいに現実の一部なのだから、もしそれを理解していないとしたら、まったく無責任だよ。われわれは生産的現実だよ。われわれは現実ではあるけれど、この現実の役割りが意味しているのは、われわれが別の現実をプロデュースしなければならないということだ。」

紹巴のような人物が、アーティストとしてこの国の最高権力者にまでのぼりつめたような時代が、またもどってくることは当分なさそうである。


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