ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』書評


  • 『慈しみの女神たち』 ジョナサン・リテル
  • 『われらが日々の尺』 シャルロット・デルボー
  • 『ひまわり』 ジーモン・ヴィーゼンタール
  • 『ホロコーストとポストモダン』 ロバート・イーグルストン
  • 『20世紀を考える』 トニー・ジャット
  • 『エクリ』 ジャック・ラカン
  • 『ラカン』 福原泰平
  • 『女中たち』 ジャン・ジュネ
  • 『踏みはずし』 モーリス・ブランショ
  • 『大理石の崖の上で』 エルンスト・ユンガー
  • 『ヒトラーを支持したドイツ国民』 ロバート・ジェラテリー
  • 『アイヒマン調書』 ヨッヘン・フォン・ラング
  • 『オレステイア』 アイスキュロス など


ジーモン(サイモン)・ヴィーゼンタール『ひまわり』



■ ホロコーストへの同一化

シャルロット・デルボーの自伝的小説『われらが日々の尺』の語り手「わたし」は、ナチス強制被収容所時代からの友人であり奇跡的にともに生き延びた生存者仲間であるマリ・ルイーズとともに、戦後アウシュヴィッツ=ビルケナウを訪問する。旅に同行してきたマリの夫ピエールは強制収容所経験者ではなかったが、アウシュヴィッツについては妻から聞いた話によって博識でさえあった。しかし再訪したアウシュヴィッツに耐えられず帰ろうとする「わたし」に、ピエールは声をかける。「シャルロット、ここはきみの故郷、ぼくたちと、それから仲間たちといっしょにいた故郷なんだからね」。ピエールの知識は高かったかもしれないが、ピエールはそこにいなかったし、その知識をもってしてもアウシュヴィッツを「われわれの故郷」といいえる権利はないだろう。「わたし」はピエールの同一化にとまどう。
このピエールの失敗について、ホロコースト研究家のロバート・イーグルストンは「自分のものではない記憶を植民地化し同化しているということ」だと言う(『ホロコーストとポストモダン』)。
おおくの小説や映画が、おもに主人公と読者を同一化させて物語を展開させる。同一化がなければ、だれも小説を読んでドキドキもしないし悲しんだり喜んだりといった感情もわいてこない。だが同時に、同一化はピエールの「理解」を失敗させる理由となり、ホロコーストという人類最大の問題を矮小化さえしてしまう。
ジーモン・ヴィーゼンタールの自伝的小説『ひまわり』の主人公ジーモンは、ナチスの強制労働収容所のユダヤ人被収容者である。レンベルク工科大学で排泄物運搬の強制労働をさせられていたとき、彼は見知らぬ看護婦によばれ野戦病院となっている学部長室にまねかれる。そこでは頭じゅうに包帯をした親衛隊兵士が死にかかっている。兵士はカールと名のり、ジーモンにたいしておそるべき過去を語る。それはかつてカールが参加したドニエプロペトロフスクでの絶滅作戦で、おおくの子供をふくむ1500人以上のユダヤ人を詰めこんだ建物ごと、カールの部隊は火をつけたという。燃えるさかる家屋の3階の窓に、幼い子供と両親のすがたがあらわれた。父の服はすでに火がついており、彼はあいたほうの手で子供を目隠しして、彼らは3人そろって飛びおりた。退路を断つよう命令されていたカールらは、彼らが地上に落ちるまえに機関銃で撃ち殺したという。カールは自分の死が遠くないことをさとり、ユダヤ人としてのジーモンにあのときの自分の行動と、ユダヤ人にたいする殺戮のすべてを懺悔し、許しを請い、告白によって自分の罪を浄化しようとするのだ。
「僕が要求しすぎていることはわかっている。しかし、あなたからの答えを聞かずに、安らかな気持で死ぬことはできないんだ」
だがジーモンは無言のまま立ち去る。被収容者仲間のアルチュールはその話を聞いて、毎日仲間のユダヤ人が殺されているのにどうして加害者のドイツ人の死を気にするのかという。「もし君が彼を赦したなら、一生、自分自身を赦せなくなっていただろう」。だが奇跡的に生きのこった主人公は戦後カールの母のもとを訪ね、あのとき無言で立ち去ったことにたいして思い悩む。小説はとつじょ、読者にたいするメタテクスト的な問いかけによって終わる。「あなた自身に、『私だったらどのような行動をとっただろうか?』という重大な問いを課してほしい」と。ここには二重の同一化がふくまれている。第一の同一化は、主人公ジーモンがかんじるカールへの物語構造内の同一化である。カールの語る告白により深く同一化していれば、きっとジーモンはカールの望みをかなえただろう。第二の同一化は読者と主人公とのメタテクストにおいての同一化である。作者ジーモン・ヴィーゼンタールは、読者にたいしてかつての被収容者だったジーモンと自分を重ね合わせるよう要請している。
この小説とその最後の問いかけは議論をよび、1997年の版には各界の知識人53名の「回答」が掲載されている。そのなかのひとり、ホロコースト研究家のローレンス・ランガーは、そのとき自分がどうしたかは「思いつかない」し「その問いが正当なものであると確信することもできない」と書く。「ホロコーストの現実を演じてみせることは、『ひまわり』が提起する一連の審判と赦しの深刻な論題を矮小化する」。
ホロコースト・サバイバーの詩人イェヒエル・デ・ヌールのいうようにアウシュヴィッツを「灰の惑星」としか表現できないのだとしたら、そもそも同一化という心理的受容方法は畢竟、わかった気になって得意げにアウシュヴィッツを「故郷」だといってしまうあのピエールの失敗と同じ結果にしかならないのではないか。そして主人公がこころみたカールとの第一の同一化が失敗したように、読者とジーモンとの第二の同一化も、必然的にさらに大きなかたちとなって失敗するのではないか。ナチス親衛隊と、主人公やわれわれ読者が同一化することにどのような利点が見いだされるというのだろう。この『ひまわり』の問いかけは、加害者ナチスへの同一化にさそいこむようなアポリアを先天的に宿している。ユダヤ系アメリカ人の歴史学者トニー・ジャットは、彼の最後の著書『20世紀を考える』のなかでこう言っている。

20世紀の歴史を、ナチの政策を立案し喧伝した者たちの精神に分け入って理解しようとすることは、ほとんど利点を見いだせません。ナチス知識人のうち、その議論が20世紀の思想を、歴史的に興味深いかたちで代表しているような例はひとつたりとも思いつきません。

ハンナ・アーレントは、『我が闘争』に書かれた「理論」を追求してもしかたがない、それはたんに国民政治を民族という抽象概念によって簒奪するさいの偽装のようなものだからだ、というようなことを書いている。さらにホロコースト研究家のロバート・イーグルストンは著書『ホロコーストとポストモダン』のなかでこの問題についてヒラリー・パトナムの言葉を引いている。

われわれが知りうるような、あるいは実際に利用しうるものとして想像することのできるような、「神の眼のごとき観点」は存在しない。現実の人々が持つさまざまな観点のみが存在するのであり、しかもそれらは、彼らの記述や理論がそれに仕えるさまざまな関心や目的を反映する観点なのである。(ヒラリー・パトナム『理性・真理・歴史』)

ナチズムの精神に分け入って同一化することは、思想の方法論としても、倫理的問題としても、さらには小説技法としても無意味であり理解の失敗をかならず招くものなのだろうか。



ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』上巻


■ 老いたナチス将校

ジョナサン・ナテルの長編小説『慈しみの女神たち』の主人公マキシミリアン・アウエはナチスSSの将校である。読者は900ページにおよぶこの長編小説において、長い時間ナチスSS将校の独白につきあうことを覚悟しなければならない。そのことは第1章「トッカータ」において、老年となったアウエが前もって宣言する。「わたしは有罪であり、あなたがたはそうではない、それで結構である。だがあなたがたはそれでもわたしがやったことを、それをあなたがたもやはりやったかもしれないと心ひそかに思うことだってあり得るにちがいない」。このようにアウエが書くのは現代時制に近い、たぶん1980年代であろうと思われる。1980年代の老アウエが、35〜40年前にあたる1941年の独ソ開戦から、ヒトラー自殺3日前の1945年4月27日までの若かりしアウエについて書くのだと宣言することで物語ははじまる。「トッカータ」の章では念を押して読者は確認をせまられる。これはあなたがたのために書いたのではないし、いますぐやめてもらうのはあなたがたの権利であると。納得して読みすすめる者は、SS将校の罪の発生源へと、その精神へと分け入ることを了解したということだ。
伏線がちりばめられたこうした宣言のもうひとつの意味は、老アウエと、オストランド(東方)でのユダヤ人殲滅作戦に従軍する30才前後のアウエとの時間的、意識的な乖離を示唆することである。歴史的事件にかかわった者とかかわっていない者という分類は、是と非という対立軸において相反する2種類に話者と読者を隔てる。だが老アウエが登場することで、分類は「現代から過去をみる人物」と「見られている過去の人物」にも分化することができてしまう。気がつくと罪人であり逃亡者である老アウエはわれわれ読者とおなじカテゴリーに立っている。600万もの殺戮に荷担したSS将校の精神は理解できないかもしれないが、北フランスのとあるレース工場のプチブル経営者の心情は理解できる。理解できる範囲に存在する老人が、自分が体験したたかだか40年前のことを語る。老いた工場経営者はいう。自分は「あなたがたとなんらかわったとこのない人間」であると。
話者と主人公の乖離は、老アウエの傲慢な態度とともに、読者と青年アウエとの同一化を拒む緩衝材にもなっている。「トッカータ」を読みすすむうちに、読者は老アウエがかつてはSS将校であったことはもとより、ソ連軍占領の混乱にまぎれてOST(フランス人強制労働従事者)に身分をいつわってフランスに逃げ、いまでは工場の経営者として美しい妻と子供にめぐまれ不自由のない生活をしていること、しかし妻や子供への彼の愛におかしな社会性がまぎれていること、かつてのナチ関係者といまでもつながりがあり、旧ナチ・コネクションによって商談を成立させることもあること、戦後に審判をうけたカール・シュミットやハンス・フランクなどの同僚の手記を読んでその内容をぶざまに思っていること、自分と「あなたがた」をへだてるものはなにもないと考えていること、そしてはっきりと「わたしはなにも後悔していない」とのべていることを知ることになる。アウエがどのような過去をもっているかを知るまえに、老アウエをすきになる読者はあまりおおくないだろう。傲慢不遜な元ナチ将校の老人は、あきらかに青年アウエと読者の同一化を疎外する止水板のようなはたらきをしている。この老アウエという機能は、第2章「トッカータ Ⅰ Ⅱ」以降の読み方に少なからぬ影響をあたえることになる。
だが、これはあくまでも技法上の施策であり、それが小説全体において成功したかどうかはまた別問題である。各論でいうならば、例えばホロコーストを描いた映画『ショア』のクロード・ランズマン監督は、この『慈しみの女神たち』が「知的で誠実なナチス将校」を描くことに、「不健康な感情移入」という言葉で懸念をあらわしているという(有田英也「ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』翻訳後記」)。たしかにアウエは法学博士であり、ボシュエをそらんじフランスの右派知識人と友好関係を持ちモーリス・ブランショやフローベールをたしなみギリシャ語をあやつる完全なインテリである。第2章「トッカータ Ⅰ Ⅱ」冒頭のレンベルク(現リヴィウ)で、ソ連軍が虐殺した1000名を超えるポーランド人の死体が「血と排泄物の池」となっているルバルト城の中庭を視察にいったとき、すさまじい腐臭にたえながらアウエは案内の将校に「プラトンをお読みになったことは?」と質問する。
そしてさらにやっかいであるのが、アウエが批判的精神をもち仕事における自己決定に理性的な合理的基準をもっていることである。ミンヴォディでのユダヤ人殲滅作戦「アクティオーン」を視察しに行ったときのことである。駅におろされたユダヤ人らはなんの説明もないまま治安警察に殴りつけられ恐慌状態となっていた。そのとき、年端もいかぬ男の子を抱いた「小さいな髭を生やした上品な身なりの年配の男」がアウエに近づいてくる。老人は帽子をとり「将校殿、少しお話してもよろしいでしょうか」と完璧なドイツ語で言う。「わたしはここであなたがたがしていることを知っています。(…)わたしが願うのはただ、あなたがこの戦争を生き延びて、20年後に夜な夜な大声を上げて目を覚ますことです。あなたが、あなたがたが殺戮したわたしたちの子供たちを見ることなしにはご自分の子供たちを見つめることができなくなるよう、そう望んでいます」。それを聞いた粗暴なSS同僚は老人への報復を言うが、アウエは肩をすくめるのみでなにもしない。ミンヴォディ郊外の処刑のための壕では、極度の反ユダヤ主義者のトゥレクが罵りながらユダヤ人らの頭をスコップでたたき割っている。ユダヤ人の頭蓋は陥没し、血と脳漿が飛び散り、眼球が飛び出し、まわりの兵士たちは笑っている。それを見たアウエはトゥレクに近寄り「貴官はどうかしている! すぐにやめてください」と言って制止し、そのことを上官のミュラー少佐に「あの対応はSS将校にはふさわしくない」といって是正するようもとめる。あるいはキエフで古くからの友人トーマスと誕生日を祝った食事のあと、アウエはフォルク(民族)全体を賭けた戦争は全面的に破産するまで戦い続けなければならなくなること、そしてユダヤ人殲滅作戦が「経済的にも政治的にもまったく有用性がないし、実利的なレベルでもなんら合目的性がない」と語る。「ということは、その意味はひとつしかありえない。決定的な供犠、われわれを決定的に結びつけ、われわれが二度と後戻りできないようにする、ひとつの供犠という意味だ」と、あきらかに国家社会主義に反する意見をのべる。これらを見た読者は、アウエが他の将校とは一線を画す現代的な視線を持ちえた理性の人間であると感じる。ポーランドから途中クリミアでの傷病休暇をはさみカフカスまでアウエとともに移動してきた読者は、トゥレクの蛮行やすさまじい殲滅作戦の描写、あるいは国家社会主義の息詰まる強制性のなかで、アウエだけが、この穢れた風景のなかの唯一の心理的接地点であると感じるだろう。ランズマンの言う「不健康な感情移入」や、あるいは訳者である有田英也もいうようにヤスパースの警告した「知的で誠実なナチス党員」の姿がここにある。
しかし、読者は短くはないこの小説を読みすすめるうちに、アウエの知性や誠実さにたいして懐疑的になる。ポーランドで感じたアウエの戦後的視点は、彼のペダンティックな言辞のひとつでしかなかったのではないかと疑うようになる。当初もちえた同一化が、徐々に分離していくのを見ることになるだろう。それはひとえに、アウエの成長が、幼児に退行していくいわば「逆向きのビルドゥングスロマン」であるからだと思うのである。



ジャック・ラカン『エクリ』



■ 「パパン姉妹事件」と鏡像段階論

1933年2月2日ル・マン市のランスラン夫人邸で、夫人とその27才になる娘が住み込みの女中のクリスティーヌとレアのパパン姉妹に惨殺される事件がおきる。ふだんから閉塞的で奴隷的にあつかわれてきた姉妹は邸の停電をきっかけに、帰宅した夫人と娘を撲殺し、その両目をえぐりだし、顔をつぶし、腿と尻の肉を切り裂いてたがいの血を相手に塗りつけ、そのあと自分たちの体を風呂場で洗ったあとベッドに横たわって、「ひどいことしちゃったわね」と言い合ったという。犯罪史上まれにみる残酷な殺害方法として当時、猟奇的にマスコミとりあげられ、シュールレアリストたちのおおくがこの事件を題に作品や評論をつくりあげたが、なかでも白眉であったのはジャン・ジュネの『女中たち』だろう。だがこの事件のもっとも興味深いところは、逮捕後に姉妹が別々に収監されるとクリスティーヌは幻覚をみて狂乱し、自分の目玉をえぐりだしてしまうほど混乱したという部分だろう。改心も謝罪も被害者への憎悪さえ持っていなかった姉妹は、ふたりがひとつの犯罪を共有していることだけを重要視しており、姉は取り調べで「うまれかわったらレアの夫になる」と発言している。ジュネとおなじくこの事件をもっとも有効に研究したのは、フランスの精神分析医ジャック・ラカンである。ラカンは、ランスラン夫人の外出中にその衣装を着た姉妹が、主人と女中の関係を再現するお芝居を日ごとに役柄を交換しながら演じていた事実に着目する。ふたりはおたがいを鏡像としてみたて、さらに姉妹そのものが主従の鏡像となることで、ランスラン邸の主人性を中心に、鏡像が「私」そのものを乗っ取ってしまった事実から、あの有名な「鏡像段階論」を生みだす。
人間の新生児は他の動物にくらべて超未熟児でうまれてくるため、神経系の未発達から自己の身体イメージをゲシュタルト的に把握することができない。これをラカンは「切断された身体」と名付ける。生後6ヶ月から18ヶ月のあいだの前エディプス期に、幼児は鏡をみて自己を認識する。その場合おおくは母親が「○○ちゃん、これがあなたよ」とおしえる。人間の自己統一はそのはじまりから他者をとおしてなされるのである。「わたしとは鏡のなかのあの他者である」と。統一性獲得のよろこびは、しかし自己を外部にゆだね、「自他という相矛盾する根源的な裂け目を刻み込む事態に見舞われる」。それは「自己の統合性を他者にゆだね、主人性を外部の何ものかに奪われる危うさと背中あわせの関係」になることである(福原泰平『ラカン』)。
アウエには双子の姉がおり名をウナという。13才のとき、ふたりの近親相姦の関係が母と義父にみつかりアウエは寄宿学校に入れられてしまう。アウエは「ここなら赤ちゃんがうまれない」といって13才のウナに指示された彼女の肛門と、その拡張であるコロフィリア(糞尿愛好症)に偏執的な愛を持っている。アウエはウナ以外の女性と性交渉をしたことがない同性愛者であるが、しかしそれはあきらかにウナ以外の女性へのアウエ側の拒否と、その快楽の中心にあるウナの肛門への執着からはじまっていると思われる。「ある意味では、彼女がわたしに触り、口づけし、舐め、それから痩せた細い尻を差し出してくれたときに感じていたほとんどすべてを、わたしも同じように感じることができる。痛かったけれども、彼女もきっと痛かったにちがいない。それからわたしは待った、そして快楽が訪れたときに思い描いたのは、こうして快楽に浸っているのは彼女なのだということ」だった。男女両者に共通する器官である肛門を分界点として、アウエとウナは鏡像の関係であり、クリスティーヌ・パパンがそうのぞんだように、アウエは鏡のむこうに見えるウナとの結合をのぞんでいる。「わたしたちの裸の体は分かちがたく、どちらが特に男の子であり、女の子ということはなく、一対のからみあった蛇だった」。アウエは激戦の地スターリングラードでそう回想している。とくにこの傾向が顕著なのは、小説の最後、ポンメルン(現ポモジェー)の姉夫婦の空き家になった屋敷での彼の行動である。ポンメルンの屋敷にむかう行程や、とちゅうにやってくる刑事、姉の夫である作曲家フォン・ユクスキュルとの空想の会話以外の47ページのほぼすべてが、アウエの錯乱した鏡像との一体化願望の顕在化である。いやむしろ、妹と引き離された独房で自分の目玉をくりぬくクリスティーヌ・パパンの狂乱にちかいものを読み取ることができる。アウエは、ソ連軍が間近にせまるポンメルンの屋敷で、鏡に映った自分の裸体を恥じ入りながら凝視し、姉の部屋のベッドに横たわり、姉の風呂に入り、姉の服を着て、姉の性器と肛門と、姉と弟がおたがいの服と立場を交換することを想像しながら、森の突きでた木の枝を張り型として肛門に挿入し、ベッドの枠に頭を打ちつけながら自瀆するのである。



ジャン・ジュネ『女中たち』



■ 双子

第1章「トッカータ」の独白で、アウエは自分の子供が双子であると語る。アウエ自信もウナと双子である。スターリングラードで頭部を貫通する銃創をおったアウエは、ドイツ北部のウーゼドム島の病院で療養し、SS中佐に昇進し、受勲され3ヶ月の傷病休暇をもらう。休暇のおわりにドイツ占領中のフランス・アンティーブにある、母と義理の父であるモローの住む家を訪ねる。失踪した父をすててモローと結婚した母をゆるせないアウエと、ナチスに入党したことをなじる母との確執は、ひさしぶりの邂逅でも氷解することはない。モローと母の家には、知り合いの子を預かっているのだと説明する8才ぐらいの子供がいる。それも双子である。アウエはその双子を嫌みったらしく「ユダヤ人じゃないの?」と母に聞くが、それがウナの子であることは、後々読者にはわかってくる。だが、父がだれであるのかは小説の最後までわからない。しかし気がついた人もおおかっただろうが、双子を産む遺伝子をもっているのは、姉ではなく弟のアウエの方である。老アウエとフランス人の妻とのあいだにうまれたのは双子ではなかったか。そのような遺伝子があるかどうかはしらないが、作者は双子の連続性をアウエの子孫にあたえている。近親相姦が露見して以来、アウエとウナははなればなれになるが、9年前にただ一度だけ、ユングについて心理学を勉強するウナのいるチューリッヒでふたりはあっている。酔ったふたりはウナの学生宿舎に行き、そこでアウエは「母の胎内で彼女を愛していたときよりもさらに愛した」はずだった。モローと母の家にいた双子は8才ぐらいだった。アウエの母はどうして近所の人たちにまで知り合いの子を預かっていると嘘をつく必要があったのか。それは、その双子が近親相姦の子だったからだ。その翌日、アウエが目覚めるとモローは昼間アウエが薪を切るのにつかった斧によって惨殺され、母は自室で絞殺されている。事件の唯一の目撃者である双子はそのまま失踪してしまう。
モローと母の死を発見する直前に目覚めたモローは、なぜか裸でベッドに寝ている。浴槽には血まみれのアウエの服がのこされている。アウエは母と義父を惨殺したあと、あきらかに浴槽で自分の体を洗い、身を清めてからベッドに入ったと考えられる。パパン姉妹の惨殺事件をそっくりなぞったアウエのこの行動は、彼の主人性が乖離しなにものかに乗っ取られていることの予断である。ウナと結合できないのであれば、さまよえるアウエの主人性はなにかべつのものに従属する必要があった。ウナにはそのことが見えていたのだと考えられる。チューリヒで最後の性交をした夜、ウナは弟がナチスに入党したことにかんしてこう言う。「あなたがあの連中と一緒に魂を失うのが怖い」。
アウエは、観念的な双子を社会性のなかにももっている。SSに入隊する以前の大学生時代、同性愛者のたまり場でアウエは事件にまきこまれ警察に厳しい取り調べをうける。国家社会主義下での同性愛は収容所送りの罪である。そこに、共通のヘーン教授を介してアウエの論文を読んだことのあるトーマスが来て取引をもちかける。SD(保安諜報部)に入るか、同性愛専門の「じつに嫌なやつ」である刑事捜査官のマイジンガーの取り調べをうけるかというのである。そうしてアウエの情報将校としての進路を決定づけたように、トーマスはことあるごとにアウエの力となり、貴重な情報をあたえ、つねにアウエを助ける。トーマスは国家社会主義という社会のなかでの、アウエのもうひとつの一面でありポジであり鏡像の双子である。いっぽうは独ソ線の状況にもユダヤ人の解決方法にも自分自身にもつねに心理的な迷いをかかえており、いっぽうは国家社会主義とその官僚機構にみごとに適合した「健全」な出世の道をすすむ。トーマスがなぜアウエを助けるかについてはおおくは説明されていないけれど、アウエは自分を健全さの方につれていくトーマスにあきらかによりかかっている。それはアウエが徐々にみせる奇妙な行動とともに激しくなっていく。スターリングラードの街をトーマスと歩いているとき、アウエは地下鉄の入り口をみつけて「入ってみようよ」とまるで駄々をこねる子供のようにトーマスに言う。トーマスは「早くくるんだ」というがアウエは引かない。その場所でトーマスは腹部に爆撃を受けてはらわたが飛び出す重傷を負う。しかしアウエはトーマスを遠巻きにみているだけで手を貸そうともしない。まるで夢かなにかでトーマスをみているようであるし、トーマスの負傷と彼自身の手当はまるで戯画のように非現実的で悲惨である。考えてみるとスターリングラード(現ボルゴグラード)に地下鉄ができたのは1984年である。独ソ線のときに地下鉄のあるはずがない。するとトーマスのあのしんじられないような重傷はすべて夢だったのではないのか。ところが作者はベルリンでの温水プールの着替え室で、トーマスの腹部に「二股に分かれた幅の広い傷跡」をアウエがみつける描写を差しはさむ。アウエと姉のウナが「一対のからみあった蛇」であったように、アウエとトーマスも国家社会主義の官僚機構内でのからみあった蛇だとするなら、国家社会主義の崩壊はアウエにとってトーマスを不必要とする瞬間でもあるだろう。だからトーマスはアウエによって殺されなければならない。アウエを信用し、助け、みちびき、つねに傍らにいた1才年上のトーマスは、逆向きに成長するアウエの幼児退行がいきつくとき、不必要な存在となる。



ジョナサン・ナテル『慈しみの女神たち』下巻


■ 主人性

ポンメルンの館の狂乱は、ふたつの鏡像からひきはなされる苦しみである。ひとつは双子の姉ウナであり、彼女の出産が否定しようのない事実であることを認めることでアウエの主人性はより浸食される。年の離れたウナの夫、ユクスキュルが性的不能者であることももはや慰めにはならない。ユクスキュルでないにしても姉は双子を産んでおり、子を孕むためには処女ではありえない。だからアウエはせめてウナが帝王切開であると考える。
アウエはだれもいないはずの屋敷で、地下セラーから選んだ1900年のマルゴーを飲みながらユクスキュルが「なぜドイツ人はあんなにユダヤ人を殺すことに熱中したんですかな?」と訊ねるのを聞く。アウエの答えは国家社会主義者ならだれでも答えるような素朴で安易なものでしかない。それをウナがひきとって言う。わたしたちはユダヤ人を殺すことによって自分自身を殺していたのだ。ユダヤの性質と思い込んでいるものはすべてドイツ的性質なのだ、と。姉が手に入らないものであることと同じく、アウエはすでにそのことを知っていて、だからだれもいないはずのポンメルンの屋敷でユクスキュルと姉はアウエに反論するのだし、その反論はアウエの思考であるはずなのだし、その徴候としてスターリングラードのあとの傷病休暇中に生でみたヒトラーは、ユダヤ教のラビの肩掛けをしていたのだ。
アウエがはじめてヒトラーを見たのは1930年、父の故郷であるドイツに旅したときのミュンヘンでだった。アウエはブラウケラーでのヒトラーの演説に感動し、入党を決意する。
「わたしはその旅行から、初めてある信念を持って帰ってきた。すなわち母とその夫がわたしのために敷いた、狭苦しい、死に至る道とは別の何かが可能であり、わたしの未来はそこにある、あの不幸な民族、父の民族であり、わたしの民族である彼らと共にある、という信念だ」。
つまりヒトラーと失踪した父とは、アウエにとってことの最初から同軸にあるものだった。それはフランス人である母とフランス人であるモローの対局にある、トロイア戦争に勝利したにもかかわらずクリュタイムネストラに暗殺される「かわいそうな」父アガメムノンとその祖国であった。だがウナへの幻想が崩壊するように、ウナの残した書きかけの手紙によって、義勇軍の将校だった父が、民間人の女を縛りつけて強姦し、子供らを生きたまま焼き殺し、拷問される捕虜をみながら酒を飲む男であり、その父の傲慢さによって部隊が崩壊したことを知る。わたしの「他者性」としてアウエを支配してきた鏡の向こうの「わたし」は、そもそもアウエが理想的につくりあげたものでしかなかった。彼が結果的に放棄してしまった主人性は、つまりそのままドイツ国家社会主義の「無主人性」へとつながっていく。ウナのいうようにユダヤ人を殺すことが自分自身を殺すことになるのだとすれば、ランスラン夫人を殺害したのとおなじ方法で自分の目玉をえぐり出すことになった、あのクリスティーヌ・パパンのように、いずれは自己崩壊するほかどうしようもなかったのだということになる。
歴史家トニー・ジャットは書いている。

じっさいナチズムは、それが利用したロマン派およびポストロマン派の国民的伝統とおなじように、ドイツ人を唯一無二のものにしているのは何か、ということにまつわる一連の主張に寄生していたのです。(トニー・ジャット『20世紀を考える』)

この問題はアウエがパリで出会う反共和制の知識人、リュシアン・リュバテやロベール・ブラジヤック、ドリュ・ラ・ロシェルのような「ドイツ以外」でのナチズム信奉者と比較することで明確になる。彼らは、ナチズムを普遍的概念として信奉していた。だが当のナチスはドイツ以外の場所でのイデオロギー的普遍性を考えてはこなかった。「ナチズムの魅力は、明白なイデオロギー的ディスクールよりも、むしろ情緒やイメージや幻想の力のうちに宿っていたのである(サウル・フリートレンダー『ナチズムの美学』)。このことは、第三章クーラントのスターリングラードで、アウエが尋問するソビエト軍捕虜イリヤ・セミョーノヴィチという政治委員とのながい会話において物語内部でも明示される。お互いが相手国の体制を批判すればするほど、国家社会主義とソビエト社会主義の共通点として存在する醜悪な問題が浮かび上がる。セミョーノヴィチは言う。
「言いたかったのは両者のイデオロギーの機能の仕方が似ているということです。中身はもちろん違います。人種と階級ですから。わたしに言わせれば、あなたがたの国家社会主義はマルクス主義の異端なのです」。「(ボリシェビキが国家社会主義よりも勝っているのは)人類全体の善を願うという点においてです。一方あなたがたのイデオロギーは利己的であり、ドイツ人の善しか願わない」。
この尋問の内容はアウエによってパリのリュシアン・リュバテに伝えられる。リュバテはそれを聞いて「ヒトラーがいなかったら、たぶん俺はコミュニストになっていたんじゃないかな」と答える。両者の相似という意味は、フランス人ナチズム信奉者が話すことによって第三の意味となる。ナチズムがどこにも応用できないイデオロギーであること、ヴィシー政権のフランスやルーマニア、あるいはイタリアやスペインといったファシスト知識人の思想的限界を表明することになる。
民族という概念を主軸にしたとき、われわれは自分たちだけが例外であるとつねに考える。自己の例外性が林立する世界を統一できるイデオロギーは存在しない。哲学者メアリー・ミッジリーはニューリンベルク裁判でナチイデオロギーを弁護した被告がひとりもいなかったことについてこう書いている(ロバート・イーグルストン『ホロコーストとポストモダン』)。

弁護できるような一貫したイデオロギーが実際のところたいしてなかったからである。真に情熱的な確信を狙った唯一の部分は、情動的であり破壊的だった。(…)相手となる聴衆やその時の政治的可能性に従って変動した。敵は共産主義か資本主義か、エリートか群衆か、フランスかロシアかワイマール政府か、というように利害の赴くままに変わった」

アウエの主人性をあけわたした相手はナチズムであった。だがけっきょくナチズムの主人性は憎悪と殺戮だけが支配していいた。だから自己の主人性を殺戮の無主人性に明け渡したアウエは、殺さなければならなかったのだ。



モーリス・ブランショ『踏みはずし』



■ 救済の道

だが、アウエには数々の救済の道があったはずである。アウエはつねにこう考える。ナチス官僚機構の内部でどのようなことがおこっていたかを知るならば、それがいかに不可避であったかもわかるだろうし、あなたがたがそこにいたのならきっとあなたがたも「それ」をしただろうと。これは基本的にアイヒマンの裁判での陳述スタンスとおなじである。そしてこのながい物語そのものも、アウエの側からみた不可避であったことの言い訳の巨大な堆積である。死罪であったアイヒマンがもしアルゼンチンで長生きをして手記を書いたならこうなったのだろうか。あるいは、一説にはアウエのモデルともいわれるオットー・オーレンドルフが生きていれば、このような言い訳をしたのだろうか。もしアイヒマンやオーレンドルフが裁判にもかけられず生存しており、いまだに旧ナチ・コネクションを利用するような無反省な人生をおくっていて、さらにこのような手記を書いたのだとしたら、いったいそれを現代で読む価値などあるのだろうか。その手記の主人公に同一化することは、そのままナチスへのシンパシーにしかならないのではないのか。だが、アウエには数々の救済の道があった。
アウエの救済は、彼の内部の異変として描かれている。最初は嘔吐と下痢という身体的拒否反応としてあらわれ、次には従卒のハニカには見えな軍服のシミとなり、カフカスではギリシャ語を話す不思議な老人となり、スターリングラードではそれがいっきょに深刻化する。「天使が執務室に入って」きたあとの出来事はもはや現実と幻想の区別がつかない。切断された脚から出る血をコップで受けて飲む兵士、性器をみせてアウエをからかう娘たち、その娘らをおいかけて入った廃墟の部屋で死体とラスマニノフのレコードを聴く兵士、スターリングラードのあるはずのない地下鉄、トーマスの飛び出たはらわた、そうして狙撃のあとに見る姉と双子の不思議なながい夢。つまりアウエの幻覚や異変や異常行動はなにも脳の銃創によって引きおこされたわけではないということだ。彼はスターリングラードで負傷しなかったとしても、かならずや母と義父を殺したし、最後にはトーマスも殺しただろう。それは彼自身の崩壊していく課程であり、それゆえ引き返すようもとめるかすかな救済のシグナルでもあったからだ。
アウエが救済の道を見のがすのは自分の異変についてだけではない。アウエは傷病休暇中におもむいたフランスのパリで校正刷りのモーリス・ブランショ『踏みはずし』を買い、メルヴィルについて書かれた評論を楽しく読む。だがこの格調高い評論集である『踏みはずし』の、メルヴィルの数ページうしろにはエルンスト・ユンガーのかの有名な反ナチ文学『大理石の崖の上で』についての評論が書かれていたはずである。アウエはユンガーがきらいだったのだろうか。カフカスでベルクユーデン(山岳ユダヤ人)についての会議に出席する言語学者のヴェゼロー博士を迎えにいったとき、おなじ飛行機でやってきたのはエルンスト・ユンガーそのひと本人ではなかったか。アウエはなんどもユンガーに会いに行こうとするが多忙でかなわない。読みとばすほどきらいなようには思えない。彼が読み飛ばしたのはユンガーが作品に込めたナチスの暗喩そのものだったのではないか。しかも『大理石の崖の上で』は、悪霊や物の怪を使い山を滅ぼす森林監督官と山岳民族の話ではなかったか。カフカスでアウエらがやっていたことが、まさにそこに書かれていると気づかぬほどアウエに学がないわけではない。ベルクユーデンがユダヤ人であるかないかという議論は、けっきょく最終的には、国家社会主義がその中心概念としたフォルク(民族)というものが虚構であり定義不可能なものであることを証明してしまう。それはアウエがもっとも気に入った友人であった言語学者フォスの口からも語られるのである。パリの「ジュ・スュイ・パルトゥ」の知識人たち、ロベール・ブラジヤックやドリュ・ラ・ロシェルのような右派知識人を旧友とするアウエが、モーリス・ブランショが極右思想から一転して反ナチスとなった経緯を知らずにおれたろうか。アウエが校正刷りを買ったそのとき、モーリス・ブランショはユダヤ人であるレヴィナスの親族をヴィシー政権下の警察から匿っていたことは知らなかっただろうか。そのことはどこにも書かれていないが、どれもこれもすべて見のがしたのだろうか。そうではないだろう。アウエは、そして国家社会主義ドイツ労働者党に熱狂していたすべてのドイツ人は、自分のみたいものしかみていなかったのだ。
物語後半、ハンガリー計画からもどったアウエは高熱をだして寝こんでしまう。これももしかすると救済のひとつだったかもしれない恋人ヘレーネが看病にやってくる。彼女の献身的な態度に逆上したアウエは熱にうかされながらこう叫びだす。
「それとも知らなかったのか? そうなのか? すべての他の善きドイツ人のように。誰もなにも知らない、汚れ役の連中を除いて。あいつらはどこへ行った、モアビートでご近所のユダヤ人たちは? 一度も変だとは思わなかったのか? <東方>か? <東方>に遣って働かせていると? どこだ? もし600万や700万のユダヤ人が<東方>で働いていたら、新しい都市がいくつもできたろう! お前はBBC放送を聞かないのか? あいつら、全部知ってるんだぞ! 周知の事実だ、知ろうとしない善きドイツ人を除いてな!」。
キエフでのアウエの上官パウル・ブローベルは、1943年1月にアルコール中毒と狂乱でゾンダーコマンドを解任される直前に、アウエにたいして狂ったように国防軍への罵詈雑言を言う。

「そうして、こう言うのさーー『違います、ユダヤ人や人民委員やジプシーを殺したのはわれわれではありません、証明することだってできます、おわかりでしょう、わたしたちは賛成ではなかった、みんな≪総統≫とSSが悪いんです』・・・」。彼の声は泣き言じみてきた。「くそっ、もし勝ってもな、奴らはわれわれをはめるつもりさ。なぜなら、耳を貸せ、アウエ、よーく聞くんだ」ーー彼はいまやほとんど囁いていて、声はかすれていたーー「いつかすべてが明るみに出るからだ。すべてが。あまりに多くの人が知っているし、あまりに多くの証人がいる。そして明るみに出れば、戦争に勝っていようが負けていようが、騒ぎになる、大ごとになるだろう。首が必要になるだろう。」

ナチス支配下のドイツ国内の状況を書きのこしたヴィクトール・クレンペラーは、キエフ近郊で集団殺戮があったという噂を耳にしたと、1942年4月の日記に書きのこしている。11月には、「ポーランドでは毎日何百人も人を撃ち殺さなければならない」と帰休兵が嫌悪感を隠さず話しているようすを書きのこしてもいる(ロバート・ジュラテリー『ヒトラーを支持したドイツ国民』)。
救済の道は実のところおおかった。「ナチスという神殿」(アルベルト・シュペーア)は、それぞれがみたくないものをみないことによって成立していたのではないのか。そして、みたくないものをみない者は、救済の道もかならずや見落とすのだと思うのである。



アイスキュロス『ギリシア悲劇Ⅰ』


■ エウメニデス

ユダヤ系フランス人哲学者ジュリア・クリステヴァは、パリ第七大学でひらかれた作者参加の討論会で、「この小説には「慈しみの女神たち」は出てこない」と発言している(有田英也「ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』翻訳後記」)。つまりアイスキュロスの『オレステイア』三部作をもっともおおきな枠組として小説構造に採用しながらも、この小説にはそのタイトルともなっている慈しみの女神たち(エウメニデス)が登場するまえに物語が終わってしまうのだ。オレステスは父アガメムノンを裏切って殺した母、クリュタイムネストラを殺害した廉で復讐の女神エリーニュスに追われ放浪したのち、アテナの審判により無罪となり、エリーニュスはエウメニデス、慈しみの女神たちとなる。アウエの母殺しは物語の中央に配置されているし、エリーニュスは戯画的な刑事の姿で最後までアウエを追いつづける。しかしアウエは審判にかかることもエウメニデスにであうこともなく身分をいつわってフランスに逃げ、いまだ後悔も反省もしていない。
SS将校として生きたアウエの罪は、母殺しだけではない。だからアウエは唐突すぎる終わり方で「<慈しみの女神たち>はわたしの足跡を見てとってくれていたのであった」と自分で書き足すしか方法がなかった。その罪を浄化できるものは、アテナでもニュルンベルク裁判でも、戦後社会でもまして読者でもなく、そんなものはこの世界のどこにも存在しないことを、やはりアウエは認識している。この小説は、タイトルにつけられたその不在性をながながと証明する運動だったといってもいいのではないか。もし無理にでも「慈しみの女神たち」を作中にもとめるのだとすれば、それはアウエにとっての唯一の可能性である、彼の母殺しを目撃した双子、彼の血塗られた魂の放浪と罪のすべてをいつかは知ることになるあの双子の息子たちなのではないだろうか。だがアウエはそれについてなにひとつ語らないし、語らないことで読者はアウエを救済する手段がどこにもないことを悟る。
アイヒマンの尋問調書を編纂したヨッヘン・フォン・ラングは『アイヒマン調書』のなかでこう書いている。

「明日何が起こるのか、過去の歴史を見ただけではわからない」とヤーコプ・ブルクハルトは述べている。「だが、将来のあらゆる可能性を示唆してくれるのも歴史である。」アイヒマンという人物は、まさにこれらの二つの事柄を体現している。つまり、過去に何が起こったのかという事実と、そして将来また起こるかもしれない可能性とを。

アウエは巧妙に読者との同一化をさけつつ、彼なりの傲慢さでこう書いている。
「しかしこういう考えはいつも心にとどめておきたまえ。すなわちあなたがたはおそらくわたしよりも運がよかったかもしれないが、あなたがたのほうが優れているわけではないのだ。なぜならば、もしあなたがたにそうだと考える傲慢さがあるとしたら、まさにそこで危険がはじまるのだから」。
ブーヘンヴァルトからの生還者である作家ホルヘ・センプルンの言うように、歴史書でも資料でもないこのフィクション小説は、だから未来の読者への警告なのだ。
(敬称略)




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