この危機にオススメ! の本 『1995年1月・神戸』中井久夫著編

被災数日後から中井が見るように
なった「トラサルディ症候群」の夢
われわれ日本人は「あのー」といって話し出すことが多い。
本人さえなんのために言うのかわからないこの間投詞は、文学の世界でも書かれることは滅多にない。むしろ口語の性質が強すぎて文語には不似合いである。文字に書かれることもないから、この手の言葉は言葉そのものを対象とする文学者からも忘れられてきた。しかしこの「あのー」が属するのは言葉の世界にちがいない。
心理学を研究する学者にとっても「あのー」はあきらかに言葉の世界に属するものである。だから患者が「あのー」と話しはじめてもそのあとに続く意味を追い、意味に患者の心理をさがそうとする。
だから「あのー」のような間投詞はいろんな研究領域のはざまに位置していて、言葉としてそれがなぜ使われるのかをまじめに議論されたりすることは少ない。
その少ないことを実践するものの一人に中井久夫がいる。中井は本業の統合失調症を専門とする精神病理学者としての知識と、余業とは思えぬほど完成されたヴァレリーの翻訳業と、その両方の知識をいかして「あのー」を解明する。中井によれば「あのー」には、語りかけるための作法としての意味、ためらいの控えめな表現、会話の相手の注意をよびこむためのアテンションなどの重要な意味を持っているのである。
ギリシャ語、ドイツ語、フランス語、英語、オランダ語、日本語を操り、学生のときは本気で精神科医になるかヴァレリーの研究家になるか悩んだというこの知性のかたまりは、ギリシャ詩の翻訳も多くこなし、みすず書房から多くの本を出し、PTSDの権威でもあり、神戸に住み、そうして1995年に阪神大震災で被災し、精神科医の立場から惨禍が人々にあたえるこころの傷をつぶさに研究した。

『1995年1月・神戸』は、阪神大震災の翌々月に早くも出版された。震災にかかわった39名の精神科医が、惨禍がいかに人のこころに傷をあたえ、その傷がどのような症状としてあらわれ、筆者である精神科医はどのような対応をしたのかが、震災直後のなまなましい文章で書かれている。
阪神大震災がおきた1995年頃にはまだPTSDはそれほど一般には知られていなかった。むしろ中井久夫らの活躍と、彼らが書いたこのような本のお陰で一般的になっていったといえるだろう。
ただし、PTSDの専門医を目指すのであればこの本は「震災ドキュメント」のようであまり勉強には向かないかもしれない。しかし「震災ドキュメント」であるからこそ現場の混乱が手に取るようにわかるのかもしれない。かりにもし、いまこの本を読める立場にある人がいれば、その人はいま東北でなにが必要なのか、どのような苦痛が被災者のこころの中で渦巻いているのかの一端が理解できるだろう。とうの昔に絶版であるが。

非常に残念ながらボクは未読であるが、おなじみすず書房刊のビヴァリー・ラファエル著『災害の襲うとき カタストロフィーの精神医学』はもっと広範囲に、災害の発生後に被災者とその周囲の人々になにがおこるのかを考察したものである。PTSDはもとより、被災地からの立ち退きと再定住の問題まで書かれているそうだ。こちらも絶版のようだ。




こちらも未読だが、おなじ中井久夫が書き、編集した阪神大震災のその後を追ったドキュメントもみすずから出版されている。『1995年1月・神戸』のちょうど1年後に、街と人々がどのように災害を乗り越え、あるいはどのような困難があったのかを記録している。絶版。
今回の東日本大地震を乗りこえるための非常に大きな示唆をあたえてくれるはずである。「教訓をいかす」とは、この本を読むことである。と言い切ってしまおう。

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