メンデンホール選手を理論補完する
アメリカNFLのピッツバーグ・スティーラーズでランニングバックをつとめるラシャード・メンデンホールという選手が、オサマ・ビンラディン殺害にかんしてツイッターで以下のような発言をしたそうである。
「人の死を祝うのは、どんな種類の人々なんだろう? 実際に話している声すら聞いたことのない人物をそこまで嫌うことができるなんて凄いことだ。俺たちは、一方の主張しか聞いていないのに」
この「失言」によりメンデンホール選手のもとには多くの非難がよせられ、「ビンラディンを正当化したのではない」「アメリカのこの作戦が失敗だとは思っていない」と彼は弁論するが、最終的にはスポーツ用品メーカーのチャンピオンからスポンサー契約を解除させられるところまで事態は発展してしまった。
スポンサーとの契約解除がどのていどの経済的打撃なのかはしらないが、日本であればほとんど問題にならなかったであろう発言がアメリカでは制裁対象となることに、憂鬱な気分になってしまった。
その一方で、この短い発言には、非常に重要な問題にかんする指摘が3つ含まれていると考える。これは完全にボクの深読みだが、深読みすることでかのアメフト選手の理論補完をしたいとおもう。
1.人が人の死を祝ったり、人前でも堂々とその死を望んだりする状況が、現代のわれわれには不幸なほど多いという事実の指摘。
われわれはほとんど毎日のように、テレビニュースがつたえる内容にたいして呪詛のことばを吐く。それはアジアの独裁者にたいしてであったり、アフリカの軍人指導者であったり、こどもを餓死させた育児放棄の母親にたいしてであったり、あるいはテロリストにたいしてであったりするが、そういった対象にわれわれは毎日「こんなやつ死ねばいいのに」とつぶやく。口うるさい近所のおばさんや陰険な上司などの、現実の周囲にいる人間にたいして願うのの数倍おおく、毎日「死ねばいいのに」とわれわれはつぶやいてしまう。もしテレビをみなければ、この「死ねばいいのに」は自分の口から出てくることはなかったのだと考えるとき、いったテレビやニュースはわれわれになにをしたのだろうか、とゾッとしてしまう。
ここでは、われわれをひとつの場所として「憎しみの生産」がおこなわれている。「憎しみの生産」にはどのようなメリットがあり、そのメリットはだれが享受するのだろうか。そのような指摘である。
2.メディアがつたえる情報以上の反応を人々が自発的にしてしまう、という群衆操作の問題にたいする指摘。
メディアは国家の方向性を国民に周知させるためのツールとして機能している、という問題はここで問わないとしても、その視聴者の感情までコントロールしてしまっているのはどのような技術、方法によるのだろうか。凶悪なテロリスト殺害によって、一部の人間(テロの標的にされやすい地域の住人など)は安心を得て、一部の人間(テロ被害者家族など)はやすらぎを得て、一部は勝利をかんじるだろう。しかし、安心ややすらぎを得たり勝利をかんじるのと、他人のその死を祝うのとは決定的な違いがある。まして祝うことを疑問視する者を排除、制裁してまで祝うその気持ちはどこからきたのか。
その内側に隠された意図があったとしても、客観的にみてニュースはビンラディンが殺害されたことをつたえているだけである。国もメディアも、だれもお祝いをしろとは言っていないし、また多くの視聴者がニュースの伝える内容以上の反応をすることを、べつだん不思議に思ってはいない。「祝う」というその「過剰」はどのような自発的心理なのか。自発的でないのであれば、いったいだれの指示なのか。
メンデンホール選手のツイートは、過剰をうみだす「感情操作」についての的確な指摘も含有している。
3.「一方の主張」にたいする「もう一方の主張」をわれわれは手にすることができるのか、という問題への指摘。
メンデンホール選手の発言は、一方の主張しかしらないという視聴者の決定的な欠落を指摘しているのだが、それにはこの問題以上の問いかけが含まれている。一方の主張という場合に対照となる「もう一方の主張」を、それではいかにしてわれわれは見たり聞いたり知ったりできるのだろうか、という問いかけである。問題を多角的、包括的に確認しようにも、どのチャンネルが別の角度からニュースをつたえているだろうか。もしかするとわれわれは完全に閉じられた情報社会のなかに居住しているのではないだろうか。もしそうであれば、それらの問題が簡単に解決できない状態の中にいて、われわれはどのようなスタンスでメディアに接すればよいのだろうか。
そのような解決できない閉塞状況にたいする指摘である。
上記の非常に有用で形而上学的にもすぐれたメンデンホール選手の指摘にたいして、1から3それぞれの問題に適合する書物(と映画)をとりあげることで理論補完と回答にかえたいとおもう。
1.憎しみの生産
1871年にプロイセンとの普仏戦争で敗北したフランスは、莫大な賠償金に国内経済は壊滅状態となる。この時代に大量にうまれた中産階級の人々は、自分たちが蓄えた余剰資金の投資先を、疲弊する国内ではなく、東ヨーロッパの開拓にまわした。それらの莫大な出資をあつめた金融機関がロートシルト、つまりロスチャイルド財団であった。しかし1882年の世界恐慌が引き金となって東ヨーロッパ投資は破綻する。そんな時代背景のなかで発生したのがかの有名な「ドレフェス事件」である。
哲学者ハンナ・アーレントの代表的著作『全体主義の起源』は3部構成になっている。その第1部は、ヨーロッパにおけるユダヤ人にヨーロッパ中のあらゆる悪を背負わせる構造が存在することを論証し、その実例をことこまかにひいていく。そのもっとも顕著な例であるのがドレフェス事件であり、ドレフェス事件そのものの根本問題は「パナマ運河疑獄事件」にあるとアーレントは書く。
スエズ運河の開通を成功させた実業家フェルディナン・ド・セレップスは、次の開発先として大平洋と大西洋をむすぶパナマ運河の開発に着手することを発表し、1879年にパナマ運河会社を設立する。しかし現地での伝染病や難工事にくわえ、完全な放漫経営により工事はなんども中止となる。資金難におちいったセレップスは、当時のクレマンソー内閣のほぼすべての政治家に賄賂を支払った見返りとして、社債発行の許可をもらう。フランス中の中産階級がこの宝くじつき社債を大量に購入し、政界とおなじくパナマ運河会社に「広告出稿」として資金提供をうけたほぼ半数以上の新聞社は、まったくすすまない工事を「開通まぢか」と書きたてて社債購入をあおった。しかしそんなバブル経営もながくは続かず、1889年にはとうとう経営破綻し、国の支援とお墨付きをもらい新聞がその投資を保証したパナマ運河会社の社債は一夜にしてただの紙切れとなってしまい、80万ともいわれる中産階級の投資家たちは無一文となる。
ドレフェスが本当にスパイであったと信じるものはいまではだれもいないだろう。いやむしろ当時でさえそんなことは問題ではなかった。パナマ運河会社の政治家買収担当者の2人がどちらもユダヤ人であったことで、内閣にとっては「都合のいい風」が吹いたのだ。数年前の東ヨーロッパ開発の破綻で顕在化した、フランスの金融を牛耳るユダヤ人への批判である。このバッシングを利用しないかぎり、フランスの政治は失墜したままだろうし、そもそも困難をきわめる国内経済を復活させる方法はない。アーレントはそのなかで、ユダヤ人としてもっとも社会的に成功したドレフェスが生け贄として選ばれたのだと指摘する。
国際社会が非難し、ゾラを代表する国内人権派知識人のおおくが反対し、人権宣言発祥の国であることの矛盾を黙殺し、その事件を知るほぼすべての人間が、被告がスパイであったという確証も証拠ももたないのに、ドレフェスを有罪とせねばならぬほどフランスの国内経済は破綻状態であり、それほど国民のもつユダヤ人への嫌悪は強力であったのだ。大多数の国民がもっていたその負の感情が強力であったこそ、フランスの世論はドレフェス有罪にかたむいたのだ。
ここで言えることは、憎しみはものごとを極端に単純化し、憎しみをもつものは事件の表層にのみ固執するようになる、ということである。「ドレフェス死ねばいいのに」「ユダヤ人は死滅したらいいのに」という第一次世界大戦直前のフランス国民の感情は、もしかすると今日もこの国のどこかでニュースを見ながらつぶやかれている台詞に近いのかもしれない。
2.感情操作
1925年にソビエトの映画作家セルゲイ・エイゼンシュテインは、時間軸も場所も意味もまったく異なるふたつのシーンを組み合わせることで、そのどちらでもない第三の意味が生み出せることを発見した。フランス語の「機械の組み立て」を意味する言葉から派生したモンタージュ理論とよばれるこの技法は、事実の描写しかできなかった映画に強力な言語をあたえ、少ない時間で的確な情報をつたえる、映画というメディアにとってなくなてはならないものとなった。エイゼンシュテインは、その代表作『戦艦ポチョムキン』において、皇帝軍に射殺される多数の市民の映像と、屠殺される牛の映像を交互にならべてひとつのまったく新しい意味を創出したのだ。それは、映画の魅力が「映像技術の驚異」という動画の画期的技術への驚きに依存していた時代から、映画そのものがつたえる「内容」が魅力の対象となる時代へ一挙にコマをすすめたのである。われわれが自分の言葉によって人を感動させたり怒らせたりビックリさせたりできるように、映画もそれができるようになった。
その後、このモンタージュ理論はあたりまえの映画技法となり、いまではわざわざ「モンタージュ」とはよばずに、単に「編集」とよび、映画制作のいちプロセスとなった。映画の技法がみたくて映画館に足を運ぶものはどの時代でも少数である。ひとびとは感動したり感情を揺すぶられたいとおもい映画館にかよう。だから発展したモンタージュ理論は、組み合わせの妙を競うのではなく、ことなる映像の組み合わせで、いかに鑑賞者のこころの奥まで感動をとどけるかを競うようになった。「感動する」というのが映画産業での通貨であるなら、テレビにおいてもその通貨が流通しないという論はない。映像とよばれるメディアは、いかに視聴者の感情に深くはいりこむか、いかにその感情を操作できるかを、その歴史の当初から競っているのである。
レニ・リーフェンシュタールの代表作『意志の勝利』は歴史にのこる傑作記録映画であるし、ドキュメントという映画ジャンルではこの作品をこえるものはないと評価する評論家もおおい。
しかしこの作品はあくまでもヒットラーのナチス政権を賛美した宣伝であり、アーリア人種の優秀さを誇張した優生学的な民族主義のプロパガンダ映画であると切りすてるものもおおい。また反対に、その作品と政治的利用の側面は無関係であり、切り離して評価すべきであるという声もある。事実リーフェンシュタール自身、戦後におけるインタビューで『意志の勝利』は「純粋に歴史を写しとっただけのもの」だとこたえている。
しかし『意志の勝利』の最大の魅力はその過剰ともいえる演出にある。レールや台車によって移動するカメラ、垂直にのびるサーチライトの光、群衆の全景とそのなかのひとりを極端にクローズアップするモンタージュなど、ヒットラーを神のような絶対的指導者として描きだす演出が、みるものの感情を徹底的に揺さぶり、操作しようとする。ましてナチス党員シーンを後日再撮影までしたそれは、「純粋に歴史を写した」ものではないはずである。『意志の勝利』の映像評価はいざしらず、ナチスの全面的強力をえてこの映画をつくり、宣伝相ベッケルスとの確執を喧伝し、自分は「美の形式を追求しただけ」だというリーフェンシュタールの嘘を、スーザン・ソンタグはその著作『ファシズムの魅力』においてあばいていく。
芸術がプロパガンダであった場合に、その芸術的価値が失われるのかどうかはわからない。しかし確実に言えることは、どのような芸術においても「依頼者」というスポンサーがいて、その影響力は甚大であるということだ。レオナルド・ダ・ビンチにたいする教会、ゴヤにたいするカルロス国王、ロートレックにたいする興行主、リーフェンシュタールにたいするナチ国家。イデオロギーや利害はさまざまであっても、芸術家の背後にひかえる「動機そのもの」の存在は無視することはできない。芸術や表現の出自にかんする評価軸は、つまるところその動機が「善」であったか「悪」であったかが判定基準となってしまう。われわれはは芸術の鑑賞において、まるで裁判のようなそんな評価軸はもちえていないし、そのような能力をもとめられてもいない。
問題なのは、ソンタグの指摘にもあるように、ファシズム芸術が、ナチスにおいても共産圏の芸術においてもたがいに似た部分をもっているという事実だ。これはどのような意味をもっているのだろうか。プロパガンダの定義が国家のための芸術であるなら、スポンサーという「動機そのもの」によって、もしかするとわれわれの芸術はその形式を変化させるのではないだろうか。だとするなら、全体主義の芸術には全体主義の特徴と形式が、資本主義の芸術には資本主義の特徴と形式があるのであろうか。
この想像はわれわれを薄ら寒い嫌な気持ちにさせるけれども、ハリウッドの描く無数の映画がたがいにそっくりものを生産しあい、おなじようなテーマとおなじようなプロットを飽きもせず量産しつづけるのはどのような理由からだろうか。また、映画表現において現代のハリウッドがリーフェンシュタールの『意思の勝利』を圧倒的に凌駕しているという事実もない以上、ファシズム芸術は芸術表現において劣等であると、どうして言えるのだろうか。
国家によるプロパガンダであろうと、資本家による興行収益の追求だろうと、100年のはるかむかしに発明された映像というメディアは鑑賞者の感情操作を主要な仕事として成立し、スポンサーを変えながら、いまもその技法を巧妙で複雑なものへと進化させている。そこでは、文字にならない「演出」や「本当の意味」といったものを読みとることが鑑賞者の役目となっており、モンタージュをはじめとする編集作業によって織り込まれた「感情」によって、描かれた事実以上の反応をするような構造ができあがっている。われわれが映画やテレビに感動し涙するのは、情報入力においてはあくまでも「過剰な」反応であるのだ。方向はちがえど、その過剰が「声すら聞いたことのない」人の死を祝う「過剰な」アメリカ国民を生み、ナチスのおぞましさにたいするドイツ国民の盲目を育てたのだ。
3. 「もう一方の」主張
ナチスのすぐれていたところは、宣伝というものが国家統一とその全体主義にどれほど重要であったかを認識していた点である。それは宣伝省というヒットラー首相直下の省を、ヒンデンブルグ大統領の承認のもとに設置したところでもわかるし、ヒットラーが遺書によってつぎの首相に任命するほど信任も才能もあったヨーゼフ・ゲッペルスが、宣伝省大臣をつとめていたことでもうかがいしることができる。歴史上、これほど「宣伝」というものに価値をおいた政権というものはみたことがない。
ヒットラーとゲッペルスの先見の明は、もはや国民を精神を掌握するのは新聞ではなく、ラジオであると判断していたことでも、党大会という政治作業をリーフェンシュタールをつかってそれを『意志の勝利』という芸術的な映画に昇華させた点でも、また1936年のベルリンオリンピックの演出総指揮をゲッペルス自らがとり、またその模様をおなじリーフェンシュタールに『オリンピア』という記録映画にさせ、プロパガンダとして大成功をおさめている点でも確認できるし、なによりもナチスのプロパガンダは偏ってはいるが極度に洗練、様式化されており、誤解をおそれずにいうと、彼らの宣伝手法はひどく「ファッショナブル」であった。
ゲッペルスは国民にたいするプロパガンダの効用を充分にわきまえていた。彼はスローガンを連呼したり、政治宣伝のキャッチコピーをそのまま掲載することを嫌っていた。娯楽のなかに隠された宣伝があり、それと気づかぬように人々がプロパガンダを吸収するような仕組みを好んでおり、また、宣伝というものは、そのメディアに接する人たちのなかでもっとも理解の遅い人間を中心にして組み立てなければならないと考えた。(平井正著『ゲッベルス』)
ゲッペルス好みのこの手法は、もはやわれわれの身のまわりでは日常と化している。テレビ番組はもはやどこまでが「番組」でどこからが「宣伝」なのか判然とせず、むしろわれわれは宣伝されるものよりも、タレントが着る服をほしがり、番組があつかう商品をもとめようとし、テレビやラジオは視聴者を徹底的にバカにしたような幼稚な内容ばかりをつたえようとする。
1980年、ニューヨークのコリソンリデイテッド・エジソン社は、アメリカの代替エネルギーについてのキャンペーンテレビCMをうった。そのCMは、ホメイニ、アラファト、アサドといった石油とイスラムにかかわりのある人物の映像を交互に映し出すといった凝った仕掛けのものだった。CMがつたえようとしている趣旨はこうだ。
「アメリカになくてはならない石油は、ホメイニ、アラファト、アサドといったサディストの悪漢により支配されており、石油に依存しつづけるかぎり、これらの異教徒はますます肥え太りますます力をつけるだろう・・・」
これは非常によくできたキャンペーンCMであり、このCMをみた視聴者は、ヒゲ面のムスリムたちへの嫌悪を、石油を消費・輸入しつづける生活への嫌悪に結びつけている。(エドワード・サイード『イスラム報道』)
みすず書房の新刊『愛、ファンタジア』がでるまで、失礼ながらアルジェリア人にノーベル文学賞候補がいるとはおもっていなかった。その『愛、ファンタジア』は、アルジェリアを舞台にフランス占領から100年後のアルジェリア戦争による独立までを、独創的な構成でつむぐアルジェリアの近代の歴史小説である。
しかしここで注目したいのは、作者であるアシア・ジェバールが主人公に「敵」といわしめるフランスの言語によってこの作品を書いたということである。もしこれがフランス語ではなく、アラビア語やベルベル語のような非西洋圏の言語でかかれていたとしたら、われわれはこの本をいま手にしていただろうか、という疑問である。作中では主人公の少女が、フランス語を習得する様子が描かれる。それは当時のアルジェリアでは非常にめずらしいことであり、めずらしいがゆえに主人公はアルジェリアという土地をのりこえて占領国のパリに赴くことになる。だからこそジェバールはこの作品を書けたのだろうし、それが敵の言語であったからこそ、西洋諸国は彼女をノーベル賞候補にまでしたのだろうし、この作品は占領国と非占領国の壁をのりこえることができたのだろう。
しかしもしジェバールがアラビア語でこの小説を書いたのだとしたら、もしかするとわれわれはこの本の存在すらしらなかったのかもしれないし、あるいはジェバールよりももっと偉大で重要な作家が、現在もアラビア語圏にはいるのかもしれない。しかしそれを知る手がかりはあまりにも少なく、東西においてはあまりにお互いをしらなさすぎる。
われわれがいきているこの社会は、基本的には閉じられた情報社会である。ただその「閉じられた」のが、リビアやミャンマーや北朝鮮や中国のように、だれかの能動的な意志によってではないというだけのことである。自由主義経済には自由主義経済のやりかたで国民を統率するメディアをもっているというだけの話である。そこでは情報の締め出しよりも、大量に注ぎ込まれる膨大な情報が、われわれを混乱させることで意見の方向を統一させようとしているだけのことである。それはコリソンリデイテッド・エジソン社のCMや、ゲッペルスの手法となんら変わらぬところで技巧のみを向上させようとしている。
このような情報の閉塞状況で「もう一方の主張」を知ることはできるのだろうか。もしその可能性があるとするならば、ボクはアシア・ジェバールが敵であるフランス語でアルジェリアの歴史を書いたような、譲歩と寛容が重要であると考える。それは逆に、メンデンホール選手のように自分とことなった意見を言うものに制裁をくわえる、現在のアメリカのマジョリティーから生まれるものではないだろう。
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