「自分は自由な主体だった」という仮象 『ゲッベルスと私』『エルサレムのアイヒマン』他


かなりひさしぶりに、先日、ユダヤ文化研究会の今年度第1回講座に参加して、東京理科大学の菅野教授の研究発表を聴講してきた。菅野教授といえば19世紀末フランスにおけるユダヤ人問題(正しくはユダヤ人に対する「フランス人問題」なのだが)と、ドレフュス事件の研究をもってして著名な方で、残念ながらボクは未読の『ドレフュス事件のなかの科学』を筆頭にいくつもの著書がある。
情報将校でリトアニア領事だった杉原千畝によって日本の通過ビザを受け取った、ポーランド、リトアニア系のユダヤ人を「杉原サバイバー」と言い、ナチスドイツから逃れるために彼らはシベリアを経由して敦賀から神戸に2千数百名がやってきた。当初10日だった通過ビザは、菅野教授の調査をもってしても「わからない」という謎の理由において延長され、最終的に7ヶ月神戸に滞在することとなったそうだが、結局、昭和16年当時の兵庫県知事、坂千秋(さかちあき)の命によって亡命ユダヤ人らは上海の「無国籍外国人居留区」に移送されてしまう。いわゆる「上海ゲットー」のことである。
過酷な収容生活のあと、そこからあるものはアメリカへ、あるものはイスラエルへ、そしてあるものはオーストラリアに移住した。オーストラリアに移住した人たちのなかの一人が、菅野教授がテーマとする「マリルカ・プロジェクト」のいわば主人公、マリア・ヴェイランド氏である。
まるでノンフィクションライターか探偵のようなこれらのリサーチは、最近の科研費による研究の多くがそうであるように、ウェブサイトでその内容の一部が公開されている。https://marylka-project.amebaownd.com/
このリサーチは、死後エドワード・サイードの足跡を追ったドキュメンタリー『アウト・オブ・プレイス』の佐藤真監督の「弟子」にあたる大澤未来氏が同時に映像化の仕事もおこなっている。ウェブサイトでは、映画となるかもしれない映像群をまとめた「予告編」も見ることができる。
ナチスによる20世紀ディアスポラから上海ゲットーを通過してサバイブしたユダヤ人らの多くの手記に冷酷非道な「殺人者」と書かれている、上海ゲットーの管理者日本兵の子孫にインタビューした菅野教授は、その孫や子どもたちが語る個人としてのその姿と、ユダヤ人らの手記に描かれた管理者像がまったく一致しないことに愕然としたという。これが、講演中もっとも気になった部分である。ここでもアイヒマン問題である。この問題は大きすぎるのだ。

森友学園への国有地売却をめぐる決裁文書の改竄問題で20人もの職員を処分しつつも、文書の存在を否認しつづけた佐川・前理財局長はみごと国税庁長官に昇進するという、まるで戯画化されたような21世紀日本のアイヒマン問題について、みな思うところがあるのだろう、ヴィシー政権時の人道的罪に問われたフランスのモーリス・パポンとアイヒマンをもってして、「上官の命令」を遵守する者をどのように裁くことができるのかという問題に統合する論説が、やっぱり出てくるのであった。(WEBRONZA 2018年6月10日「公務員が任務を全うすることによって犯した罪」石川智也 http://webronza.asahi.com/business/articles/2018060800005.html

おりしもゲッベルスの元秘書だったブルンヒルデ・ポムゼルが103歳にして当時のゲッベルスとナチスを内部から語る『ゲッベルスと私』が岩波ホールで上映中で、ポムゼルは劇中なんども言うのだ。「最近の人たちは言うのよ。私だったら逃げられた、拒否できた、と。でもそれは無理よ。あの体制からだれも逃れられない(大意)」と。
最新のアイヒマン研究ではアイヒマンは別に「凡庸」でも「普通の公務員」でもなく、以前から強烈な国家社会主義信奉者の悪人だったというのは、ベッティーナ・シュタングネト著『イェルサレム以前のアイヒマン』などによってドイツあたりでは了解されつつある知識人的常識で、シュタングネトはアーレントの『イェルサレムのアイヒマン』を批判的にアップデートした新版を作成中と聞いたのだけどそれはそれとして、では1942年からたった3年弱だけをゲッベルスとともにした30歳ちょっとのポムゼルが、アイヒマンなみに悪人であったとする判断はいったん保留すべきであると考える。なぜならポムゼルが秘書だからでもまして女だからでもなく、ゲッベルスと過ごした年月の倍近くもながくソビエトの強制収容所に収監され、想像するに過酷な思想教育を受けたであろうと考えられるからである。つまり、インタビューの時期が69年後の今日か、終戦直後か、強制収容所抑留直後か、あるいは東ベルリン崩壊の前後かによって、この人の話すことはきっと変わっただろう。ポムゼルの遍歴こそがナチス以後のドイツの歴史である、ということだ。



第二次世界大戦が終戦となったあとから、日本の文学者が次々と、自分の文学作品が国粋主義に利用されたりそもそも戦意高揚のために仕事としたことや、大政翼賛的だった数年前をそれぞれ反省をはじめたことがあり、それはむしろ戦後70年の日本文学でもっとも大きく花開いたいちジャンルだった。ブームという商業的な言葉でとらえるには失礼かもしれないこの時代の大傾向を先例とし、文芸評論家の斎藤美奈子は2011年の原発事故のあと「文学者の原発責任」というものだって問うていいのではないかと提言している。(2011年3月26日 朝日新聞 文芸時評)
問うことはかまわないが、しかし問題は、あれから7年、ほとんどの文学者や哲学者がこの手の「飢えた子どもを前に文学は無力か」と問うサルトル的アンガージュマンに無理矢理にでも責任問題として対面させられたにもかかわらず、浮き世の状況は悪くなるばかりであることだ。ほんとうに問いたいのは、原発事故後のこの社会で「責任」という言葉がよりいっそう不問にされている事実である。先のアイヒマンを引き合いに出した朝日新聞の記者は結論的にこう書いている。

おそらく、みずからの行動を、自分の判断だった、選ぼうと思えばいくらでも選べた、すなわち「自分は自由な主体だった」という仮象を引き受けることからしか、「責任」は生まれないのだろう。

「自己の責任がなんだったのか内省する文学者」というイメージそのものが、もはやアップデート対象の文学者像であるという気がする。戦後だったからこそのんびりと加担と主体性とその責任について問うことができた。だが坂道を転げ落ちるように変化する時代にこの考えは、そもそもナイーブすぎるのではないか。2011年からのこの7年の変化のスピードから考えて、この手の「内省」をする時間は文学者にも知識人にも一般市民にも、もう残されてはいないのではないだろうか。
(敬称略)


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