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従順さは良心的判断の放棄でもある 『人生と運命』『暴力について』

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取引先の担当者が出てくるまで、打ち合わせルームの片隅で待っていた。隣のブースで社員同士が会話しているのが聞こえる。時間はもう夜の7時すぎである。 年長者が言う。「義理を通すためにも、おまえ会社のために死んでくれるか」 驚いたことに若い社員は「はい。がんばります」と答える。 なんの話なのかはわからないが、まがりなりにもこの会社、上場企業である。「死ね」にたいして「がんばります」という驚くべき会話が、日本の中枢部で平然と話されていることに、おどろいた。 スターリン体制下のユダヤ人迫害と強制収容所の実態を書き、エマニュエル・レヴィナスにして「もっとも影響を受けた20世紀の小説」と言わしめたワシーリー・グロスマン著『人生と運命』の、第50章はおそるべき章である。そこでは、いかにしてごく普通の一般大衆がユダヤ人殲滅に協力することなるかが、明晰に記述されている。 大量殺戮を心の中では恐ろしく思ってはいても、自分の身内のみならず自分自身に対しても秘密にしている。そうした人たちが絶滅キャンペーンの集会が行われる会場を満員にする。そして、そうした集会がどんなに頻繁に行われようと、どんなに会場が広かろうと、何らの発言のないままに満場一致の採決が行われるのを誰かが阻止しようとするケースは、ほとんどあったためしがなかった。 意見というものは黙っていても自ずと口から飛び出してくるものではない。黙っていれば満場一致の賛成票を投じるのとおなじことになってしまう。 そして、これはもう数万ではなく、数千万でさえもない膨大な数の人々が、罪なき人々の殲滅の従順な目撃者となった。しかし、従順な目撃者であるだけではなかった。命令されたときには殲滅に賛成し、どよめきの声を上げて大量殺戮への賛意を表明したのである。 今世紀前半のロシアでおこったことはこの国でもおこりえることだし、従順さにおいてはロシアを上まわるこの国では、スターリンもヒットラーもいないのに、平和なはずのサラリーマンが「会社組織の成長と維持」という名目でたがいに縛りあい監視しあい、従順と忠誠という価値観で競い合っているのである。 『ウォールデン』で有名な19世紀のアメリカの詩人・思想家のヘンリー・デイビッド・ソローは、奴隷制を黙認する政府が課す人頭税の支払いを良心的理由で拒否したために逮捕され

作家をボイコットするものは、最後には焚書をするだろう。 ギュンター・グラス『玉ねぎの皮をむきながら』

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『ブリキの太鼓』などでノーベル文学賞を受賞したギュンター・グラスが、ドイツの「南ドイツ新聞」において『言うべき事』という散文詩を発表した。そのなかでグラスは、多くの核ミサイルを保有し(全米科学者連盟のハンス・クリステンセンによれば80機だと推定される)、NPT核不拡散条約加盟に拒否しているイスラエルが、世界平和において脅威であると語っている。 イスラエルはこの詩への対抗として、ギュンター・グラスを「ペルソナノングラータ(好ましからぬ人物)」として入国禁止処置にしたそうである。(ロイター 4/9) その国家にとって「好ましからぬ」人物であれば入国をボイコットできるという法の行使を、ひとつの国家にとっての「権利」と呼んでいいのだろうか。グラスはイスラエル人の生命や財産を脅かす犯罪者ではないし、ホロコーストを肯定しているわけでも、イランのスパイというわけでもないだろう。世界平和にとってイスラエルの核が問題なっている、と発言しただけである。れっきとした国家が、たったひとつの「詩」への対抗として入国禁止処置をとるというのは、国家主義、ひいては全体主義なのではないか。それならば、自国民がグラスとおなじ発言をすれば、イスラエルはその人物を国外追放しなければならないのではないか。そうであるなら、イスラエルに言論の自由は存在しないことになるのではないか。 イスラエルの作家ヨラム・カニュクはこのことを、 作家をボイコットするものは、最後には焚書をするだろう と表現している。(独ZEIT ONLINE) ナチスによる焚書の目的は「非ドイツ的な文学を消滅させ、ドイツ文学を純化させること」であった。おなじ思想のものだけを保護し、異分子を排除するというのである。 イスラエルはナチスによって燃やされたシオニズムの書物の復讐を、60年前にナチス親衛隊であった過去をもつこの84才の作家に対して行おうとしているのだろうか。 ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネは19世紀においてすでにこう予言している。 本を焼くものは、いずれ人間をも焼くだろう イスラエルが核をもつことは非常に危険である。それはNPT不参加という事実よりも、イスラエルには「人間を焼く」道に行きかねない危うさがあるからである。

スターリニズムを生き延びた作家たち 『尋問』『アルバート街の子供たち』『収容所群島』『人生と運命』

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たぶん1940年代後半のポーランド。場末のキャバレーで歌う歌手のアントニーナは、夫とのささいなケンカがもとで夜半外出し、見知らぬ2人組の男たちに誘われるままバーに行き泥酔してしまう。 翌朝、目が覚めると留置所のようなところである。昨夜の2人組は秘密警察の男で、アントニーナは身に覚えのない尋問を受けることになる。なんの罪名によって、どのような自白を強要しているかもわからぬまま、執拗な尋問は何日にも及ぶ。 そのうち、アントニーナにも彼らがなにを欲しがっているのかがおぼろげに見えてくる。彼女がかつて一度だけ寝たことのあるゆきずりの男オルツカが、国家反逆罪に値するという供述がほしいのである。嘘の供述を拒否するアントニーナは、秘密警察によって執拗な尋問や拷問、精神を痛めつける死の恐怖を味わわされることになる。 その後、秘密警察の少佐タデウスの子を身ごもったアントニーナは、彼からオルツカがすでに銃殺されていること、夫の離婚申請が受理されたことを聞く。それでも、彼女への尋問は終わらないのである。 はじまりと同じような唐突さで、5年目にしてようやく彼女は自由の身となる。彼女が釈放される直前、収容所の刑務官や兵士があわてている様子が描写される。この無意味な尋問と5年もの長きにわたる監禁状態を終わらせたのは、ソヴィエト・東欧にとっての歴史的大事件であった。劇中、ひとりの男がさけぶ。 「スターリンが死んだ!」 リシャルト・ブガイスキ監督、エクゼクティブプロデューサーにアンジェイ・ワイダを迎えたこの『尋問』という映画をみたとき、アントニーナのあまりにも不条理な運命に「もしかして原作はカフカ?」とさえ思ったものであった。それほどアントニーナのおかれた状況は「カフカ的」であり、スターリン体制下の閉塞状況は想像を絶するものであったのだとわかるのである。 レーニンの死後、彼の遺言を力ずくで反故にしたスターリンはみずから党代表となり、じっさいの後継者と目されていたトロツキーを国外追放(のちに暗殺)し、反対勢力のキリーロフを殺害したころから一挙に独裁恐怖政治を布くようになった。それは彼の死の1953年までつづくのである。 スターリンが死去することで開放されたのは『尋問』のアントニーナだけではない。もしスターリンがもう少し長生きしていたら、かの悪名高い「医師団事件」によりロシ