舞台劇と映画劇 「デス トラップ(死の罠)」をDVDで。ネタバレ

シドニー・ルメットの「デス トラップ」をDVDで観賞。しかしDVDを見て「映画を観た」というのは語彙的にも映画ファン倫理的にも間違っている気がする。ただしくは「かつて映画だったものをDVDというメディアで再構築してみた」ぐらいじゃないだろうか。
かつて「音楽を聴くときは部屋を暗くして黙想しながらでないと正しく視聴できない」と言う極端なひとがいた。その感覚で言うとDVDは「映画でない」のだろう。
当時はボクも若くてその言葉にふむふむとか思っていたが、今おもえば例えばジャック・ジョンソンとかスカタライツとかもそうした方がいいのだろうか。クラシックならわからないでもないが、パンクもそうすべきなのだろうか。レゲエも暗くした方がいいのか。ジャンルによるのだろうか。うどんを食べるのに作法も探求もないが、そばには多くの乗り越えるべき障害があり、みな求道者のような顔でざるやせいろをすすっている。そんな違いだろうか。そのあたりもよく聞いておけばよかった。
とにかくDVDで「映画を観た」というのは間違っているが、うどんみたいな映画ならややかまわないのだろう。うどんはおいしければよいのだ。
先日、子供をつれて「仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ 同時上映 天装戦隊ゴセイジャー エピック on the Movie」という長い名前の映画をトーホーシネプレックスでみた。わざわざ出かけて1800円払ってスクリーンでみたわけだが、DVDで十分だった。10メートルスクリーンとドルビーサラウンドの意味がほとんどなかった。
メディアもいろいろ、映画もいろいろ、ってわけか。

で、デス トラップ。
4度連続して不人気劇を書いてしまった劇作家ブリュールは、テレビでの酷評に耐えきれず泥酔し帰宅する。オールドイングランド郊外のすさまじくいい家は奥さんの金からでたものだ。
窮地に立つブリュールは、かつての教え子クリフォードが送ってきたスリラー劇作品のできのよさに驚き、クリフォードを殺してこの作品を自分のものにしようと計画する。
必死に止めようとする妻をなだめたりすかしたりして、クリフォードが知人もなく、作品を誰にも見せておらず、コピーさえとっていないことを聞き出し、殺人を実行しようと言葉巧みに小道具の手錠をはめてしまう・・・。

シドニー・ルメットは「十二人の怒れる男」や「評決」、「セルピコ」のように基本的にリアリズム作家と言われることが多い。
しかしこの「デス トラップ」はその真逆だった。登場人物の少なさ、台詞の過剰な巧妙さ、役者のコミカルなオーバーアクション、ありえない筋書き、意味深すぎる舞台装置など、演劇的な演出が多く、実際、主人公は劇作家で、物語も始まりの10分程度と最後の数分以外はすべて主人公の家の中からカメラが出ない室内劇となっている。
現実がいつのまにやら舞台劇と入れ替わり、霊媒師が脚本家となって大喜びしているラストなどはそのもっとも端的な反リアリズムの作法だ。
だからどちらかというとこれは同じシドニー・ルメット監督の「オリエント急行殺人事件」の方に近い気がする。ポアロのあの芝居がかった台詞まわしは、ブリュールのプチブルくさい身のこなしと共通するものがある。オリエント急行のぴかぴかした調度品に飾られた車内と、武器や拷問具を飾った書斎と風車のあるブリュールの家も、その毒気と落ち着かなさでは共通している。しかも両者ともに室内(車内)からカメラがでることはほとんどない。
しかも「オリエント」に比べてこちらはもっとフィクションを全面におしだしている。フィクションというよりは「芝居くささ」といったほうがいいぐらいだ。それはすなわち、舞台劇を映画劇に移し替えることで生み出されるおもしろさであり、違和感でもあり、この映画のひじょうにユニークなところなのだ。

以下、「デス トラップ」をみてボクが勝手に近いと連想した脳内リコメンドシステムの結果表示。

ロバート・アルトマンの遺作「今宵、フィッツジェラルド劇場で」
舞台、長いシーン割り、室内劇。そのあたり似ている気がする。

モンティ・パイソン
「デス トラップ」の要所要所にも録音された笑い声をいれていいのではないかと思うほど、この映画はフィクションを大前提としていた。またなぜかイギリスっぽいシニズムを感じる。

オリエント急行殺人事件
上にも書いたが、ポアロの芝居がかったキャラクターは、途中で登場してきてもあまり違和感がないように思うのだが。

三谷幸喜「ラジオの時間」
こちらはもともと室内劇の極地「グランドホテル」がお好きなようだが、そこまで舞台劇と映画劇の融合を徹底していないところが、かえって似ている。ま、ここでは演劇ではなくラジオなのだが。

なんにしても、よい脚本、よい役者、それと少しのすぐれたアイデアがうまく揃えば、おおげさな仕掛けも、最近よくあるとってつけたような「衝撃のラスト」も、莫大な資金もそれほど必要ではないのだと、あらためて思った。必見。


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