ジョゼフ・チャプスキ著『収容所のプルースト』 書評


”シベリアと北極圏の境界線の辺りに跡形もなく消え失せた一万五千人の仲間のうち、なぜわたしたち四百人の将校と兵士だけが救われたのかは、まったく理解できない。この悲しい背景の上に置くと、プルーストやドラクロワの記憶とともに過ごした時間は、このうえなく幸福な時間に見えてくる。”
ジョゼフ・チャプスキ著『収容所のプルースト』



カティンの森事件を逃れ、シベリアと北極圏の境界線に位置する-40度のラーゲリで、「精神の衰弱と絶望を乗り越え」るために囚人同士の知的講義が開かれた。この本はその時の著者が用意したプルースト講義のテクストだそうだ。
ラーゲリとプルーストという、まったく似合わない要素同士が一冊の書物にまとまるということだけでも稀有なのに、それが「奇抜な着目」とか「意外な関係性」などのいかなる編集的企図にも依らず、ただ1939年に、シベリアの収容所で囚人向けに開催されたテクストの書籍化だという事に驚く。

それは逆にプルーストとソ連の収容所という、関連の見つけ出しにくい要素両方に対して興味を持った消費者だけを対象にするという、マーケ的に大きなリスクがあったはずだ。ましてその両方とも、広い消費レイヤーがあるとは思えない。
この本の成り立ちの時点で構造的に持ってしまった、テーマ同士の「関連性の低さ」が、出版としてはリスクになるかもしれない。しかし読者としては「文学は役にたつのか」という古典的疑問の回答として機能する。

チャプスキの講義を活字で追っていくと、緻密で巨大なタペストリーのようなプルースト世界にいつまにか入り込んでしまう。以前に『失われた時〜』を読んだことのある人ならなおさらで、オデットやアルベルチーヌという人名を聞くだけで懐かしく感じる。
ところが電車が駅について本を閉じると、このテクストが極寒のラーゲリで書かれたことを思い出し、いいようのない戦慄みたいなもので現実に引き戻される。
失恋したスワンの心境を「死ぬほど苦し」いと表現した当の本人が、これ以上ないほど過酷な環境に置かれていることに気がついて、その現実に目眩がする。
テクストに没頭する時間(テクスト)と、テクストを閉じて物体としての本を眺めている時間(メタテクスト)とが、こんなにも別の体験であるような本は、初めてだ。
テーマ同士の関連性の低さ、というより「遠さ」である。この「テーマ間の遠さ」が発生させる効果というものがあって、その効果にあてられてしまった。

そしてその「効果」が最終的に運んでくるのは、著者チャプスキがこのテクストを書いた理由そのものと通じているし、それは重厚長大で複雑な『失われた時』を、人生の貴重な時間を費やして読むというその不可解な人間の行動を解明する一助にもなるのだった。
著者と、プルーストと、訳者と、そして出版社にも感謝したくなる本。たぶんそれほど多くはないはずの、ラーゲリに興味がありかつ『失われた時』を読まれた方に特におすすめ。



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