水津さんとスーヴェニール・ハンター 『百代の過客』


いまから10年ほど前、インド最北部ジャンムーカシミール州のさらに北東部、旧ラダック藩王国の首都レーという(日本からみると)ものすごく辺鄙な土地のさらに辺鄙な郊外の、まるで豚小屋のようなレストランでトゥクパ(チベット風すいとん)を食べているときのことだった。「ここのトゥクパおいしいですね」と、とつぜん日本語で話しかけられた。
いまでもそうだが、当時インドはパキスタンと核開発競争をしており、両国が領有権を主張しあうカシミール州への外国人立ち入りはこのラダック地方をのぞいて一切禁じられていた。カシミール州の最東部の、パキスタンとの停戦ラインまであと10数キロというところにあるダー村まで四駆にゆられていったときは、1日で10ヶ所以上の軍事検問があり、インダス川沿いには無数の軍事施設がみえた。うまれてはじめて至近距離で本物のM16だかなんだかの自動小銃をみたのも、その銃口がこちらをむいているという体験をしたのもこのラダック地方である。写真を撮ったらカメラを壊されるから、と現地のガイドに注意もされた。
そもそもレーという街は平地で3600メートル以上の標高があり、富士山の山頂より高いところの街なのである。暗いゲストハウスでろうそくを灯すと、炎がまるで小さく弱々しい。空気が薄く沸点が低いので、沸騰したお湯で煎れたはずのコーヒーがちっとも熱くない。ほんの数段の階段に息切れする。北部には世界一高所をはしる自動車道があり、南部のザンスカールは世界一辺鄙といっても過言ではないような、まるで月面のような死の世界が広がっている。そんな街である。
そこでとつぜん日本語で話しかけられたのである。見るとインドによくいるサドゥー(ヒンドゥー教修行者)である。白いヒゲもじゃで顔はわからないが、黒く汚い手足にボロボロの格好に杖、腰からぶら下げた水筒、まるでサドゥーにしかみえない。ビックリして話を聞くと日本人だという。「大阪の堺ですねん」ともいう。年を聞いてさらにビックリした。なんと80才だという。それからそのトゥクパ屋で1時間以上話し込んでしまった。話し込んだというより、水津と名のるそのサドゥーみたいなおじいさんの話を聞き込んでしまったのである。
聞けば定年退職後、年金でバックパッカーをしているという。少ない年金でも、外国なら日本の何倍もの贅沢ができてむしろ貯金もできてしまう。寝るところがないと風邪だといって病院のベッドに泊まるのだそうだ。旅先で入院するのがたのしみだという。客死したときのために、大阪の家には弟の連絡先を大きく書いた紙を貼っているという。日本に帰るのは「ストップオーバー(飛行機の乗り換え時に一時的に入国すること)」だという。いちばんショックだったのは、「日本の畳の上でだけは死にたくない」と言っていたことである。バックパッカーの端くれだったボクもそのようなことを考えたことはあるし、あこがれもあった。しかし、自分が80才になってそうはっきりと言えるという自信が、彼をみていると逆になくなってしまうようであった。
帰国後、調べてみるとハードなバックパッカー界では有名な人で、俗に「年金バックパッカー」と呼ばれているそうである。バックパッカー雑誌の「旅行人」にインタビューまで載っている。アジアのゲストハウスで同宿し、数年後アフリカで再会したという人もいたそうだ。それほど水津さんは世界中をまわっていた。
この記事を書くにあたって少ししらべてみると、水津さんは2006年に肺がんで死去しているようである。死んだのが旅先だったのか日本の畳の上だったのかはわからない。別れ際にメールアドレスを交換したのだが、その後のアクサイチン方面へのボクの過酷な旅の途中でなくしたかして、連絡はとれずじまいである。



京都の左京区にある西芳寺は、庭の一面にはえる緑の苔が有名で別名「苔寺」ともいわれている。今は予約制でしか見学できないようになっているので復活したようだが、一時期は押しよせる多大な観光客が記念にと苔をむしって持って帰ってしまうので、のこらず根こそぎにされて地面の露出した無残な庭がのこったということである。
このような観光客のことを「スーヴェニール・ハンター」という。自然に対する観光と、ディズニーランドやお台場のような人工的観光地をおなじ「観光」でとらえてしまう精神の貧困さがこのようなスーヴェニール・ハンターをうむのだろう。しかしそれは現代に限った話ではない。
江戸の詩人、紹巴(じょうは)が1567年に富士山を見に旅に出た。その旅を『富士見日記』という書物に記録している。
そのなかで『伊勢物語』にでてくる有名な八つ橋の杜若(かきつばた)を見に行く件がある。紹巴がいってみると、杜若どころか八つ橋もない。紹巴を迎えた代官は、地主に杜若を植えよと命令するのだけれど、植えた先からすぐに旅人が盗んでいってしまうのだという。杜若ならまだしも、紹巴がいうには橋の柱まで削って八つ橋を根こそぎにしたのだという。(ドナルド・キーン『百代の過客』)
むかしから観光客のどん欲さは、旅が日常でないだけ強烈で自己中心的になるようだ。

10年もまえにラダックでであった水津さんのことを急におもいだしたのは、そのようないにしえからあるスーヴェニール・ハンターの無残な生態を読んだからだ。
かえるべき家に富を運ぼうとするから旅行者がハンターになる。旅も日常も等価であるなら富の移動をする必要はないだろう。ほんとうは自分が旅したその遠い地に、貴重な富があったことをよろこべばいいだけの話である。それができないのは、旅にたいする動機に旅以上の対価をえようとする心根があるからだ。戦利品としてのスーヴェニール、自分の生活圏の境界外からの搾取。飾り立てた高価な旅の土産がならぶ書斎や床の間には、だから大英帝国博物館のようなきらびやかさと強欲と暴力性がある。旅に出て富の収集と移動に腐心するものは、けっきょく植民地主義者である。
善良で平凡だが、植民地にもとめる暴力性とおなじものを旅先でさらけだす人たちもいれば、水津さんのような旅人もいる。旅もいろいろなら旅人もいろいろである。
(敬称略)



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