源氏物語と私小説

「古典の中の古典」と言われ「世界初の長編小説」とも言われる『源氏物語』は、古文の問題さえ乗り越えられればいま読んでも充分に楽しく共感のもてる時代を超越した作品である。英国の批評家ヘンリー・ヒッチングズは『源氏物語』を評して「それが書かれた時代にヨーロッパでうまれた作品(『ベイオルフ』や『ロランの歌』など、要するに騎士の英雄的武勲に関するもの)よりも、19世紀のイギリス小説のほうにずっと近い。(…)心理学的洞察は容易に理解できるところが多いし、楽しむことができる」と言う。
しかし、ヒッチングズやヒッチングズが自著で引用するバージニア・ウルフなどがどれだけ『源氏物語』を賞賛しようとも、ヨーロッパ世界での評価は高くないと言わざるをえない。それはつまり、『源氏物語』には「テーマ」がないからである。
そういわれて瞬間に『源氏物語』を一言で要約できるテーマを言える人はあまり多くないだろう。「1000年前の宮廷における恋愛の機微と人間の煩悩の物語」などと物語の要約のようなかたちで表現できる人はいるかもしれない。しかしシェークスピアが『マクベス』や『ハムレット』でおこなったような明確なテーマの掲出をするには『源氏物語』は長すぎ、『イーリアス』と比較するには人間的でありすぎ、しかも散文という形式をとっていた。
だからヨーロッパの文学者にはだらだらと宮廷の日常と恋愛をそのまま書いているにすぎないと思えたのだろう。
江戸期の国学者、本居宣長は『古事記』や『万葉集』などの国学を中国からの外来思想「漢意」や儒教などによって解釈すべきではないと論じた。とくに『源氏物語』においては作品そのもの中に解釈をもとめるべきだとし、その本質は漢意にはない「もののあはれ」だと論じた。
本居は儒教や漢意という当時の外来思想で国学作品を評価することを危惧したが、それはそのままヨーロッパ的なものの考え方において日本の作品を評価することの危うさにつながる。ヨーロッパ文学の批評用語である「テーマ」というメルクマールで『源氏物語』を評価しようとしても、その作品のおもしろさや人を引きつける魅力とは裏腹に、一向にその評価ポイントが引き出せないという結果になったとしても不思議ではない。『源氏物語』にヨーロッパ思想下の概念である「テーマ」などそもそもないのだから。

遠藤周作がフランスに留学していたときの体験から書かれた短編『シラノ・ド・ベルジュラック』は、ヨーロッパと日本の文学における評価軸の違いに関する小説である。
フランスに留学した「私」は、フランス語と文学の家庭教師である「ウイ先生」が口癖のように言う「文学とはレトリックだ」という教えに反発を覚える。「私」には、文学とは「生きた人間の真実を書いたものだ」という考えがあったからだ。しかしウイ先生は「そんなものは宗教がやってくれる」という。日本では一般的で、当時であればメインストリームでさえあった文学表現の一形態「自然主義文学」が目指した、現実の人間が持つなまなましい真実を語るのであれば、教会で懺悔をすれば事足りる、そういうことだろう。
ある日、「私」はウイ先生の書斎で『シラノ・ド・ベルジュラック』のモデルとされたシラノの手記の古写本を発見する。そこにはロスタンの戯曲にはない、狡猾でもあり、悩める「生きた人間の」シラノの姿が書かれていた。
コキュであるウイ先生はその古写本は贋物だというが、小説の結末近くになって、自分の妻が自殺をしたという衝撃的な話を「私」にする。小説はそれで終わりである。
私小説の国から来た東洋人と、シラノ・ド・ベルジュラックに代表される言語の延長として文学をとらえる国の国文学者との、文学評価における対立と融和を書いた傑作短編、になったかもしれない可能性を、遠藤周作はにべもなく踏みつぶし、駄作にしてしまった。
作者自身も、主人公の「私」も、「人間の生きた真実」を表現するのが文学であるというほとんど宗教的なまでの盲信に支配されたまま、他の価値観を受け付けることを悪であるとさえ考えている。あまつさえ自分が勉強のために留学した国でのできごとである。日本独自に花開いた私小説的な表現とテーマを、シラノ・ド・ベルジュラックを教科書とする先生との議論に持ち出すセンスのなさにビックリもするが、それよりも結論への運びとして、贋作かもしれないシラノの古写本をわざわざ創作し、かつ自分の家庭教師の妻を自殺させることで徹底的な敗北をフランス人文学者にあたえる冷酷さは、むしろひとりの文学者としてある一線さえこえてしまったタブーではないのだろうか。
だからこの小説から読みとることができるのは、文学評価に対してわれわれはその文化が支配する価値観や評価軸の違いを乗り越えることはできない、という絶望的な反省でしかないのだ。
あるいはもし、文学評価において絶対的に「テーマ」を最重要と考える妄信的なイギリス人が、『源氏物語』にテーマがないという理由で、紫式部のニセの手記や妻に浮気と自殺をされた本居宣長まで創作して「テーマの勝利」をうたったとしたら、われわれはどう思うだろうか。
ウイ先生のいう「文学はレトリックだ」という箴言にそれほどの間違いがあったのだろうか。むしろそもそも文学はレトリックであるはずである。その点では「もののあはれ」を表現する『源氏物語』もレトリック文学であったのだし、われわれ日本人が文体とテーマを分離して考えるようになった契機は、私小説を中心とした自然主義文学の勃興と、自然主義文学者たちが中心となって展開した言文一致運動からである。平安時代に成立した文語は、それ自体が流麗で巨大なレトリックだったのだ。

小林秀雄は『私小説論』のなかで、「私小説は『私』が社会化されていない」といって批判し、「私小説は滅びたが、人々は『私』を征服しただろうか」と疑問を提示する。「私」を征服するとは、つまり自己認識の手段を新しく構築しなおすということである。「私」が「私」のままなんの疑問もなく自分の身辺を語るだけでは、自己認識をあらためることにはならない。むしろ「私」を語るためには「私」を脱構造しなければならないはずである。そのために「社会」という枠組みと、「歴史」という尺度が、「私」を征服するための重要な道具として機能するのである。
もしかすると文化衝突とそれを乗り越える一組の文学者の物語になれる可能性さえ持ちえながら、しかし残念ながら、遠藤周作の短編『シラノ・ド・ベルジュラック』は、「私」を組み替える作業において「社会」も「歴史」も考慮することなく恣意的になされてしまったような気がしてしかたがない。機械のように規則的な日常をおくることで自身を鍛錬しようとするこのフランスの知の巨人に対して、互いに相違するはずの文学理論でたたかいを挑むには、少なくとも私小説が繁栄する日本国内においてさえ噴出する批判にこたえる自身の強固で価値観を超越する方法論が必要であったはずである。それを持たぬまま叙情に訴えるだけではあまりに拙すぎる。拙いまま小説を終えるためには、作者は卑怯な手段をとらざるをえなかったのだろう。文学そのものを題材にする文学を書くのであれば、その問題は決して避けては通れないものであったはずなのだが、この短編は理論に対してもモラルに対しても反則技で勝つことを選んでしまった残念な小説である。

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