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日本人と日記 『百代の過客』『硫黄島からの手紙』

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学生のころ新聞社でアルバイトをしていた。ちょうどそのころ朝日の文化面にドナルド・キーンが連載をもっており、それを毎月楽しみにしていた。それが『百代の過客』である。 あれから20年ちかくたって、ドナルド・キーンももはや90才ちかいのである。東北の地震をみて彼が日本永住をきめたというニュースがながれたからかどうかはわからないが、つい先日、講談社学術文庫から『百代の過客』が文庫化されて出版された。あまりの懐かしさに文庫で1700円という破格にもめげず購入してしまった。 ドナルド・キーンが日本の日記という形式に興味を持つきっかけとなったのは、第二次世界大戦中、死亡した日本兵の日記を翻訳する仕事をしていたからである。軍事的記述や捕虜にかんするもの、あるいは日本軍の士気の様子をうかがい知ることのできるような情報がそこに記載されていないかをチェックするのである。 日記には、陸軍軍人として模範的なもの、無味乾燥な記述しかないもの、なかには墜落したアメリカ兵捕虜を斬首したという記述や、判読不可能なもの、血糊のこびりついたものなどがあったという。たとえばすぐとなりを併走する軍艦が突如魚雷により撃沈するさまをみたときの恐怖の記述は、どんな非文学的な書き手のものであっても「耐えがたいほど感動」するという。 あるいは南太平洋の孤島で7人だけいきのこった部隊が、正月にたった13粒の最後の豆をわけあって食べたという日記や、アメリカ軍に拾われることを予見し英語で「戦争がおわったらどうかこの日記を国の家族にとどけてほしい」と懇願するメッセージの書かれた日記なども多くあったという。しかも、彼が「はじめて親しく知るようになった日本人」であるその日記の書き手のほぼすべてが、キーンがそれを読んでいる時点ですでに死んでいるのである。ドナルド・キーンの日本人理解の根本にはこの体験があった。 第二次世界大戦で負け行く日本人兵士がなにかを書きのこすという状況で思い出されるのが、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』である。 映画は2006年の現代、戦死者遺骨調査の隊員が偶然地中から大量の手紙が入った袋を発掘するところからはじまる。それは61年前にこの島で死んでいった兵士たちが家族にあてて書いた手紙であった。 劇中話されるほぼすべての言語が日本語で、主人公をふくめすべて

ダブル・シャンデリア期の思考と知覚 『複製技術時代の芸術』『声の文化と文字の文化』

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写真が芸術なのかどうか、19世紀にはさかんに議論された。いま読むと当時の論争はおそろしく的外れで不毛な議論のようにかんじられる。今日的で一般的な意見としては、写真が芸術であるかどうかなんて議論する必要もないほど「写真は芸術」であるといった解釈が圧倒的だろう。 フランツ・ヴェルフェル(1890~1945)は写真や映画といった具体的描写を得意とする芸術にたいして、「(写真や映画が)芸術の王国へ大きく飛翔することの障害となっていたのは、まちがいなく、街路、室内装飾、駅、レストラン、自動車、海水浴場といった外界を不毛にコピーすることである」と断言しているという。(ウォルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』) 「映画は 真の意味、本当の可能性をまだとらえていない・・・その可能性は、自然な手段によって、そして比類のない説得力で、妖精的なもの、不思議なもの、超自然的なものを表現するという唯一無二の能力のうちにある」 われわれがおもう以上に、写真の発明からその作品が芸術であると認識されるまでの時間的道のりは長いようである。具体的な描写を得意とするがゆえに、写真や映画は「具体的すぎる」といって非難されていたのである。 19世紀におこなわれた写真芸術論争は不毛で的外れではあったが、その議論が活発であったことは、逆に議論するテーマがより深刻で甚大な影響をあたえるできごとであったという証明にもなる。芸術という分野で「世界史的大転換」がおこっていた可能性が史実として浮かび上がってくるのである。 19世紀末期にジョセフ・スワンが白熱電球を発明し、裕福な家庭に電線がひかれたとき、人々はダイニングにふたつのシャンデリアを飾った。従来のガスで灯るシャンデリアと、まだ不安定で一定時間しか送電されない電気をつかったシャンデリアのふたつである。この二重のインフラ時代を「ダブル・シャンデリア期」とよぶ。(マイケル・オンダーチェ『映画もまた編集である』) 蒸気機関が発明されたのち、船からセールとマストが完全に外されたのはそれから数十年ものちのことであるのと、状況はよくにている。 現代でいうなら電子書籍と紙の書籍、あるいは配達される新聞紙を購読しながらインターネットのニュースサイトもチェックするといった二重の冗長さがダブル・シャンデリア期に相当するだろう。テレビのデジタル化や印画紙とデジカメなどの二重性も

西と東の宗教観 『ツリー・オブ・ライフ』『ブンミおじさんの森』

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ヨブは信心深く真面目によく働き東国一の富豪であったが、ある日を境に突如不幸なできごとに見舞われるようになる。まず、シェバ人による家畜の強奪と使用人の殺戮である。つづけてメソポタミアの盗賊が何千とあったラクダを盗み彼の富は崩壊する。つぎにハリケーンに7人の息子と3人の娘すべてを奪われ、あげくの果てにはヨブ自身が重い皮膚病を煩うことになる。尋常でない痛みと痒みに灰の中でのたうちまわりながらも「神を呪って死ぬほうがましだ」という妻に「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と彼はいい、神の仕打ちを受け入れるのであった。 心配し見舞いに訪れた友人たちは、ヨブのあまりの受難と苦しみをみていぶかる。彼はわれわれのしらないところで神に対する重大な罪をおかしていたのではないか。「だれか罪もないのに滅びたものがあろうか」と。友人たちはヨブに罪の告白をせまる。友人たちによる過酷な詰問と懺悔の強制により、とうとうヨブは神に疑義をもち問いかける。「わたしの知りえない罪があるのならば、その罪によってわたしは裁きの場に立つことを望んでいるのに、あなたはそれさえもかなえてくれない」。そしてさいごにヨブは神に対する重大な不信を口にするのである。 「どうしてあなたはなにもこたえてくれないのですか」 旧約聖書中もっとも「エキサイティング」といわれる『ヨブ記』のあらすじはこのようなものである。物語としても読んでおもしろく、受難者ヨブ、義の人ヨブ、反逆者ヨブとあらゆる解釈を許す懐の深さもある。なにより神の沈黙、絶望のなかでの信仰、そして自分で認識しえない自分自身の罪をいったいだれが告訴し、だれが裁くのかという西洋社会の根本的ジレンマがここにはあるのだ。 寡作で知られるテレンス・マリック監督のカンヌ・パルムドール受賞作 『ツリー・オブ・ライフ』 もこのヨブ記を基本のモチーフにしている。ヨブの問いかけに対する神の答えが、作品冒頭しめされる。 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。 あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。 そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い、神の子らは皆、喜びの声をあげた。 何億年もはるか昔、天地創造のころ人間はいなかった。もちろんヨブもいなかった。そんな永遠の時間のなかのほんの一瞬

インフレする暴力映画 『ファニーゲーム』

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父と母と息子ひとりのごく平凡な家族が避暑のため湖畔の別荘にいく。母が夕食の用意をしているとき、白い服に白いズボン、白い手袋をしたふたり組の男が「たまごを貸してくれ」といって突如やってくる。白手袋の男たちはそのままその別荘に居座りつづけ、家族を縛りあげたうえでこう宣言する。「おもしろいゲームをしよう。明日の朝までにきみたちが生き残れるか、それとも全員惨殺されるか、どちらかに賭けるのだ」。それから、白手袋たちによる罪のない平凡な家族の惨殺物語がはじまるのである。 ミヒャエル・ハネケ監督 『ファニーゲーム』 はほんとうに観客をいやーな気分にさせる最低のゴミクズ映画である。ここでは映画が潜在的に持っているすべてのセオリーと調和が、一切の容赦なく反故にされている。だからゴミクズ映画なのだが、しかし最強なのである。 まずもってこの映画はアンチスリラー映画である。正義がかならず勝つ、という映画制作者と観客の暗黙の了解が無視されている。いったんそのセオリーを解除してしまうと、観客は感情移入に混乱をきたす。感情的にぺったりと張り付く人物を見失って、映画鑑賞の指針を見失ってしまうのである。だから白手袋に憎悪をかんじながらも、なぶり殺しにされる惨めな家族によりそうこともできない。あくまでも被害者家族は第三者であって、鑑賞者である自分と主人公がぴったりと重なることはないのである。だから劇中、白手袋の男は突然スクリーンにむかって話しかけたりする。観客はあくまでも観客なのである。 次に、これだけ凄惨で救いようのない暴力を描きながら、ハネケはただの一度も暴力そのものを描写していないことがあげられる。この映画では、暴力はかならずスクリーンの外側で発生しており、われわれ観客はその事後によって不運な家族のひとりが殺されたことを知るのみである。 コワイ映画、凄惨な映画、グロテスクな映画であれば、この『ファニーゲーム』以上のものが山のようにあるだろうし、レンタルビデオショップにいけば専門のコーナーさえ用意されている。だがそんな映画をみても満足することはまれである。なぜなら観客はもう暴力のあらゆる描写になれてしまい、よほどの技術的新奇さがないかぎり満足できない体質になってしまっているからだ。当時は失神者が続出したというR・ブニュエルの『アンダルシアの犬』であるが、今では目玉をカミソリで切