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特定秘密保護法はミロス島民を殺すだろう。

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紀元前5世紀、アテナイの大軍がミロス島に侵攻したとき、アテネ人は中立の立場をとるミロスの代表者をよんでこう言った。 「圧倒的軍事力を誇るわれわれには、あなたがたを皆殺しにすることは簡単だ。だがもしあなた方自身が、自分たちを殺すことがわれわれアテナイにとって不利益となるのだと証明できるのであれば、ミロス島の民は生き残るだろう」 それからアテネ人は付け加えた。 「ただし、正義とか正当性といった合理的でない言葉を使ってはいけない。そのような利益とは関係のない言葉は、両者の力が拮抗している場合にのみ使えるものだ。圧倒的強者と弱者のあいだでは、強者がいかに大をなしえ、弱者はいかに小なる努力においてこれを脱しえるかしかないのだ」 ミロスの代表者は答える。 「人が死地に陥ったときに正義はどうしても必要となるだろう。たとえその正義や正当性が強者からみて不完全であったとしても、そのときそれらは必ずや互いの益となるのだ」 そうして戦争がはじまった。アテナイの言うとおりミロスは戦争に敗れ、兵士は全員処刑され、女と子どもはすべて奴隷にされてしまった。 このアテナイの興隆と衰亡を、紀元前の歴史家トゥキュディデスは『戦史』の中にことこまかく書きのこしており、ラケダイモン(スパルタ)との戦争中に起こったこのミロスの全滅の物語もそのなかに記されている。 それから時代が下って、ミロスほど「正義」や「正当性」への信念を持ち合わせていない「弱小国家」の為政者たちは、強国の「利益」となることを選択し、植民地主義の時代が到来する。 だがいくら時代が利益至上主義になろうと、末端の兵士や国民は、戦争という国家の一大事業をつねに「戦争の大儀」や「正義の戦い」といった文脈でとらえている。それは、そのような「合理的でない」意味でしか国民が戦争という自らの命をもかける国家事業に参加しないからである。 われわれは、実際的な「国家的利益」を秘められた目的とし、「利益」の前では無力であったはずの「正義」を原動力に戦争をおこなうのである。それがポストコロニアリズムと覇権主義の定式化した方法論である。 言い換えるならそれは、「正義」や「正当性」はいくらでも捏造することができるが、「国家的利益」は合理性の上にしか成立しないという、本来的な目的と結果の「ねじれ」である。 アテナイがそのようななり...

アナクロニズムと文化衝突

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1492年10月12日にコロンブスが西インド諸島のサン・サルバドル島に、ヨーロッパ世界の人間として歴史上はじめて上陸したとき、古くからその地に暮らしていたアラクワ族のインディアンはこう言い合った。 「みろ! この新大陸にクリストファー・コロンブスがやってきたぞ。とうとう我々は『発見』されたのだ」 15世紀のアラクワ族がコロンブスの名を知っているはずもないし、新大陸という名称さえ知るはずもなく、まして自分たちが「発見」されたのだという認識などあろうはずもない。だからこの発言は歴史を書く上で完全な間違いということになる。 これほど極端ではなくとも、こういった時代考証の間違い、時代や歴史の混在をアナクロニズム(時代錯誤)と言う。 卑近な例でいうとテレビドラマの時代劇などでこのアナクロニズムはよく散見される。 江戸時代が舞台の時代劇で町娘が侍に言う。 「お侍さん、オッケーです!」 オッケーという英語を町娘が話したはずもないが、似たようなミスは多い。 「あっしは彼女を愛していました」というセリフは、英語の対訳として明治期に産まれた「彼女」や「愛」といった単語が存在していなかったはずの江戸時代人が話せば、厳密に言うと時代考証のミスということになるだろう。 そもそもルソーもヴォルテールも知るはずのない江戸時代人が、つねに社会契約説を信じたヒューマニズムの原理によって個人主義的な愛や精神、友情、平等といった主題を信奉している場面やプロットが、テレビドラマでは多く見られる。時代考証を優先するなら、そんなフランス革命期に勃興したヒューマニズムや政治思想を持つ江戸時代人なんかいるはずもなかったろうし、いても一発で縛り首だろう。 だが、テレビドラマや娯楽映画の時代考証は、その正確性よりもストーリーの大意を伝える「わかりやすさ」を重要視しているため、多少の錯誤は許容されるようである。 テレビや娯楽映画は、そういったアナクロニズムを敢えて犯すかわりに、大多数の視聴者の納得と視聴率や興行収入を引き替えにしているのだから、そこに目くじらを立てるのは野暮というものだろう。 アナクロニズムはなにも現代のテレビプログラムだけが犯してしまう錯誤ではない。かのシェークスピアは、彼の偉大な戯曲『ジュリアス・シーザー』の中で決定的なミスを犯し...

『最後の手紙』フレデリック・ワイズマン、『人生と運命』ワシーリー・グロスマン

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『全貌フレデリック・ワイズマン』 『人生と運命』ワシーリー・グロスマン 『赤軍記者グロースマン』アントニー ビーヴァー 『最後の手紙』フレデリック・ワイズマン ドキュメンタリー映画監督のフレデリック・ワイズマンがパリのモンパルナスをあてもなく歩いていたとき、二人の俳優がロシア人作家の小説を朗読するという芝居の告知を偶然みつける。テーブルに向かいあった二人の俳優が交互に読み上げる芝居のテキストに感動したワイズマンは、翌日さっそく原作を購入して読み始める。そのなかのある1章を読んだとき、これならば劇になると直感し、英語で台本を書き地元ケンブリッジの小劇場アメリカン・レパートリー・シアターで上演した。 そのテキストこそが、ロシア系ユダヤ人作家ワシーリー・グロスマンの、スターリングラード戦を書いた大長編小説『人生と運命』である。この作品が完成したのは1960年であるが、日本では2012年1月にようやくみすず書房から日本語訳が出版されて話題となった。 その後ワイズマン監督は、フランスの国立劇団コメディー・フランセーズを題材にしたドキュメンタリー(『コメディー・フランセーズ』96年)を撮影したことで劇団の支配人ジャン=ピエール・ミケルと親しくなり、同劇場用になにか演出してみないかと持ちかけられる。ワイズマンは即座にこの台本を提示する。主演には、コメディー・フランセーズの重鎮カトリーヌ・サミーを起用する。 芝居は2000年3月から1ヶ月間上演され、大成功を収めたあとには北米巡業も成功させる。さらにその芝居を映画化すべく、アルテとキャナルプリュスから出資をとりつけ、2003年にニューヨークのフィルムフォーラムで初上映されたそうである。それが、フレデリック・ワイズマンのただ二つしかないフィクション映画のひとつ、『最後の手紙』の由来である。(『全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する』岩波書店) 『最後の手紙』は上述のロシア人作家ワシーリー・グロスマン『人生と運命』を原作としている。しかし827ページの重厚長大な3部作をすべて映画化しているのではない。第1部第18章のわずか14ページ(日本語版では19ページ)のみを、カトリーヌ・サミーの一人芝居というかたちで映像にしているのである。「手紙の章」とも言われることもある...

日常への強制 『望郷と海』『ショアー』『シンドラーのリスト』

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2011年3月11日、ドイツ思想研究家の細見和之は新幹線で大阪から東京へむかっていた。停電が発生し新幹線はゆっくりと止まると、そのまま3時間半も停車してしまった。ようやく到着した東京では帰宅難民が街を埋めつくしていた。ホテルのテレビで、ようやくその日の地震の規模が理解できたという。(『津波の後の第一講 <私たちのショアー>』) 当初予定していた仕事は当然キャンセルになり、翌日大阪へ向けて帰ることになった。あれだけの大惨事のあとだというのに、東京駅へ行くと電光掲示が光っている。「東海道新幹線は平常運転しています」と。 細見はここで昭和の偉大な詩人、石原吉郎の言葉を思い出す。「日常への強制」という、昭和45年に発売された彼の全集のタイトルにもある言葉である。 1938年に諜報部員として招集された石原吉郎は、1945年のソビエト参戦によって戦犯として捕らえられ、以後8年間、バムのラーゲリ(強制収容所)で過酷な強制労働に従事させられた。その当時のことを石原は『望郷と海』などの散文にも書きのこしている。 しかし過酷なラーゲリの記憶を語る石原の言葉が価値をもつのは、被害者の側を超えた「日常」に対する問題視と内省があったからである。 たがいに生命をおかしあったという事実の確認を、一挙に省略したかたちで成立したこの結びつきは、自分自身を一方的に、無媒介に被害の側へ置くことによって、かろうじて成立しえた連帯であった。それは、我々は相互に加害者であったかもしれないが、全体として結局被害者なのであり、理不尽な管理下での犠牲者なのだ、という発想から出発している。それはまぎれもない平均的、集団的発想であり、隣人から隣人へと問われて行かなければならなはずの、バム地帯での責任をただ「忘れる」ことでなれあって行くことでしかない。私たちは無媒介に許しても、許されてはならないはずであった。(「強制された日常」以下おなじ) ドイツ・フランクフルト学派の哲学者テオドール・アドルノは、「アウシュビッツの後では、もはや詩を書くことは野蛮である」と言った。 事実、石原はラーゲリの8年よりも、帰国したあとの3年の方が苦痛であったという。 私は八年の抑留ののち、一切の問題を保留したまま帰国したが、これにひきつづく三年ほどの期間が、現在の私をほとんど決定したように思える。この時期の苦...

テロリズムとデモンストレーション 『風流夢譚』『天皇の逝く国で』『ショックドクトリン』

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木下恵助と今村昌平によって2度映画化された『楢山節考』の原作者、深沢七郎はある日、夢を見た。 夢では、東京で大規模な民衆蜂起がおこっている。一部クーデターの気配もあるという。警察と自衛隊が内部分裂し、武力衝突が起こっているそうだ。 街中が騒然とするなか、深沢は民衆の流れにのって皇居へ行く。皇居では革命軍が皇后陛下を取り囲んでいる。夢のなかの深沢はなぜか「このクソババア」などといいながら皇后陛下と取っ組み合いのケンカをする。そして正直者の深沢七郎は、そのあと夢の中でおこる恐るべき出来事を彼のエッセー『風流夢譚』に記載する。深沢とのケンカのあと、斬首された皇后陛下の頭部がぽろりと地面に落下したというのである。 これが雑誌「中央公論」に掲載された直後から、激怒した右翼が深沢七郎宅や中央公論社に街宣車でおしかけるようになる。深沢は警察に保護されて住居を転々とし、長らく放浪生活をおくったといわれている。 翌1961年2月、大日本愛国党の17才の党員が中央公論社社長の嶋中氏の自宅に押しかけて、不在であった嶋中の代わりに妻を刺し、さらにそのとき家にいた家政婦の女性を刺し殺すという事件が起こった。 しかし、問題にしたいのはこの後である。右翼によるテロリズムの被害者であるはずの中央公論と嶋中社長が、中央公論の名によって全国の新聞に「謝罪広告」を掲載したのである。無関係な人間が殺され社長夫人が重傷を負わされた側が、国民に対して謝罪をするというのである。さらに、それが日本の言論出版を担うかの「中央公論」という知の巨人であったことに、当時の知識人らはおおいに驚き、絶望したのである。『風流夢譚』はたしかに軽率で不敬なのかもしれなかった。しかし最後まで戦うと思われていた出版人が、威嚇行為とテロリズムにたいして憲法で保障された権利をあっさりと投げ捨て、謝罪までしてしまうのであれば、いったい誰が言論を守るというのか、と。 1988年12月7日、長崎市定例市議会で、共産党議員が市長に質問をした。「天皇陛下に戦争責任はあるとお考えですか?」。それにたいして市長3期目をつとめる本島等市長(当時)は、一部条件をつけながらも「天皇陛下に戦争責任はある」と回答した。 折りしも昭和天皇が病院で吐血と下血をくりかえし、日本各地に「す...

ファウスト博士の原発開発 『ファウスト』『スピヴァク、日本で語る』

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『ファウスト』戯曲第一部において、愛する女グレートヒェンを救えなかった痛手から、かの有名なファウスト博士は残りの人生で国家的大事業をなすことを心に誓う。 まずは財政破綻を目前にひかえた神聖ローマ帝国へと赴いたファウスト博士と悪魔メフィストフェレスは、ありもしない地下の財宝を担保にした兌換紙幣を大量に発行させ一時的に財政危機をしのぐ。 そしてメフィストフェレスの3人の部下の力によって戦争を勝利に導き、皇帝から海沿いの湿地帯の土地を与えられる。 この土地を干拓し自分の王国を築き、さらには海そのものを埋め立てるという自分の計画に心酔したファウストは、菩提樹の丘からの立ち退きを拒む老夫婦を、メフィストフェレスによって強引に新開地に移動させようとする。しかしメフィストフェレスと3人の部下は、老夫婦とそこに居合わせた旅人もろとも殺害し小屋に火を放ってしまう。それを聞いたファウストは、メフィストフェレスを罵りながらこう言う。 私は交換を望んだので、掠奪する気はなかった。 浅はかな乱暴な仕打を、私は呪う。 それを聞いた悪魔の3人はこう歌う。 言い古された文句が、聞こえるようですね、 権力にはおとなしく従え。 もしお前が大胆で、張り合うなら、 家も屋敷もーーわが身をも賭けるんだ。 その後ファウストのもとに4人の「灰色の女」がやってきて彼の視力を奪う。 盲目になったファウストは、メフィストフェレスらがファウストの墓穴を掘っている音を、干拓のつちおとと思い込み、感動のあまり賭にした台詞を言ってしまう。 「瞬間よ止まれ、お前はいかにも美しい」 そしてファウストは悪魔との契約通り息絶える。 以上がゲーテの『ファウスト』第二部のあらすじである。 個人の欲望を叶えることに失敗(第一部)したファウストは、次に「海を埋め立てる」という壮大な計画にのりだす。だがその大計画も、足もとのほんの小さな抵抗によって失敗してしまうのである。 だが悪魔であるメフィストフェレスらは、老夫婦の殺害によって計画がむしろ進行していると思っている。悪魔の理論では、権力にさからうなら「わが身をも賭け」なければならないからである。ファウスト博士が嘆いた「掠奪ではなく交換を望んだ」という言葉も、メフィストフェレスには「抵抗」と「命」の交換と...

ヒューマニズムにがまんできない 『人間の条件』

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人間であるためには条件があるという。 古代ギリシャ文明においては、その条件はびっくりするぐらい明瞭に設定されている。それは、文法、論理学、修辞学、算術、幾何学、天文学、音楽の「自由7科」とよばれるこれらの基礎知識を得たものだけが「人間」の称号をあたえられ、そうでないものは人間以下の生き物だとされた。 キリスト教がうまれ、中世になるとこの考えは否定される。人間は原罪を背負った生き物であるのだから、そのまま肯定できるものではない。そのためには、古代ギリシャのように学問だけをがんばったらすむわけではない。人間の本質・条件は原罪を克服しようとする神への忠誠と愛をつづける過程において実現されるものだというのだ。 この暗い時代の幕開けを告げ、一挙に人間そのものに光をあてたのが、ルネサンスである。ルネサンスでは中世によって否定された、古代ギリシャの知を再度学ぶことで古代ギリシャ人のいう「人間らしさ」を身につけ、人格を磨くという目標をもった。そしてイタリアに端を発したルネサンスの代表的な思想家のペトラルカやマキャヴェッリの人文主義が、ラテン語の「フマニスタ」とむすびついてヒューマニズムという語となった。 だがルネサンス期のヒューマニズムは、現在のような定義ではなかった。あくまでも古代ギリシャ文明やラテン語の文献から「人間らしさ」というものを再発見するその学問的行為を「ヒューマニズム」とよんだのである。 それが現在のような意味の「ヒューマニズム」となったのは18世紀以降である。そこでは問われている「人間の質」が学問だけではなくもっと広い定義となった。 その定義が、古代ギリシャ文明よりも広く寛容になった大きな理由のひとつとして「都市化」があげられる。 慢性的な貧困状態の農村から、人々は都市部へ仕事をもとめて流入してきた。都市部は人口過多となり、人類史上ありえなかった密度で人間が共同生活をしなければならない状態になった。そのなかで、ごく一部の人間が社会の利潤を享受し、その他の大多数のものがさらなる貧困にあえぐ状態となる。この都市部集約社会の典型が18世紀後半のパリであった。この状態に不満を募らせた民衆がバスティーユ襲撃事件をおこし、ついでフランス革命がおこる。 フランス革命期の革命指導者ロベスピエールたちは、この貧困にあえぐ「不幸な人たち」にたいする...

均質の共同体は生け贄をうむ 『排除の現象学』

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1980年代初頭、埼玉県比企郡鳩山村(現鳩山町)にある鳩山ニュータウンの自治会会報「コスモス鳩山」に、次のような匿名の一文が掲載された。 飼い犬に手を咬まれる、という諺がある。信頼しきっていた者に裏切られることの意味で使われる。腹を立てるのも判るが、別の見方をすると、飼い主は犬を盲愛するあまり、犬は咬みつくものだという動物の本性を忘れてしまい、自分と対等の精神の持ち主と錯覚して扱っていたことに問題がある。犬は所詮、犬でしかないことを知らねばならない。 また犬ぎらいといわれる人たちがいる、こうした人達は犬に咬まれた経験を持たなくても、犬が、どうしても嫌いなのだ。犬と聞いただけで、恐怖感や嫌悪感が先に立ってしまう。梅干しと聞いただけで唾液が出るのに似ている。生物学的に犬の理解はできても、またその存在は否定しないが、絶対に好きになれない。たしかにそういう人がいる。しかし、その人達が異常だとは思わない。会社では部下思いであり、家庭では愛妻家であり、子煩悩でもありうる。犬ぎらいな人達をして、犬好きの人が、犬好きに変革させようとしても、徒労に終わるだけ。むしろ、たとえ愛犬であっても近づけないのが思いやりである。 実はこれ、犬の話をしているのではない。その前年に、この鳩山ニュータウン近隣に建設されることになった自閉症者施設「けやきの郷」に反対する住民が、その建設の是非を問う住民投票直前に自閉症者を念頭に書いた反対表明の一文である。 自閉症者施設の建設を住民投票で決定するという異例の事態になるまでに、反対する一部地域住民のために何度か説明会が開催されている。自閉症は精神病ではないこと、自閉症者と犯罪に明確な関係はないこと、この施設がなければ自閉症者は精神病院にしか受け入れ先がないということなど。 話し合いは決裂し、あわや住民投票という事態にまで発展してしまう。だが県知事の介入により投票は直前になって回避される。 上記の文章はその直前に、鳩山ニュータウン住民にむけて書かれたものである。(赤坂憲雄『排除の現象学』) この不気味なメタファーを含むレトリックの矛盾が表しているのは、当時の新聞が書いたような「地域エゴ」の問題だけでも、また赤坂憲雄が何度も言うように、「自閉症に対する社会的偏見」という位相だけで了解しうるものではない。 そこには、均質という中心の...

150年前のメディアリテラシー 『火星からの侵入 パニックの社会心理学』『百代の過客 続』

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1938年10月30日、アメリカのラジオ局マーキュリーシアターでH・G・ウェルズ原作オーソン・ウェルズ演出のラジオドラマ『宇宙戦争』が生放送された。 番組開始前にこのプログラムがフィクションである旨が告げられており、新聞のラジオ番組紹介欄にも「宇宙戦争」と明記してあったにもかかわらず、「ニュージャージーに火星人が飛来し住民を次々に焼き殺している」という音楽を中断した緊急放送のアナウンスに、リスナーは驚き恐怖しパニックをおこしたという。 それほどにオーソン・ウェルズの演出はみごとだった。事実、彼はこの「事件」によって一躍有名になる。 しかしおもしろいのはそこだけではない。パニックになったといってもリスナー全員が慌てふためいたわけではないのである。あくまでも「リスナーの一部」がパニックをおこしたのである。 プリンストン大学の心理学教授であったハードレイ・キャントリルは、さっそくこの事件を、ドラマの舞台となったニュージャージー住民へのインタビューによって調査する。(『火星からの侵入 パニックの社会心理学』) それによるとリスナーのうち27%の人々が、これはドラマではなく「ニュースだと信じた」と回答し、「そのうちの70%が驚いたか不安に感じた」という。 オーソン・ウェルズという名前とほとんどセットで語られる有名なこの事件も、実は73%の人間がその演出にだまされずに最後までドラマとして「楽しんだ」のである。 おもしろいのは、この2タイプがなぜわかれたのだろうか、ということである。 デモグラフィック的な理由として、まずこのラジオドラマをどの時点で聞き出したかということがあげられる。番組冒頭のフィクション宣言を聞き逃したものがパニックに陥る確率はとうぜん高くなる。なんという番組だったのかは知らないが、裏では人気のラジオ番組が放送されていたそうである。その番組終了後にウェルズの『宇宙戦争』へダイアルをあわせた人々が多くいたそうで、その人たちはとうぜんニュース的な演出をいきなり聞かされることになる。 しかしそういったデモグラフィックパターンとはべつの系統として、番組はじめから聞いていようと途中から聞いていようと、あっさりだまされてしまった人々のサイコグラフィックパターンが存在する。手元のラジオ欄を確認することもせず、べつの局の情報で確かめる...

従順さは良心的判断の放棄でもある 『人生と運命』『暴力について』

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取引先の担当者が出てくるまで、打ち合わせルームの片隅で待っていた。隣のブースで社員同士が会話しているのが聞こえる。時間はもう夜の7時すぎである。 年長者が言う。「義理を通すためにも、おまえ会社のために死んでくれるか」 驚いたことに若い社員は「はい。がんばります」と答える。 なんの話なのかはわからないが、まがりなりにもこの会社、上場企業である。「死ね」にたいして「がんばります」という驚くべき会話が、日本の中枢部で平然と話されていることに、おどろいた。 スターリン体制下のユダヤ人迫害と強制収容所の実態を書き、エマニュエル・レヴィナスにして「もっとも影響を受けた20世紀の小説」と言わしめたワシーリー・グロスマン著『人生と運命』の、第50章はおそるべき章である。そこでは、いかにしてごく普通の一般大衆がユダヤ人殲滅に協力することなるかが、明晰に記述されている。 大量殺戮を心の中では恐ろしく思ってはいても、自分の身内のみならず自分自身に対しても秘密にしている。そうした人たちが絶滅キャンペーンの集会が行われる会場を満員にする。そして、そうした集会がどんなに頻繁に行われようと、どんなに会場が広かろうと、何らの発言のないままに満場一致の採決が行われるのを誰かが阻止しようとするケースは、ほとんどあったためしがなかった。 意見というものは黙っていても自ずと口から飛び出してくるものではない。黙っていれば満場一致の賛成票を投じるのとおなじことになってしまう。 そして、これはもう数万ではなく、数千万でさえもない膨大な数の人々が、罪なき人々の殲滅の従順な目撃者となった。しかし、従順な目撃者であるだけではなかった。命令されたときには殲滅に賛成し、どよめきの声を上げて大量殺戮への賛意を表明したのである。 今世紀前半のロシアでおこったことはこの国でもおこりえることだし、従順さにおいてはロシアを上まわるこの国では、スターリンもヒットラーもいないのに、平和なはずのサラリーマンが「会社組織の成長と維持」という名目でたがいに縛りあい監視しあい、従順と忠誠という価値観で競い合っているのである。 『ウォールデン』で有名な19世紀のアメリカの詩人・思想家のヘンリー・デイビッド・ソローは、奴隷制を黙認する政府が課す人頭税の支払いを良心的理由で拒否したために逮捕され...

作家をボイコットするものは、最後には焚書をするだろう。 ギュンター・グラス『玉ねぎの皮をむきながら』

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『ブリキの太鼓』などでノーベル文学賞を受賞したギュンター・グラスが、ドイツの「南ドイツ新聞」において『言うべき事』という散文詩を発表した。そのなかでグラスは、多くの核ミサイルを保有し(全米科学者連盟のハンス・クリステンセンによれば80機だと推定される)、NPT核不拡散条約加盟に拒否しているイスラエルが、世界平和において脅威であると語っている。 イスラエルはこの詩への対抗として、ギュンター・グラスを「ペルソナノングラータ(好ましからぬ人物)」として入国禁止処置にしたそうである。(ロイター 4/9) その国家にとって「好ましからぬ」人物であれば入国をボイコットできるという法の行使を、ひとつの国家にとっての「権利」と呼んでいいのだろうか。グラスはイスラエル人の生命や財産を脅かす犯罪者ではないし、ホロコーストを肯定しているわけでも、イランのスパイというわけでもないだろう。世界平和にとってイスラエルの核が問題なっている、と発言しただけである。れっきとした国家が、たったひとつの「詩」への対抗として入国禁止処置をとるというのは、国家主義、ひいては全体主義なのではないか。それならば、自国民がグラスとおなじ発言をすれば、イスラエルはその人物を国外追放しなければならないのではないか。そうであるなら、イスラエルに言論の自由は存在しないことになるのではないか。 イスラエルの作家ヨラム・カニュクはこのことを、 作家をボイコットするものは、最後には焚書をするだろう と表現している。(独ZEIT ONLINE) ナチスによる焚書の目的は「非ドイツ的な文学を消滅させ、ドイツ文学を純化させること」であった。おなじ思想のものだけを保護し、異分子を排除するというのである。 イスラエルはナチスによって燃やされたシオニズムの書物の復讐を、60年前にナチス親衛隊であった過去をもつこの84才の作家に対して行おうとしているのだろうか。 ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネは19世紀においてすでにこう予言している。 本を焼くものは、いずれ人間をも焼くだろう イスラエルが核をもつことは非常に危険である。それはNPT不参加という事実よりも、イスラエルには「人間を焼く」道に行きかねない危うさがあるからである。

スターリニズムを生き延びた作家たち 『尋問』『アルバート街の子供たち』『収容所群島』『人生と運命』

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たぶん1940年代後半のポーランド。場末のキャバレーで歌う歌手のアントニーナは、夫とのささいなケンカがもとで夜半外出し、見知らぬ2人組の男たちに誘われるままバーに行き泥酔してしまう。 翌朝、目が覚めると留置所のようなところである。昨夜の2人組は秘密警察の男で、アントニーナは身に覚えのない尋問を受けることになる。なんの罪名によって、どのような自白を強要しているかもわからぬまま、執拗な尋問は何日にも及ぶ。 そのうち、アントニーナにも彼らがなにを欲しがっているのかがおぼろげに見えてくる。彼女がかつて一度だけ寝たことのあるゆきずりの男オルツカが、国家反逆罪に値するという供述がほしいのである。嘘の供述を拒否するアントニーナは、秘密警察によって執拗な尋問や拷問、精神を痛めつける死の恐怖を味わわされることになる。 その後、秘密警察の少佐タデウスの子を身ごもったアントニーナは、彼からオルツカがすでに銃殺されていること、夫の離婚申請が受理されたことを聞く。それでも、彼女への尋問は終わらないのである。 はじまりと同じような唐突さで、5年目にしてようやく彼女は自由の身となる。彼女が釈放される直前、収容所の刑務官や兵士があわてている様子が描写される。この無意味な尋問と5年もの長きにわたる監禁状態を終わらせたのは、ソヴィエト・東欧にとっての歴史的大事件であった。劇中、ひとりの男がさけぶ。 「スターリンが死んだ!」 リシャルト・ブガイスキ監督、エクゼクティブプロデューサーにアンジェイ・ワイダを迎えたこの『尋問』という映画をみたとき、アントニーナのあまりにも不条理な運命に「もしかして原作はカフカ?」とさえ思ったものであった。それほどアントニーナのおかれた状況は「カフカ的」であり、スターリン体制下の閉塞状況は想像を絶するものであったのだとわかるのである。 レーニンの死後、彼の遺言を力ずくで反故にしたスターリンはみずから党代表となり、じっさいの後継者と目されていたトロツキーを国外追放(のちに暗殺)し、反対勢力のキリーロフを殺害したころから一挙に独裁恐怖政治を布くようになった。それは彼の死の1953年までつづくのである。 スターリンが死去することで開放されたのは『尋問』のアントニーナだけではない。もしスターリンがもう少し長生きしていたら、かの悪名高い「医師団事件」によりロシ...

インドの畸形たち タブッキ『インド夜想曲』

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はじめてインドに行ったとき、ご多分にもれず「インドショック」のようなものを感じた。残飯をあさる野良犬ならぬ野良牛、しつこい物乞いや物売り、たぶん12、3才ぐらいの力車ひき、子供の乞食、不衛生な食堂、好奇心をまったく抑えない男たち、ウソばかりつくタクシー運転手、賄賂をねだる公務員、平気で5時間遅刻する電車、ガンジスをながれる死体・・・どれもこれも日本の標準的な価値観や常識では対処できないことばかりであった。 しかしインドも2度目以降ともなると、それらの「インド常識」も予測範囲内となり、旅行者もその対処方法が見えてくる。つまりは慣れるのだ。 しかしどうしても慣れないものもある。なんどインドに旅行しても慣れなかったのは、腕が3本あったり、口の横まで裂けた眼窩をもっていたり、象のような足をした、いわゆる奇形の人間たちである。それが白昼堂々と人通りの多い街角で物乞いをしている。物乞いをしているからには、自分の奇形の身体を商売道具としているわけだ。それがわかっていても、つい目を背けてみなかったことにしてしまおうと、無意識に反応してしまう。直視する勇気がどうしても出ないのである。直視することもできないものにたいして、だから感想や意見が出せるわけがない。「ヤバかった」とか「気の毒に・・・」とかさえ出てこない。ひたすらチラ見した記憶を封印しようとする心理が、なぜか働いてしまう。 人間は極度のショックを受けるとその記憶を消そうという無意識が働く、という話を聞いたことがある。それでいうなら、あの奇形の物乞いたちにたいする封印の努力は、ショックによる心の乱れを食い止める作用であるとも言える。つまりは、それぐらい彼らを見るのは辛いのである。 アントニオ・タブッキの中編『インド夜想曲』の主人公は、失踪した友人を捜すためにインドにやってきた。しかしこのミステリー調のプロットが描きだすのは、そもそも主人公は誰を捜しているのか、その友人とは実在した人物なのか、彼はほんとうに人捜しをしているのか、という逆説的な疑問である。読みすすむうちに、この不眠症的な旅行自体が存在しなかったのではないか、すべては主人公の夢想なのではないかという気になってくる。 探しているのは自分自身であった、という凡百のオチをさけるため、タブッキは後半に奇形の人間をもってくる。その額に触れるだけでその人間...

ディアスポラと放射線 『津波の後の第一講』『ディアスポラ紀行』

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ファラオの王に奴隷状態で強制移住させられていたユダヤの民を率いて、モーセはエジプトを脱出する。エジプトからシナイ山にむかう途中に紅海が大きく割れて、神がモーセ一行をエジプトの追っ手から逃がす件は有名である。いわゆる「出エジプト記」である。 キリスト誕生以前のこの世界的に有名な歴史的事件以降、ユダヤの民は「祖国」というものをもたなかった。もちたくてももてない、そもそももう帰るところがない。そのような暴力を介して故郷を追われる離散状態を、古いギリシャ語からとって「ディアスポラ」という。 ディアスポラ文学というと、一般的にはユダヤ文化の離散をテーマとした文学を指すことが多い。 しかしいまやユダヤの民はイスラエルというれっきとした国家をもっている。アウシュビッツを生き延びたユダヤ人作家プリーモ・レーヴィは、ナチス支配下の中欧・東欧ではシナゴーグをふくめたユダヤ共同体が消滅したため、その受け皿としてのイスラエル建国は必要であると説いた。しかし1982年にイスラエル軍がPLOの拠点を壊滅させると称してレバノンに侵攻したことを受けて、レーヴィは「攻撃的なナショナリズムが強まっている」として反対の声明を出す。(徐京植『ディアスポラ紀行』) ディアスポラの民であったユダヤ人が、3000年後のいまやパレスチナを徹底的にディアスポラとして殲滅しようとしているのは、レーヴィの「ディアスポラ文化は寛容思想であり、攻撃的ナショナリズムへ抵抗する責任でもある」という言葉をひくまでもなく悲劇的であり、とうてい許されることでもない。 そもそも国家をもたないユダヤの民が、ナチスによってさらに離散を強いられる二重のディアスポラはレーヴィだけの問題ではない。 現代思想に多大な影響をあたえたフランクフルト学派のベンヤミンは、『パサージュ論』の原稿を亡命先のパリ国立図書館に隠した。ナチスによるパリ陥落を目前に、散逸をおそれて当時の図書館長のジョルジュ・バタイユに託したと言われている。その後アメリカ渡航のビザがおりず、ベンヤミンは徒歩でスペイン国境を越え、当地の警察に拘束されポルボウで自殺している。 ナチスから逃れてディアスポラとなったユダヤ人作家なんて、言い方はよくないが山ほどいる。ベンヤミンは自死してしまったけれど、アーレントにせよアドルノにせよ、ナチスを逃れてアメリカやイギリスに亡命し...

歴史書のコンテクスト 『千夜一夜物語』『イスラームから見た世界史』タミム・アンサーリー

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『千夜一夜物語』の語り手であるシェヘラザードは真剣だった。なんせ夜とぎの物語がおもしろくなかったり話が途絶えてしまったりすると、翌朝に自分は殺されてしまうのだから。王は女性への猜疑心から初夜の翌朝に妻を殺すのを慣わしにて、もはや 3000 の処女を処刑してきたのだ。次は王の新妻であるシェヘラザードの番だった。興味深い物語を話すことで彼女は延命を図ったのだ。だから物語がおもしろいというのは当然として、シェヘラザードのつむぎだす物語にはさまざまな技巧がこらせてあった。 そのもっとも重要なものが、物語の複雑な入れ子構造(ネスト)である。ある商人がジン(精霊)にであった物語の話中に、ジンが語るべつの貴族の物語がはじまる。さらにその貴族の話のなかで、貴婦人が語る乞食の話が挿入され、さらに乞食がまたべつの話をする、といった具合である。これが複数個併置され、さらには複数回のネストをしており、それらのネストした大量の物語すべてが、それらを夜とぎとして語るシェヘラザードの物語という大構造のなかに納まっているのである。 命がけの物語であることを考えると、この複雑なネストの意味も理解しやすい。入れ子構造であれば、物語全体を終了することなく永遠に続けることができる。王の興味をひかなかった話がひとつあったとしても、その物語を内包する「親ストーリー」が彼女の翌日への命を担保するのだ。シェヘラザードにしてみれば、ネストの数は命をかけた保険の数に等しいのである。 事実、シェヘラザードはこうして 1000 日におよぶ命がけの夜とぎをやり終え、王は彼女を王妃として迎え入れ深く改心したという。めでたしめでたし。 ところがこのネスト、アラビア語のレトリックではめずらしいことではないらしい。 もっとも古い文献では、アッバース朝時代の歴史学者イブン・ジャリール・アル・タバリー( 839 ~ 923 )の『諸預言者と諸王の歴史』にその独特のパラフレーズをみることができる。 39 巻からなる『諸預言者と諸王の歴史』は、アダム誕生からヒジュラ歴 303 年(西暦 915 年)までのできごとを記録した歴史書である。 9 世紀の歴史学者イブン・イスハークの『預言者伝』を参考にして書き上げたというこの書物、後のイスラーム法学者や歴史学者必読の非常に重要な書物なのだが、われわれの考える...