社会のメカニズムが人を殺す 『戦場でワルツを』と「サブラ・シャティーラの虐殺」

人が死ぬのは基本的に不条理である。死ぬべき理由や因果関係もなく、多くの人は死んでいく。唯一合理的な死といえば刑法としての死刑である。死刑は合理的に考え抜いて、それ以外に社会秩序を維持するために方法がないと最終的に判断された場合にのみ、宣告され、執行されるものである。
死刑制度がよいかわるいかはのちに議論を譲るとして、死刑を宣告も求刑もされない大多数の人にとっての死とは、本来、唐突で、理由なく、不条理なものだ。しかしどんな人間も必ず死ぬため、その不条理は忘れられがちである。
ところが、事故に遭う、誰かに殺されるといった被害者の立場から見ると、死はその不条理の相貌をはっきりと見せはじめる。その加害者がなぜそのような事件を起こしてしまったのかを追い求めれば追い求めるほど、死の理由は拡散し、親しい人の死は意味のない、不気味な不条理に追い込まれていく。
つまり、個人的なできごとの最大で最終の事件であるはずの死は、社会というメカニズムの中に投げ出された瞬間、突如としてその冷酷で不気味な不条理性をあらわにするのだ。

2008年のイスラエル映画『戦場でワルツを』(アンリ・フォルマン監督)は、死が持つ不条理を、戦争体験という個人的な記憶から時間をさかのぼって探し出そうともがく一市民の物語を、Adobe Flashを一部利用した独特のアニメーションで表現したドキュメンタリー作品である。
悪夢に悩まされているという戦友との会話から、自分が戦争中の記憶をなくしていることに気づいた主人公アンリ・フォルマンは、友人の精神科医の助言にしたがってかつての戦友を訪ね歩く。彼の記憶には、かつてイスラエル軍としてレバノンに出兵したこと、ベイルートの海辺で彼らは夜の海水浴をしていたこと、そこにいくつもの照明弾が打ち上がり、ゆっくりと降下していく幻想的な記憶しかもっていなかった。
 幾人かの戦友は彼とおなじ症状を持っていた。その中のあるものは戦闘の恐怖から裸の巨大な女性の上に、まるで筏のようにしがみついている幻想に逃げ込んだという記憶を語り、またあるものは自分が生き残ったことに対する自責のため、死傷した戦友の墓参りにいけずにいるという。多くの戦友が語る記憶には、海や水といったイメージが多く含まれていることに主人公アリは気がつくのだった。そうして、自分の中の記憶が少しずつよみがえってくる。ベイルートの交差点で、四方八方から無差別に攻撃してくる見えない敵に対して、狂ったように機銃掃射する友人の姿。それはまるでワルツを踊っているようだ。そしてその前日、レバノンの親イスラエル民兵勢力であるファランジュ党首のバシール・ジェマイエルがなにものかによって暗殺され、アリとその友人たちはその報復のため、あの「サブラ・シャティーラの虐殺」がおこるはずの西ベイルートにむかっていたのだった。
一説によればサブラ・シャティーラの虐殺では1800名とも2000名ともいわれるパレスチナ難民が、イスラエルから武器供給を受けたファランジュによって夜通し虐殺されつづけたという。難民キャンプを取り囲む西ベイルートを占拠したイスラエル軍は、サブラ、シャティーラの両地区が見下ろせるビルの上から、虐殺を黙認するどころか、夜通し照明弾を打ち上げてファランジュ民兵勢力を援助したという。
半島状になった西ベイルートを包囲するということは、地政学的にみてベイルートそのものに入城したということとかわりがない。ところがイスラエル軍はこのパレスチナ難民キャンプのあるサブラ、シャティーラだけを取り囲むようにベイルートを占拠し難民キャンプを包囲したのだ。
そのイスラエル侵攻の翌週、バシール・ジェマイエルが暗殺される。パレスチナの犯行だという噂のもと、ファランジュ民兵は報復のため、イスラエルが「わざわざ」占拠せずに放置していたサブラとシャティーラに侵攻し、歴史に汚名をのこす殺戮をくりひろげたのである。民族のちがうパレスチナ人を、レバノンを攻略したイスラエル人がレバノン人をつかって殺戮するという、地獄のような構図がここにできあがったのだ。
『戦場でワルツを』の主人公アリが唯一記憶している夜空の幻想的な照明弾は、ファランジュの虐殺を援助する光だった。彼は海水浴を楽しんでいたのではない。パレスチナの非武装難民の虐殺が終わるまで、サブラ、シャティーラを「守って」いたのだ。
そもそもバシール・ジェマイエルの暗殺も、誰がなんの目的でおこなったのかはいまだに不明である。ジェマイエルの死でさえ、ここでは複雑な社会のメカニズムのなかに組み込まれ、その死に明確な意味を付与することはできない。できるとすればサブラ・シャティーラ事件の「上手な」引き金になったということである。だとするなら、サブラ・シャティーラにいたパレスチナ難民の死はさらに意味のない不条理なものになってしまう。
なにより恐ろしいのは、ナチスによるあのジェノサイドを生き延びたユダヤ人たちが、どうしてそれとおなじことをパレスチナで繰り返し、血塗られた土地の上にイスラエルを建国しようとするのか、である。もっとも不条理なのは、このように繰り返される殺戮の歴史的メカニズムであるのかもしれない。

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