最近見た映画の連続寸評

TOHOシネプレックスが4月から1500円に値下げだそうだ。いっそ1000円にして映画文化をいっきょに花開かせてもらいたいぐらい。
以下、最近見た映画の寸評、連続で。

『ソーシャルネットワーク』 デビッド・フィンチャー監督
5億人の会員を誇るフェースブック創始者マーク・ザッカーバーグの虚実まじった伝記映画。フェースブック創立の裏側も楽しかったが、いわゆる「ハーバード・コネクション」なるものの内実を垣間見れたのが大きな副産物。日本の大学生と桁が違う、と思った。宮台真司はフィンチャーを評して「道徳から遠く離れた」人だという。フィンチャー監督作品をみて思うのは、道徳もそうだが、あらゆる価値判断を下さない冷徹なスタンスだ。押しつけと感情操作が映画の仕事だと思っている作品の多いなかで、フィンチャーのこのスタンスに引きつけられる人は多い。また『ゾディアック』でやや大味のした編集が、すっきりとした万人向けのものになっている。トレント・レズナーのサントラか、監督か、あるいは主演か助演でアカデミーを取る、と予言しておく。トレーラーでつかわれたスカラ・アンド・コラシニ・ブラザーズのCreepもステキだったが。

『コレラの時代の愛』 マイク・ニューウェル監督
ガブリエル・ガルシア・マルケス原作の同名長編小説の映画化。はっきり言って、なぜ今マルケスで、なぜ『コレラの時代の愛』なのかわからなかった。もっとわからないのがマイク・ニューウェル監督で、なぜ『フォー・ウェディング』や『ハリーポッターと炎のゴブレット』を撮った監督がマルケス原作のコロンビア映画を担当するのか、だった。
観てみると納得。舞台の大道具から小道具、衣装などの味付けがゴテゴテしていてホグワーツのようで、一途すぎて恐ろしささえ感じるフロンティーノの愛が、意外と軽いタッチで描かれている。南米でなら通じる一途な愛も、イギリスの監督があつかうとこうなるのだろうし、こうなることを予想してニューウェル監督に撮らしたのだろう、と思ってしまった。『ノーカントリー』で冷酷無比な殺し屋を演じたハビエル・バルデムがまた違った意味で不気味なはまり役を演じている。

『ナイン』 ロブ・マーシャル監督
フェリー二の『8 1/2』をブロードウェイミュージカルにしたものを、さらに映画にもどすというややこしいことをしてしまった映画。じゃあもとの『8 1/2』を観れば済むことで、そうでない理由を持たないといけないという宿命みたいなものをなんとか消化しようとしたのだろうか、とにかく元ネタの元ネタから遠く離れたところまで来てしまった印象がぬぐえない。フェリーニファンは怒るだろう。すくなくともイタリア人は怒るはずだ。これじゃあ『8 1/2』が、「スランプの映画監督が女遍歴を思い出す」だけの映画になってしまっているじゃないか。この『ナイン』という映画に、フェリーニにしかできない情緒や美や演出を足していくと『8 1/2』になるという、不幸な引き算のあとに残った映画である。おもうに、アメリカ人は『8 1/2』をこんな風に観ている、というあらわれかもしれない。

『ナイン 〜9番目の奇妙な人形〜』 シェーン・アッカー監督
ロブ・マーシャルと同じ名前の作品だが、こちらはCGアニメ。世界が終わったあとで目覚めた9体の人形が機械と戦うものがたり。アカデミー短編アニメ部門ノミネート作品『9』をみたティム・バートンが惚れ込んで長編にした作品だそうだ。
不幸なことに、長編にしたからか、物語の運びがギクシャクしている。特に開始30分の展開の早急さは致命傷で、なにか大切なことを聞きそびれたままのようなきもちわるさが続いてしまう。物語の基礎となる世界観を台詞にしてしまう難しさがここにあるのだろう。ティム・バートンが惚れ込んだ世界観が、他のCGアニメと比較してとんでもなくユニークで魅力的なだけに、その説明がうまくいかなかったのはくやまれる。

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